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今年(2020年)5月下旬のジョージ・フロイド氏の事件。
ツイッターの英語アカウントのタイムラインで知り、その後数日間はずっとインターネット上でこの事件について調べていた。腸の煮えくり返るような思いだった。
私が状況をある程度把握できた頃には、既に抗議活動が始まっていた。活動はどんどん大きくなり、ブラック・ライヴズ・マター運動(警察による暴力 police brutality への抵抗の連帯として以前から存在していた運動。以下、BLM 運動)として瞬く間に米国内外に広がった。
警察による暴力は、私にとって重要な問題だ。これまでも時折ブログやユーチューブ動画で警察による暴力に言及してきた。この問題は人種差別やセックスワーカー差別、トランスジェンダー差別と密接に結びついており、私自身の家族や親戚、友人に、実際に警察による暴力を経験した人や、それを恐れながら生活している人がいるからだ。
だから今回の事件を受けて、私も BLM 運動についてツイッターやフェイスブック、ユーチューブで発信をし始めた。英語で発信されている情報を日本語に訳したり、日本語で書かれた黒人差別に関する情報の拡散をしたり、以前自分が書いた記事を再度紹介した。日本で行われる BLM 活動の拡散をしたり、黒人差別に関する統計を引用した英会話レッスン動画を出したり、BLM 運動に対する反対意見への反論を書いたりもした。
私がこのように日本語で BLM 運動に関して発信をした背景には、英語で情報を得ることができること、差別問題を専門に大学院まで学術的訓練を受けたこと、かつて黒人の住む地域の端っこに住み地域住民と関わりと持っていたことなどがある。自分にできること、すべきことをしようという意気込みがそこにはあった。
しかし、途中で私はふと立ち止まって考えてしまうことになる。BLM 運動について発信していると、何十、何百といいねやリツイートが付き、フォロワー数が増えていくのだ。最初は単に、そうやって黒人差別に関心を持つ人がいることを喜んでいた。BLM 運動や黒人差別については日本語の情報がまだまだ少ないから、自分の発信が役に立っている実感もあった。
しかし反応がどんどん増えていくにつれ、自分が「BLM 運動というトレンドに乗っかって自分を売り込んでいるライター」に見えてきた。日本語で日本の人々に「事情通」さながら米国について教えてあげる、という上から目線が、そこにはあるのではないか? そう思うと、自分の発信が単なるセルフ・ブランディングにしか思えなくなった。
ちょうどそんな時期に、ある人がツイッターで日本における黒人差別の先行研究を紹介していた。私はそれらの研究をひとつも知らなかったのだ。
私はいったい、何を、誰のために、どの面下げて語っていたのだろう?