自民党の委員会がLGBTについてラディカルなこと言ってるけど多分気づいてない件

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昨日4月27日、自由民主党政務調査会および性的指向・性自認に関する特命委員会が、「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」として2つのPDF文書を公開しました。

感想を Twitter にでも書こうかなと思っていたのですが、思ったより書きたいことがあったので、PDFに細かくコメントを付けました。
マサキの注釈付きPDF (1)(2)

よかったらご覧になってください。(※注釈機能を使っていますので対応するブラウザかアプリで見てください)

さて、その中でも私が注目すべきと思った点について、以下に詳しく感想を書きます。

(追記・2016年4月28日11:45)この記事を公開した直後に自民党が法案提出の予定を公表し、更に野党との修正協議も行わないと明言しました。この強硬姿勢には強く反対しますし、自民党が単独でLGBT関連の動きを作っていくことにも大きな不安があります。どうしょうもない。最低。

「カムアウトする必要のない社会」ってすごい理想高いけど大丈夫?

今回の文書では、自民党の立場として明確に「カムアウトできる社会ではなく、カムアウトする必要のない社会を目指す」と書いてあります。

このブログ記事のタイトル「自民党の委員会がLGBTについてラディカルなこと言ってるけど多分気づいてない件」というのは、この点についてです。

文書では、「当事者が自分にウソをつかない、自分らしい生き方ができる社会」を目指すということ、そして「カムアウトする必要のない、互いに自然に受け入れられる社会」を目指すということが書かれていますが、この2つを両立させると、それは「誰も異性愛やシスジェンダーだと思い込まれない社会」が生まれるはずです。

つまり、人が勝手に他人を異性愛者だともシスジェンダーだとも思い込まない社会、カムアウトする必要もないほど「標準」「前提」「普通」としての異性愛とシスジェンダーが想定されていない社会を、自民党が「目指す」と公言したわけです。

「カムアウトできる社会」の実現は、異性愛中心主義もシスジェンダー中心主義も温存したままで可能です。しかし今回「目指す」と言われている「カムアウトする必要のない社会」の実現には、異性愛中心主義とシスジェンダー中心主義の解体という更にラディカルでクィアな社会変革が必要となります。ホモフォビアだって撲滅しないと「互いに自然に受け入れられる社会」は実現できませんよね。(※この点に関しては以前インデペンデント・マガジン Pe=Po vol.1 に掲載された『「カムアウトできる」「カムアウトできない」というレトリックの問題』にも書きました。)

私としては願ったり叶ったりです。

でも、保守の自民党の立場としては信じがたい。もしかして、カムアウトする人を減らしたい、めんどくさいことを言う人を減らしたいという思いがあって、そのために言葉と論理をこねくり回していたら意図せずすごくラディカルなことを書いてしまった、ということなのではないかと疑ってしまうレベルで、信じがたいです。

差別禁止法の危険性についての指摘が(たぶん偶然)鋭い

以前から動きはあったのですが、今回明確に「差別禁止法ではなく理解促進法を」という方向性が文書に書かれています。その根拠として「必要な理解が進んでいない現状で罰則をつけた過度な差別禁止等を行うことはかえって予期せず加害者となってしまう方を作ってしまうことになる懸念があること、また差別禁止が独り歩きすると、かえって周囲が萎縮してしまい当事者が孤立する結果を招く可能性もあること」などが挙げられています。

何年ものあいだ米国では差別禁止法の保護対象にLGBTを含めるよう求める運動が進んでおり、実際オバマ政権が昨年公務員だけでなく政府からの委託事業を請け負う民間業者にもLGBT差別を禁止するという動きもあり、世界的にはLGBTにかんする何らかの差別禁止が法制化される方向に動いています。

そして実は、こうした動きに懸念を表明しているクィア活動家も少なくないのです(私も同様の立場です)。そしてその懸念の内容は、なんと自民党の今回の文書で書かれている懸念ととても似ているのです。

それは「予期せず加害者となってしまう方を作ってしまうことになる懸念」という部分。ただしその背景にある思想は、自民党の考えとはかけ離れているでしょう。

米国では懲罰的司法制度(警察・刑務所・裁判所などの総体)が特定の人種、主に黒人男性に不利に働く傾向が非常に強く、またセックスワークをしていたり、クロスドレッシング(異性装)をしている人に対しても、不利に働く傾向があります(黒人MTFセックスワーカーだった日には、不利も不利、びっくりするくらい不平等に扱われます)。

こうした背景があり、米国のラディカルなフェミニストやクィア活動家、黒人活動家、セックスワーカー活動家などは、そもそも司法制度に常に一定の警戒心を感じています。

そんな司法制度の不備が歴史上連綿と継承されている社会において、ヘイトスピーチ禁止法や差別禁止法に新たにLGBTを含めたり、あるいは新しい法律を作って罰則を設けることは、そもそも存在する人種差別、民族差別、階級差別、職業差別などに加担することになってしまうではないか、という考えがあります。

つまり、「私たちを守るために法律を!と主張して実現に至った結果、私たちや仲間や家族や友人や近隣住民が逮捕される理由を増やすだけになる」という不安が、一定の説得力を持っているということです。

また、司法制度自体の不平等が解消される方向に動いたとしても(時代とともにマシになってきてはいます)、実際には今回タックスヘイブンの問題でも明らかになった通り、同じ悪さをしていてもうまく罰を逃れる方法を思いつく人たちというのがいます。そしてそういう人というのは、教育や知識の面で比較的有利だったり、社会的地位が高く信頼されていたり、エリート文化を内面化していたりと、社会の中で良い思いをしやすい状況の人たちです。

一方で、既に人種差別や民族差別、階級差別、職業差別などを受けている層というのは、司法制度において不利であるだけでなく、社会のどこにいても教育の機会に恵まれなかったり、知識を得る機会に乏しかったり、社会的信頼が低かったり、そもそも「教育を受けたい」「知識を得たい」「社会的地位を向上したい」などと思う価値観が醸成されるような文化的環境で育っていなかったりといった傾向があります。

ヘイトスピーチ禁止法や差別禁止法ができたところで、同じ罪を犯しても例えば大企業の役員はうまく罰を逃れるでしょう。実際には差別をしているのに、証拠を残さないように工夫したり、差別ではないと主張する根拠を用意しておいたり……。一方、地方で働く末端労働者などは逮捕されてしまう可能性が高いと思われます。

こうした理由から、ヘイトスピーチ禁止法や差別禁止法には、大きな懸念が一部活動家などから表明されています。

一方で自民党の今回の文書ですが、「予期せず加害者となってしまう方を作ってしまうことになる懸念」が結果的に米国の一部活動家の懸念と似ています。「自民党の委員会がLGBTについてラディカルなこと言ってるけど多分気づいてない件」その2です。

私自身もこの懸念を共有しており、よって差別禁止法ではなくまず理解促進法、という方向性には同意せざるを得ません(もちろん理解促進法の内容や実施状況がまともなものであればという条件付きですが)。

しかし、保守の自民党が本当に同じ思想的背景に基いてこの懸念を感じているのか、大きな疑問があります。

むしろ自民党は、うまく罰を逃れる方法を思いつくような狡猾な人たちを守るために、こうした懸念を根拠に差別禁止法ではない理解促進法をすすめようとしているのではないかとすら邪推したくなります。うまく罰を逃れる方法をエリート層に対して用意するまでの時間稼ぎなのではないか、と。

LGBTの話をしてれば女性差別は放置でいいと思ってない?

ここからは「意図せずラディカル」でも何でもない、ベタな内容に対するベタなコメントになります。

文書中、何度も何度も「これは『ジェンダーフリー』論とは全く違いますよ」という但し書きみたいな言葉が出てきます。

10年位前にネット上で一気に叩かれた「ジェンダーフリー」論ですが、これについては荻上チキさんが「ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ」という資料にまとめてくれていますので、ぜひ、ぜひ読んで下さい。

「性差を否定する『ジェンダーフリー』論とは違いますよ!」と何度も念を押すこの文書ですが、そもそも「性差」とは、「否定する」とは、何を指しているのでしょうか。

「性差を否定する」ことが性別役割分業(女はこうするべき、男はこうするべき)や性別二元論(人間には男と女しかいない)を拒絶し、批判し、解体しようとすることであれば、それは何ら悪いことではないと私は思っています。

ただし、この文書は自民党が出したもので、自民党の支持層にも読まれることを想定しているでしょうから、今回のこの委員会の動きを既存支持層に納得してもらうためにあえて「ジェンダーフリーとは違う」と書いている、つまり保守的な自民党を支持するような女性差別に親和的な層に向けて「ジェンダーフリーに反対だからと言って今回のこれにも自動的に反対の立場を取るのはやめてね」とメッセージを出しているのだろうとも解釈できます。

であれば理解できなくもないところですが、2つ心配があります。

1つめは、渋谷でパートナーシップ制度が成立する際に「女性センター」が「ダイバーシティセンター」に名称変更となったことなどもありましたが、保守層の中には女性差別を温存したいという思いは強くありつつも、対外的に印象が良く世界的流行の最先端風を装えるLGBT支持を表明するタイプの人が一定数います。(昨年10月の『現代思想』でもこれに触れています。)

2つめは、そもそも自民党というのは、上で紹介した荻上さんのまとめにもある通り、ジェンダーフリー論争のときに「過激なジェンダーフリー」として数々のデマ事例を世に広めた張本人です。この問題はうやむやにされたままです。それにもかかわらずこうして今でも公に「ジェンダーフリー」という言葉・概念をかつての解釈のまま文書で使うというのは、無責任かつ確信犯的です。

更に今回の文書からも自民党の女性差別的な姿勢がうかがえます。

「わが党の基本的な考え方」の冒頭「1.歴史的経緯」は、日本が歴史的に性の多様性に寛容だったという日本特殊論・ナショナリズムで唐突に始まります。これは保守的な支持層に対する単なるリップサービスだろうとは思うのですが、ここで例に挙げられている「歌舞伎の女形」「とりかへばや物語」が、例として不適切なのです。

まずそもそも、歌舞伎の女形も「とりかへばや物語」も非常に女性差別的、ジェンダー的な文化を表しています。性の多様性についての今回の文書で、どうしてこれらを例に出そうと思ったのか、感覚が理解できません。

また、「とりかへばや物語」は男女入れ替わっての生活が最終的に元に戻るというストーリーなので、例としての不適切さは明らかではないかと思います。

ホルモンと手術の保険適用を目指すのはいいね!

性別適合手術のあとに受けるホルモン療法はこれまでも保険が適用されていました。しかしそれ以外の性別適合手術自体、手術前の各種医療サービスなどについては、個人で莫大な資金を用意しなければならない現状です。

(追記・2016年4月28日18:45)畑野とまとさんより、この箇所について訂正を頂きました。制度として手術後のホルモン療法が保険適用になっているのではなく、一部の病院が好意で「卵巣もしくは睾丸の欠損症」とみなすことで保険適用にしている場合があるとのことです。畑野さんありがとうございます。

こうした理由から、貯金をするために劣悪な労働環境でも我慢して働いているトランスジェンダーの人も少なくありません。

つまり、もしトランスジェンダーの人々が受ける医療サービスが保険適用となったら、当事者や周囲にとって経済的負担や心理的負担が軽くなるだけではなく(それだけでも素晴らしいことですが)、トランスジェンダーの労働問題も大きく向上する可能性があるということです。

ぜひこの方向で進めてもらいたいと思います。

刑務所のLGBT問題にも言及してるのねビックリしたよ

政府に対する具体的な要望案には、上記保険適用のほかに「警察、消防、刑務所、災害時の避難所において、性的指向・性自認に関する理解促進を進め、当事者に対して適切な対応がとられるよう必要な措置を講じること」が含まれています。

東日本大震災以降「LGBTと災害」についての言説が急激に増えたこともあり、ここに「災害時の避難所において」と書かれていることにはあまり驚きませんでした。

一方で「刑務所」が含まれていることには、とても驚きました。

日常使うトイレにはじまり、刑務所や病棟、収容所など、社会には男女別に区切られた空間というのが多くあります。トランスジェンダーの人々にとって苦痛であるばかりか、特に隔離された刑務所などはLGBTにとって性暴力や性的嫌がらせの対象となるリスクの高い場所です。

刑務所において理解の促進と適切な対応が必要であるという認識を自民党が持っているということは、私にとっては期待以上、予想外のことでした。

一方で、更にここにオーバーステイの外国人などを収容している収容所なども明記して欲しいところです。しかし上で書いたような「女性差別は温存、むしろLGBT支持を利用して女性差別を温存」みたいな構図は、「外国人差別は温存、むしろ(以下略)」「難民差別は(以下略)」「障害者差別は(以下略)」などなど、色々な場面に登場するやり口です。(この点については、上智大学のワークショップで「わたしの〈クィア〉とあなたの〈クィア〉は違う:グローバルでないドメスティックなクィアの不可能性」と題して発表した通りです。)

何か他の差別の温存・強化とのバーターでLGBTへの施策が行われている可能性については、特にこれからLGBTの社会運動に携わる人々にとっては、常に警戒心を持って頭に入れておかなければならないことです。特に今回のように本来は保守的なはずの政治家などがLGBTに擦り寄るようなことを言ってきたときには、相手が何を言っているのかだけではなく、何を言って「いない」のかについても、注意深く観察する必要があります。

信教の自由の観点から配慮って、自分らもベッタリじゃん

これまた但し書きみたいな感じで、「宗教により、性的指向や性自認に関し一定の見方が存在することに対しては、憲法に保障された信教の自由の観点から、配慮が求められる」と書いてあります。

えっと、日本会議の会員リストアップしてみる…?

何が言いたいかというと、自民党と宗教右翼ってものすごく密接な関係がありますよね、ということです。

もちろん信教の自由は大切なんだけど、ここで言われている「配慮」が何を指すのか、どこまでの自律性を認めるのかというのは、すごく注意して見ていないと危ないと思っています。

まとめ

率直に感想を言うと「意外と悪くなかった」でした。

ここまでで書いてない不満といえば、「戸籍ぃ!? そんなん無い人だっているんだけど」とか、「外国人観光客も増加するしみたいな話は心の中にしまっておけよ」とか、「『わが国』とかキモい」とか、「性分化疾患に何度も言及してるくせに当事者の困難とか全く触れないんだね失礼極まりないですね」とか、「性的指向や性自認は自分が選ぶものではないってわざわざ書いてるけど、それを根拠にしたらダメじゃん」とか、そんな感じでした。

でも「カムアウトして生きて行きたい」と思っている人たち(主にLGBだと思いますが)や差別禁止法に賛成の人たちからしてみれば、クソみたいな文書としか思えないだろうなと思います。

それに、私が「意外と悪くなかった」と思った理由は上で説明した通り、恐らく自民党の委員たちの思惑とは遠く離れたところにあるので、実際にこの文書をもとに何かが実行され始めたときに私がそれを望ましいと思うかどうかは分かりません。(たぶんダメだろうな)

ただ、1つだけ言えるのは、この文書にある「現行制度の中で改善しよう」という姿勢は、私は個人的に好きだということです。

何か新しい法律、何か新しい団体、何か新しい財団、何か新しい施策、何か新しいビジネス、何か新しい(以下略)というのは、やってる人は楽しいし、利のある場合も多々あると思うのですが、米国の例なんかを見ていても、成功したとしてもシンボリックな勝利に終始する傾向があります。

シンボリックな勝利というのは、シンボル、つまり象徴としての勝利です。実際に何か当事者にとって大きなメリットが現実に発生するのではなく、あるいはそうしたメリットよりも重要なものとして、「勝ち取ったぞ」という社会に対するメッセージが価値を持つような勝利のことです。

シンボリックな勝利は人々の価値観の変化に貢献することもありますので、無価値ではありません。でもここ10年くらいの米国でのLGBT運動は主にシンボリックな勝利への執着心が増大した時代でした。

私はLGBTQ差別の解消だけではなく、女性差別の解消、外国人労働者やセックスワーカーの生活状況の向上に大きな関心があるので、自民党には全くと言っていいほど何の期待もしていません。下手に動かれても逆に色んな差別が強化されるんじゃないかという不安もあります。

また、「現行制度の中で改善しよう」という姿勢だって、現状維持の根拠に使われることが多々あります。私は何なら婚姻制度は廃止すべきだと思ってますし、天皇制ももういい加減にしてくれないかと思ってます。

でも婚姻制度を廃止する前に、廃止しても困る人が出ないように外堀を埋める作業が必要で、それは社会保障や難民認定や滞在権や医療機関や労働環境における現行制度の中での改善を意味します。そして、同性婚という新しい制度を導入するよりも、現行制度の中での改善を通して婚姻制度を形骸化して最終的に廃止を目指すというこの道筋は、本当に救われる人が多い現実的に意味のある道だと思っています。

(天皇制については、ごめんなさいよくわからないんですけど、すぐにでも廃止でいい気がします。)
(あ、でも廃止前にちゃんと天皇から元植民地の人たちや元植民地出身の人たち、その他多くの犠牲者に対する謝罪が必要ですね)

というわけで今回の文書は、自民党の思惑とは恐らく大きく外れたところで、ですが、予想ほどのダメさではなかったなと思いました。

もちろん「じゃあ自民党さんよろしくね」とは1ミリも思いませんけど、逆に他の政党には期待できないような良いところもあったりするなーと。他党も社会運動に携わる人も、参考になるところはいくつもあるんじゃないかと思います。

 

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