1月にはトラック(楽器部分)はほぼ完成してたんだけど、なかなか気に入ったメロディーと歌詞が思い付かず、8月になってしまいました。 今回の歌詞は自分の個人的な出来事とだいぶ重なる部分が多いのであまり公に説明するのは憚られる...
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【全文】あなたが書けたかもしれない紙面を奪ってまで(現代思想2020年10月臨時増刊号掲載)
私が状況をある程度把握できた頃には、既に抗議活動が始まっていた。活動はどんどん大きくなり、ブラック・ライヴズ・マター運動(警察による暴力 police brutality への抵抗の連帯として以前から存在していた運動。以下、BLM 運動)として瞬く間に米国内外に広がった。
【出演します】「企業で輝く女性/LGBT」が増えたところで一体何が変わるんでしょう?【12/14・オンライン】
実は卒業して初めて母校に声をかけられ、イベントに参加することになりました。主催は ICU を中心としたインターカレッジ学生サークル PRISM。
ジェンダーが無くなればトランスジェンダーも無くなるのか
前回に引き続き、トランスジェンダーの話題に触れたい。
ツイッターを芋づる式にいろいろ見ていたら、「ジェンダーが無くなれば、トランスジェンダーというあり方も無くなる」という意見が目に入ってきたからだ。いわく、ジェンダーの解体こそが目指されるべきなのだから、トランス女性やトランス男性のようにジェンダーというシステムに裏付けされた女性性や男性性という概念を前提とする存在はジェンダーの解体に逆行していて問題だ、という主張だ。
これに同調する別の人のツイートには「性別による差別があり、それをジェンダーと呼んでいるのだ」とあった。
まず「ジェンダー」が何を意味しているのか、私の解釈——社会学やカルチュラル・スタディーズ、女性学、哲学などの分野ではある程度支持されている解釈だと私が思うもの(※)——を手短に説明したい。
【出演します】書評会:吉野靫『誰かの理想を生きられはしない——とり残された者のためのトランスジェンダー史』【12/13】
先月出版された、吉野靫さんによる『誰かの理想を生きられはしない――とり残された者のためのトランスジェンダー史』のオンライン書評会(Zoom)に全体評者として参加することになりました。 参加費は無料ですので、ぜひ末尾の参加...
【出演します】オンラインイベント『ダイバーシティにふれる』
7月5日(日)、午後3時から出演します。本当は3月にやるオフラインイベントだったのですが、感染症拡大の影響で延期になっておりました。以下、詳細です。※チケットの購入はURLからお願いします。 「ダイバーシティが認められ...
あなたがたは見分けがつかないから
英語に "You fit the description" という表現がある。日本語にすると「あなたがそのように見えたから」。スラング等の意味を少し面白おかしく解説する投稿型辞書サイト Urban Dictionary によると、"[p]hrase that police use to justify arresting any African American in any situation" つまり「状況にかかわらずアフリカ系アメリカ人(黒人アメリカ人)を逮捕することを正当化するときに警察が使うフレーズ」である。
私はかつて在籍したシカゴ大学で、このフレーズをタイトルに冠したイベントに参加した。2011年のことだ。多文化共生や LGBTQ を扱うセンターで、そこに出入りしていた有色人種の学生が中心となって開催したイベントだった。
このイベントの Facebook ページには、過去18ヶ月のあいだに大学警察が逮捕した人数のうち50%以上が黒人あるいはラティーノ・ラティーナだったとあった。「大学全体では10.4%しかいない黒人・ラティーナ・ラティーノの学生がこれだけ高い被逮捕率になるのは変だよね?」というのが、イベントの Facebook ページにも書いてある。
書評『セックスワーク・スタディーズ』(女性学年報第39号掲載)
2011年9月1日歌舞伎町でビル火災。死者44名。
これは、今年9月に刊行された『セックスワーク・スタディーズ:当事者視点で考える性と労働』(SWASH編・日本評論社)の巻末付録「日本の性風俗年表」に記された21文字の史実です。本文より前に年表に目を通した私はしかし、この出来事を特に感想もなく読み流しました。
44人も亡くなってしまったのか。それは大変だったね。他にもいろんな出来事があったんだな。年表にまとまってるとわかりやすいよね。さて、本文を読み始めるか——そんな具合に。
「LGBTではないフツーのひと」に考えて欲しいと思う10のこと(2018年版)+動画あり
「LGBTではないフツーのひと」って、誰だろう?
「フツー」って、どんなことを指すんだろう。
そんなことを思いつつも、でも、「LGBT」と「フツーのひと」は分けて考えられてしまうことが多くて、日常的にもやっぱり、自分のことを「自分はLGBTではないフツーのひとだ」と思っている人はたくさんいるっていう実感があります。
この文章は、そんな人たちへのお手紙のようなものだと思ってください。
マサキチトセのニュースレター第2号(2018年8月28日)
人の声を勝手に代弁することがいかにダメなことか、ゆるふわな方のブログで以前ゆるっとふわっと書きましたが(舞い散る喪ゲイ『土俵際の南浦和』)、先日は「活動家はLGBTの代表ヅラするな」といったことを主張するゲイ男性が「日本...