【全文】『人権と生活』44号掲載『排外主義と主流LGBT運動——「ヘイト」概念を超えて』

この文章は『人権と生活』44号(在日本朝鮮人人権協会)特集「差別とヘイトのない社会へ」に掲載された文章を、筆者自身の手元にある原稿データを基にウェブ用に体裁を整えたものです。購入は協会問い合わせフォームから直接連絡をしてください。

「そんなことより北朝鮮のミサイルのほうが怖いよ(笑)」
 客が笑ってそう言う。つられて別の客が笑う。私はろくに聞こえなかったふりをして、張り付いた笑顔のまま、カウンターの中の自分の足元に目線を逃がした。数秒のあいだこうすることで、私は——私だけは——この場のヘイトの責任を免れるような気がしたからだ。

あまりに気軽で安易なヘイト

 地域に根ざして飲食店を経営する私にとって、会話の中に突如として持ち込まれるヘイトは、日常茶飯事だ注1。「中国人のマナーの悪さ」や「フィリピン人女性の信用性の低さ」など内容は多岐にわたる。一方でそれらはみなどこかで聞いたことのあるような、紋切り型のヘイトでもある。どこか受け売りの言葉のようなヘイトを持ち出すかれらは、あたかもそれを会話の潤滑油のように利用している。ヘイトの対象となる民族や人種に当てはまる人間がその場に当然いないだろうという前提で、たまたま同じ空間で食事や酒を楽しむ「日本人」同士の相互承認や連帯感の向上のため——つまりろくに知らない者同士、共通の話題も無いなかで、手っ取り早く仲良くなるため——にヘイトがあまりに気軽に用いられている場面が多々ある。

注1: 誤解のないように急いで付け足すが、私の経営する飲食店に来る客にはヘイト発言をするような人は通常ほとんどいない。また、そのような発言があった場合にはスタッフが可能な限り介入するようにしており、その結果ヘイト発言をしなくなった客もいる。素晴らしい人々に囲まれているとと感じており、ここで挙げているようなケースは一回きりの来店客や、他の飲食店との繋がりの中で見聞きした例がほとんどである。また、訪れる客にはLGBT当事者、人種マイノリティ、民族マイノリティ、障害者などのほか、性暴力被害経験者や摂食障害経験者、DV被害経験者など様々な背景があり、日々会話の中から色々なことを学ばせてもらっている。

 近年テレビや書籍等のメディアを埋め尽くすように広まった「日本すごい」言説もまた、日常会話のなかに登場する機会が増えている。身近なところでは、「ラーメンって美味しいよね。ラーメンを作った日本はすごい」と言った若者がいたのを覚えている。こうした気軽で安易な「日本すごい」言説もまた、「ヘイト」と呼べるか否かは別として、その場にいる「日本人」同士の相互承認や連帯感の向上のために用いられる場面が多々あるように見受けられる。

 もちろんこれらは、現代日本における民族差別、人種差別のほんの一部分でしかない。在特会(在日特権を許さない市民の会)をはじめとする「行動する保守」などの排外主義的なオピニオンリーダーや保守系団体などのヘイトスピーチは「気軽」や「安易」で片付けられない悪意に満ちたものであるし、日本会議系の議員が多くを占める現政権やこれまでの戦後日本の体制が民族マイノリティや人種マイノリティに向けてきた構造的な差別は明確な意図と意志を持って維持・強化されてきたものだ。また、気軽に用いられるヘイトや「日本すごい」言説のなかに、特定の民族や人種に対する攻撃ではなく「日本人」同士の相互承認や連帯感の向上を目的とするものがあったとして、それが民族差別や人種差別に根ざしたものであり、かつそれらを助長するものであることに変わりはない注2。よってこの文章は「ヘイト」に関する網羅的な論考ではなく、そのほんの一側面を切り取って考察したものに過ぎないことをご了承いただきたい。

注2: こうした気軽で安易なヘイトが現代日本で日常会話に入り込んでいる現象の背景として、高史明はインターネットの普及とTwitter、2ちゃんねる、2ちゃんねるまとめブログなどを考察している。高史明「在日コリアンへのレイシズムとインターネット」塚田穂高編『徹底検証 日本の右傾化』筑摩書房、2017年。

 では、民族差別や人種差別に関する専門家でもなく、また日本において民族マジョリティであり日本国籍を持つ筆者が、どんな目的を持って——あるいはどの面を下げて——『人権と生活』の誌面に登場しているのか。「差別とヘイトのない社会へ」というテーマのもとLGBT差別問題について執筆依頼を受けたが、ここでは、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアの略)に関する運動や言論に携わっており、クィア当事者である筆者が、とある地方の飲食店経営者として日々多くの人と関わるなかで前述のような気軽に用いられるヘイトを目の当たりにしているという経験を通して、何を感じているのか——特にLGBT運動のあり方についてどう考えているのか、複合的かつ重層的に理解しなければならない差別問題のなかでLGBT運動が抱える課題とは何か——を、ここに書き留めておきたい。

近年の「LGBT」の広まりと、分断される当事者

 今日「LGBT」という言葉は広範に知れ渡るようになり、インターネット上だけでなく雑誌やテレビ、新聞などの従来のメディアでも頻繁に用いられるようになった。経済効果の観点からLGBTをもてはやすビジネス系メディアが増え、一般企業や自治体もまたダイバーシティ(多様性)の観点からLGBTをとらえるようになっている。2000年代後半に日本語圏に現れた「アライ」(非当事者の立場からLGBTの尊厳や権利の獲得を支援する立場)という言葉も、ここ数年で急速に認知度を上げている。

 その背景には、企業や自治体に対してLGBT関連のセミナーや研修、コンサルティング、ガイダンスなどを販売するような、社会的な意義と目的を持った企業や非営利団体がいる。クライアントとなる企業や自治体の動機には、経済効果から将来を見据えたコンプライアンス対策、イメージ戦略から純粋な多様性への志向まで様々なものがあるだろうが、「アライ」という言葉などを用いてそれらの動機を適度に刺激しつつ需要に応えることで、こうした社会的企業・非営利団体が近年増加し、依然小規模ながら「アライ産業」を形成しつつある。

 一方政治においても、LGBTに関する動きが活発になって来ている。「性的マイノリティの人々が暮らしやすい社会の構築」を公約に含めた公明党、「性的マイノリティに関する課題を考える会」を置く自民党、LGBTの就職差別について委員会で言及した日本維新の会(当時)の議員、また2013年に日本維新の会は「同性でも婚姻制度を適用できるようにすべきだ」と政党として唯一明言している。安倍現政権もまた、海外向けにLGBTに寛容な素振りをしたり、はたまた稲田大臣が東京レインボーパレードを訪問するなどしている。特筆すべきは、長年LGBTについて勉強し、当事者との関わりも持ってきたような左派の政治家や政党とは別に、こうした保守派によるLGBTへの擦り寄りが目立っていること、そしてそれに協力したり歓迎したりするLGBT当事者の存在があることである。

 こうして産業分野と政治分野においてLGBTの認知度が上がる一方で、どんなLGBT当事者の姿がLGBTセミナーの資料に登場し、どんな当事者が省略されているのか、あるいは政治家が応援すると言っているLGBTにはどんな当事者が含まれ、どんな当事者が想定されていないのか、という問題がある。

 たとえば、昨年10月にインターネット上で公開された写真家レスリー・キーによる写真が、話題を呼んだ。生産年齢人口の中心を占める年代だけが集められたような、スーツにネクタイの大手一流企業のゲイ男性16名の白黒集合写真に「The Gay Elite」(ゲイ・エリート)という文字が重ねられている。日本IBMとヒューマン・ライツ・ウォッチに加えてアライ産業を担う複数の非営利団体が開催したLGBTと職場環境に関するイベントWork With Pride 2016で展示される予定だったものだが、大きな反発を受けて文字無しの展示となった。これについて遠藤まめたは「スーツ姿の男たちのみで構成された写真からは『男性のジェンダー規範から外れない限りは、ゲイであったとしても問題なく働ける』というメッセージも滲み出ている」、「百歩ゆずって『スーツの男だけ』の写真を許容できたとしても『ところで社会規範に合致する/あるいは“使える”ゲイもいるんですよ』というマイノリティ内での階層化がされている、なんなのだろう」と疑問の声を上げている注3。更にこのイベントでは、新入女性社員が過労自殺したとされる電通に「LGBTの働きやすい職場」として「ゴールド賞」を与えている。

注3: 遠藤まめた「デフレ化する『LGBTフレンドリー』〜電通過労死事件とエリート・ゲイ写真から考える『働きやすい職場』」『messy.』2016年11月5日。2017年4月17日閲覧。http://mess-y.com/archives/37346

 また、前述の自民党による「性的マイノリティに関する課題を考える会」の発足メンバー四名(牧島かれん、馳浩、福田峰之、橋本がく)は政策として生活保護の現物支給化と軍事力の強化を掲げており、うち二名(牧島、福田)は健康保険適用範囲の縮小を訴えている。「LGBT支援宣言」を出した大阪市淀川区の榊区長は生活保護受給者に対する「地域ボランティア活動の義務付け」を提案しており、東京都渋谷区で同性パートナーシップの証明書発行を可能にした「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」の策定の中心人物である長谷部健区議は2010年の宮下公園ホームレス強制排除を積極的に推進していた。

 一方で、渋谷区に続き世田谷区長がLGBT支援の見通しを表明するなど、その後広がる自治体によるLGBT支援の動きの黎明期において、それまでほぼ黙認されてきたゲイ男性・バイセクシュアル男性向けの風俗店の最大規模を誇るチェーンの店長が16歳を従業員として雇い使用していたとして児童福祉法違反(児童淫行)の容疑で逮捕されている。その約一ヶ月後には、ある男性衆議院議員が出会い系サイトで出会った19歳男性に金銭を支払って性的関わりを持っていたことが報道された。いずれにおいても著名なLGBT活動家などによる反応は乏しく、少ない反応の中には話題に便乗して自分を売り込む者すらいた。「せっかくLGBTの認知度が上がってきてるんだから、印象悪くしないでよ」とTwitterに書いた当事者の言葉に、現在の主流のLGBT運動がセックスワーク(性労働)に携わる者や利用する者などを切り捨てる形で推進されている状況が凝縮されているように思える注4

注4: マサキチトセ「同性カップルとゲイ売春:『せっかくLGBTの認知度が上がってきてるんだから、印象悪くしないでよ』」『包帯のような嘘』2015年8月27日。2015年9月8日閲覧。http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23264

 このように、近年広まったLGBTという言葉に伴って推進されている様々な分野におけるLGBT施策には、あたかもLGBT当事者やその家族、大切な友人などにLGBT差別以外の差別や不条理の被害者がいないかのような前提がある。もちろん各種施策によって生活上の困難や不安が実際に解消されたり改善されることはあるだろうし、喜ばしいことである。ゆえにLGBT施策が各分野で推進され始めていることの意義や利点、その功績は低く見積もられるべきではない。しかし一部の当事者だけが世間体の良いモデルマイノリティ(模範的なマイノリティ)やトークンマイノリティ(多様性の印として利用されるマイノリティ)としてすくい上げられようとしているのも、現在のLGBTを取り巻く状況の大きな側面であると言える。

あまりに気軽で安易な「LGBTフレンドリー」

「渋谷は同性婚できるようになったんだってね」
 屈託のない笑顔で言われた。「同性婚」は日本全体の法律の範疇であるから、もちろん事実誤認である。しかしそれよりも私の心を惑わせたのは、私が当然渋谷区の動きを歓迎し喜んでいるだろうという憶測と、本人もまたそれを歓迎し喜んでいる様子だったことだ。私は同性婚にせよパートナーシップ制度にせよ同性パートナーの権利擁護を求める動きには懐疑的な立場を採っているが注5、そのあまりの無邪気な物言いに、返した言葉は当たり障りのないものになってしまった。
「ねー。結婚じゃないみたいだけど、なんかやってるよね」
 別の日に、またある人が言った。
「どこかの大学生がゲイをバラされて自殺したんだってね。可哀想だねえ」

注5: マサキチトセ「排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流『LGBT運動』と同性婚推進運動の欺瞞」『現代思想』青土社、2015年10月号。

 そう、どちらもLGBTの認知度が上がっていること、LGBTに好意的な人(アライと自覚・自称するしないにかかわらず)が増えていることが、私の日常生活にも現れている証左ではある。LGBTのロールモデルも無く、家族や親類、友人にもLGBTの存在が無かった(少なくとも無いということになっていたし、私の知るところではなかった)十代の頃に比べたら、こうしてLGBTが存在するということが知れ渡っていて、それを攻撃の対象とするのではなく「LGBTフレンドリー」な態度を採用する人が多くいる現状というのは、本当は手放しで喜びたいものなのだ。

 しかし「LGBTフレンドリー」な言葉を発した同じ口から民族差別や人種差別に基づく気軽で安易なヘイトがふと漏れ出すとき、私の心はざわつく。ひとつには、こうした「LGBTフレンドリー」な文化の増大に民族マジョリティである自分自身が大きな恩恵を受けているという事実と、ゆえにこの「LGBTフレンドリー」な文化はあくまで「『日本人』LGBTフレンドリー」でしかないという事実に直面するからである。

 冒頭で紹介した「そんなことより北朝鮮のミサイルのほうが怖いよ(笑)」と言った客も、LGBTに寛容な態度を持つ人間だった。彼は、すぐ隣りに座った自分の連れの女性が在日コリアン二世であることを知っていただろうか。軽くアハハと笑って受け流して別の話をし始めたこの女性がどう感じていたかは分からないが、目を背けた私は少なくともそのとき、ヘイトに直面し対抗・抵抗することからだけではなく、彼女からも目を背けたのだと思う。あたかも、ヘイトに巻き込まれなければ無罪でいられるかのように。

 しかしマジョリティがヘイトを「受け流す」「聞こえないふりをする」「同調する」などして許してしまうことは、ヘイトへの加担に他ならない。ヘイトの対象に当てはまるマイノリティにとっては、ヘイトに抵抗することで更なるヘイトを浴びせられるリスクがあり、受け流すことにも精神的苦痛が伴ったり、差別的待遇が温存されるというリスクがある。その狭間に置かれ、生き延びるための選択を日々迫られるマイノリティと違って、マジョリティは抵抗することにも受け流すことにも大きなリスクは伴わない。カウンターの中で足元に目をやりその場をやり過ごした私は、どちらのリスクも負わない、最も楽な道を選んだのだ。

 私の心がざわつく理由はもう一つある。それは、その「LGBTフレンドリー」な文化すらもあまりに気軽で安易なもので、何かあればすぐに瓦解するようなものなのではないか、この私が受けている恩恵は薄氷の上を歩かされているだけなのではないかという不安がどっと押し寄せるからだ注6。つまり、私がいわゆる「日本人」ではなかったら、私が婚姻制度そのものの解体を唱える論者であることを知られたら、あるいは自殺した一橋大学の法科大学院生に適用されたようなついて「可哀想だねえ」と感じる人が彼に投影したであろう「悩める青年」のイメージにそぐわないと判断されたら、私は現在の「LGBTフレンドリー」の対象から外されるのかもしれない。

2018.7.30 @yoko_counter さんのご指摘をうけ、表現を一部変更しました。

注6: 気軽で安易な「LGBTフレンドリー」な文化の良い例として、電通ダイバーシティ・ラボが2016年の東京レインボープライドに出展したブースで発行した「アライセンス」(連帯を表すアライアンスと、許可証などを表すライセンスという言葉を合わせた造語)がある。参考動画:マサキチトセ「LGBT当事者から信用を失うたった4つの方法」YouTube、2016年7月21日。https://www.youtube.com/watch?v=dOCs4T8min4

異なるマイノリティをつなげる「ヘイト」概念とその限界

 もちろん、気軽で安易なヘイトがLGBTを標的とすることも多々ある。「ホモ」「レズ」「オカマ」などといった言葉で同性愛者を嘲笑の対象とする文化は大手メディア上でこそ少なくなっているものの、依然として人々の日常生活には溢れている。更にそうしたホモフォビア(同性愛嫌悪)は、民族マイノリティや人種マイノリティに向けられる気軽で安易なヘイトや「日本すごい」言説と同様、異性愛者同士の相互承認や連帯感の向上のために用いられる側面がある(イヴ・K・セジウィック『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』など参照)。また一方で、上で見たようなモデルマイノリティやトークンマイノリティの問題も、LGBT差別のみならず民族差別や人種差別、障害者差別、性差別など様々な差別問題に内包されるものだ。

 あらゆる差別問題に共通の構造があると気づくことは、「差別とヘイトのない社会へ」の名のもとにマイノリティが連帯し、一つ一つの問題だけではなく複合差別にも抵抗しながらより望ましい社会を共に形成していくことについて、希望を与える。あらゆる運動が培ってきた知見や実績を持ち寄ることで、ヘイトに対抗するための共通の枠組みを構築することができるだろう。実際そのような観点を持ちながら様々なマイノリティや社会問題に関する運動に横断的に参加する人々も増えている(反原発、反戦争、護憲、反ホモフォビア、反排外主義など)。

 実際ここ3〜4年の間に、反差別の運動の中で日本語の「ヘイト」という言葉が急速に広まった。しかしそれに伴い、あらゆる差別問題を「ヘイト」という一つの概念で説明できるかのような言説も広がりを見せつつある。本来「憎悪」や「嫌悪」を意味するヘイトという言葉は、だが決して差別問題の根本的原因ではない。それは差別構造の表出する一つのあり方(manifestation)であり、医療的な言葉で言えば「症状」に当たる。同じ頭痛という症状を抱えていても複雑な人体構造の中でその原因は一つではないのと同様に、ヘイトもまた、複雑に絡み合う差別的な社会構造や文化意識の中で誰もが重層的な立場性を持ちながら構成している社会において表出する症状に過ぎない注7。そこを見誤ることは、差別の個人化(憎悪という心のあり方こそ解消すべきものであるとする考え方)につながり、結果的に差別構造を維持してしまうことになりかねない。

注7: 医療のメタファーを用いることは、病気や障害を「悪いもの」とみなす言説を強化するというリスクを常に抱える。ここではヘイトを「症状」としているが、決して病気や障害による症状をヘイトと同等の悪質なものであると主張しているわけではないことを了解いただきたい。

 これまでの社会運動の歴史を振り返ってみれば、それぞれの運動が持つ枠組みを統一することよりも、枠組み同士の不整合がその後の運動の発展を生み出すケースが多い。たとえば女性運動は黒人運動や障害者運動、移民運動、クィア運動などとともに発展してきたが、その歴史には多くの衝突があったし、現在もその緊張関係は維持されている。様々な差別や抑圧の相互関連性や交差を表すインターセクショナリティという概念は、こうしてマイノリティ同士、運動体同士の衝突の歴史の中で少しずつ形成されてきたのだ。

差異か同一かを超えて

 以上見てきたように、民族マイノリティや人種マイノリティに対してのヘイトとLGBTに対してのヘイトには、共通点が多くありつつも、大きな違いがある。膨大な歴史的差異があることは当然だが、それに加えて過去約10年にわたる「行動する保守」の勃興や、上に詳しく見たLGBTを取り巻く状況のここ3〜4年の変容を経て、それぞれの当事者が見る社会的景色はよりいっそうかけ離れたものになっているだろう。もちろん、LGBT差別よりも民族差別や人種差別のほうが深刻だというわけではない。どちらがより「マシ」なのかという議論は何の生産性も無いし、一つの観点から「マシ」に見えたとしてもそれが全体の状況を正しく把握できているという保証もない。しかし近年の主流LGBT運動は、明確に自分だけが「マシ」になろうとする方向性を指向してきた。

 一見、特定のイメージのLGBT当事者以外を切り捨てることで主流LGBT運動が醸成に熱を入れているこの気軽で安易な「LGBTフレンドリー」文化が置き去りにするものをすくい上げるのは、「ヘイト」という共通問題の解消に向けての連帯のように思える。しかしあらゆる差別はそれぞれ「別の問題」でも「同じ問題」でもなく、同時に存在し、相互に影響し合う、複雑に絡み合った、差異のある問題だ。差異があるから別問題だと切り離し、切り離すことでその差異を拡大させているのが現在の主流LGBT運動のあり方だとしたら、一方で共通点ばかりに気を取られて同一の問題のように扱うのは、「ヘイト」への抵抗の名のもとに反差別運動に携わる私たちが陥りやすい考え方だ。どちらも社会構造の根本的な問題解決にはつながりにくい。

 求められるのは、「ヘイトの被害者」という単純な共通項に委ねた怠惰な連帯ではなく、互いの差異を時に痛みを伴いながら認識し、決して解決することのない緊張関係を受け入れ、そこから生み出される新しい知見や経験、つながりを歓迎することだろう。そうした実践はこれまでもあらゆる運動においてなされてきたし、今まさにあらゆる現場で——草の根運動の場で、主流運動の内部で、日常生活で——日々実践されている。主流運動の大きな流れに抗い、そうした実践により一層の広がりを持たせるためには、「ヘイト」への抵抗という抽象的な連帯を超えて、自分の受けている抑圧のみならず、他のマイノリティの抑圧と抵抗の歴史や、その抑圧を可能にしている具体的な社会構造について知ろうとする努力が必須であろう。

 LGBT当事者が直視しなければいけないのは、現在の日本で民族マイノリティや人種マイノリティが受けている「ヘイト」とLGBTが受けている「ヘイト」は決して同じたぐいのものではないということ、それらのヘイトを生み出している構造も歴史的背景も同じではないということ、そして、排他的な主流LGBT運動自体の振る舞いもまたその構造の一端を担っており、むしろ差異を生み出している要因の一つであるという事実だ。これはつまり、一方の問題を解消するための動きがもう一方の解消につながらないこともあるばかりか、もう一方の悪化に加担すらしてしまいかねないことを意味する。具体的には、主流LGBT運動による切り捨てもまた、日本社会の排外主義から影響を受けつつ、それに貢献してしまっているということだ。そこでは、複合マイノリティの存在は無視され、引き裂かれている。

 主流LGBT運動が他の被差別マイノリティに対して概ね無関心であるばかりか、LGBTコミュニティ内部にいる複合マイノリティの存在すら当事者が声を上げ続けなければ忘れられてしまうような状況にあるなか、差別に抵抗しようとするLGBT当事者——特にLGBTである点をのぞけばマジョリティであるような当事者——は今後一層インターセクショナリティを意識し続ける責任を負っていると言えるだろう。

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マサキチトセ Written by:

評論家・ライター・イラストレーター・動画クリエイター。1985年生まれ。栃木出身、NZとUSを経て現在は群馬在住。シカゴ大学大学院修士課程中退。ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています🏳️‍🌈 性暴力サバイバー。