【全文】あなたが書けたかもしれない紙面を奪ってまで(現代思想2020年10月臨時増刊号掲載)

この文章は『現代思想2020年10月臨時増刊号「総特集=ブラック・ライヴズ・マター」に掲載された文章を、筆者自身の手元にある原稿データ及び書籍版を基にウェブ用に体裁を整えたものです。

全文

 今年(2020年)5月下旬のジョージ・フロイド氏の事件。
 ツイッターの英語アカウントのタイムラインで知り、その後数日間はずっとインターネット上でこの事件について調べていた。(はらわた)の煮えくり返るような思いだった。

 私が状況をある程度把握できた頃には、既に抗議活動が始まっていた。活動はどんどん大きくなり、ブラック・ライヴズ・マター運動(警察による暴力 police brutality への抵抗の連帯として以前から存在していた運動。以下、BLM 運動)として瞬く間に米国内外に広がった。
 警察による暴力は、私にとって重要な問題だ。これまでも時折ブログやユーチューブ動画で警察による暴力に言及してきた。この問題は人種差別やセックスワーカー差別、トランスジェンダー差別と密接に結びついており、私自身の家族や親戚、友人に、実際に警察による暴力を経験した人や、それを恐れながら生活している人がいるからだ。
 だから今回の事件を受けて、私も BLM 運動についてツイッターやフェイスブック、ユーチューブで発信をし始めた。英語で発信されている情報を日本語に訳したり、日本語で書かれた黒人差別に関する情報の拡散をしたり、以前自分が書いた記事を再度紹介した。日本で行われる BLM 活動の拡散をしたり、黒人差別に関する統計を引用した英会話レッスン動画を出したり、BLM 運動に対する反対意見への反論を書いたりもした。

 私がこのように日本語で BLM 運動に関して発信をした背景には、英語で情報を得ることができること、差別問題を専門に大学院まで学術的訓練を受けたこと、かつて黒人の住む地域の端っこに住み地域住民と関わりと持っていたことなどがある。自分にできること、すべきことをしようという意気込みがそこにはあった。
 しかし、途中で私はふと立ち止まって考えてしまうことになる。BLM 運動について発信していると、何十、何百といいねやリツイートが付き、フォロワー数が増えていくのだ。最初は単に、そうやって黒人差別に関心を持つ人がいることを喜んでいた。BLM 運動や黒人差別については日本語の情報がまだまだ少ないから、自分の発信が役に立っている実感もあった。
 しかし反応がどんどん増えていくにつれ、自分が「BLM 運動というトレンドに乗っかって自分を売り込んでいるライター」に見えてきた。日本語で日本の人々に「事情通」さながら米国について教えてあげる、という上から目線が、そこにはあるのではないか? そう思うと、自分の発信が単なるセルフ・ブランディングにしか思えなくなった。
 ちょうどそんな時期に、ある人がツイッターで日本における黒人差別の先行研究を紹介していた。私はそれらの研究をひとつも知らなかったのだ。
 私はいったい、何を、誰のために、どの面下げて語っていたのだろう?

 私は黒人差別の当事者ではない。警察による暴力に怯えながらの生活を強いられてもいない。
 ——こういったことは当事者が語るべきなのではないか。
 ——いや、当事者に語りを強要することだって差別的なことだ。
 ——むしろ当事者でないからこそ、声を上げるリスクが低いのだから語るべきではないか。
 ぐるぐると考えた。当事者性の問題は黒人差別に限らず差別問題につきものだ。たいていは極端に当事者にも非当事者にも限定することなく、主に当事者の声に重きを置きつつ非当事者の声も切り捨てはしない、というあたりに落ち着く。
 しかしこの時点ではまだ、インターネット上で日本語で黒人差別について語っている人の中に黒人は全然いなかった。少なくとも、あからさまに当事者以外しか揃っていない場で物事が語られるのはおかしい。

 そんなことを考えていた時期に、青土社から原稿執筆依頼があった。トピックは、ブラック・トランス・ライヴズ・マター(以下、BTLM)。正直、なぜ私にこの依頼が来たのか分からなかった。私は黒人でもないし、色々と揺れつつもノン・バイナリー(性別二元論の枠組みに与しないあり方)ではあるが、この社会でトランスジェンダーとして生きることの困難について実体験していることは非常に少ない。
 依頼文を読めば、編集者が私のこれまでの記事をいくつも読んでいることは分かった。その上で真剣に私を選んでくれたのだろうという誠意も伝わってきた。しかしそれは、BTLM を語るのに私が適任であることを意味しない。依頼文にはその時点で執筆候補者リストもあった。名前の横には仮のタイトルも。しかし、なぜこの人に? と思うものが少なくなかった。また、既存の文章の翻訳などではなく本特集に寄せて書き下ろしを執筆する予定(当時)の書き手に、黒人であることを表明している者が一人しかいないことも気になった。
 ——あからさまに当事者以外しか揃っていない場で物事が語られるのはおかしい——
 思っていた事態が、まさに目の前で作られようとしている。私は、失礼を承知で別の執筆者を紹介した。日本で BLM 運動を行なっている黒人のトランス当事者(以下、A)だ。

 編集者は A について調べた上で、私の提案を受け入れた。A が依頼を引き受けてくれたので、黒人トランス当事者による記事が少なくとも一本は含まれることになった。もちろんそれは形式上マイノリティを揃えるだけのトーケニズムではあるかもしれないが、ゼロよりはよっぽどマシだ。
 しかし、残念なことに A のやむにやまれぬ事情で執筆ができなくなったと連絡があった。果たして状況はふりだしに戻ってしまった。別の執筆者を立てること、刊行自体を遅らせることなど様々な可能性を模索したそうだが、時間的な制約が大きく、編集者の苦渋の決断は、再度私に原稿依頼を出すことだった。
 これが意味するのは、日本における黒人の論者の少なさだろうか。あるいは黒人の論者はいるのに、編集者のリサーチが不十分だったのだろうか。それとも実際黒人の論者は少なくて、その背景に黒人が日本で論壇に入ることを困難にさせている差別があるのだろうか。日本で生まれ育ち、日本語を第一言語とし、教育を受ける機会に大いに恵まれた私には『現代思想』という最も有名な部類に入る学術雑誌から2015年に続き今年も依頼が(二度も)来たというのに。

 私は、書きたいと思えば載せてもらえる媒体がある。「〇〇について書きたいのですが」とメールで相談できる編集者が複数いる。そして掲載されれば自分のブログに書くよりよっぽど多くの人の目に留まる。原稿料までもらえる。執筆歴が増え、ライターとしてのキャリアにプラスに働く。今は多くのライターが非常に安い原稿料で買い叩かれており、書いても損をするケースもある中、私は幸運なことに書いた分だけ得をする。
 ——でも、書いた分だけ得をする私は、書いていいのだろうか?
 ——自分のことや、自分が当事者にあたる問題についてならいざ知らず、BLM 運動や BTLM など他人の生き死にに関することなんて、書いていいのだろうか?
 ——誰か当事者が書くことができたかもしれない紙面を奪ってまで、書いていいのだろうか?
 同じことは、原稿料に頼らずとも生きていけるテニュアのある大学教員などにも言える。もちろん、研究の成果を論文だけでなく学術雑誌や他のメディアに発表することや、自分が受けてきた学術的訓練を基にした論考を公の場に出すことは公共性の高い行為だ。しかしそれはやはり誰か当事者が書くことができたかもしれない紙面を奪っているのだ。さらに言えば、生活がかかっていないが故に原稿料を交渉する必要もない研究者たちは、必然的にライターを含めすべての執筆者の原稿料の相場を下げてしまっている。この特集の他の執筆者がこれを読んでいるかは分からないが、もし読んでいたら、自分がこの特集の記事を執筆したということの意味を深く考えてほしい。

 しかし結局私は執筆することにした。BLM 運動や BTLM に対して誠実であろうとすれば、私の選択肢は「書かない」の一択だ。だが私が書かないことになれば BTLM についての記事はゼロになってしまうかもしれない。そんな特集が世に出るくらいなら、書くことの暴力性を引き受けてでも書いたほうがマシだと思ったのだ。
 編集者に出した条件は、私に再依頼が来るまでの経緯について書かせてもらうこと。それ以外に私が書けることは無いからだ。もちろん聞き及んだ知識を総動員して、厚顔無恥にも BTLM について語ることはできただろう。しかしどうせ紙面を奪うなら、今回の特集において黒人のトランス当事者による記事執筆が無かったという事実を書くことを私は選ぶ。
 驚くことに、この提案は通ってしまった。編集者は私の問題意識に耳を傾け、とてもよく理解してくれた。振り返ると、編集者とのやりとりは全部で16回に及んでいた。それが結実したものがこの記事である。
 日本で BLM 運動や BTLM を語る論者や取り扱う媒体は今後も存在し続けるだろう。読者には、自分がそうした立場になったとき、ぜひこの記事を思い出してほしい。全くもって完璧ではなかったが、編集者と論者が誠実になろうともがいた記録としては、何かの役に立つかもしれないと思っている。
(了)

初出:『現代思想2020年10月臨時増刊号「総特集=ブラック・ライヴズ・マター」

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ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。