Parker Marrie Molloy(パーカー・マリイ・モロイ)が2013年11月8日に政治系ニュースサイトTPMに寄せた文章を、大雑把にだが翻訳した。内容の細かいところは私と全然意見が違うのだが、社会運動における「現実主義」が必ずしも短期的効果を持たないという事例として重要だと思い、ここに載せる。
本文
木曜の午後、性的指向および性自認を理由とした被雇用者差別を禁止する法案を可決したことで、上院は歴史を作った。驚くべきなのは、恐らくこの法律の後半部分(訳者注:「および性自認」の部分)だろう。なぜなら、トランスジェンダーの人々を雇用保護の対象に含むことは法案の死を意味すると考えていた民主党員がいたのは、そう遠くない2007年のことだったからだ。
まず、これまでの経緯を説明したい。連邦レベル(訳者注:米国全体)では、ある種の周縁化された集団に属する労働者への差別を防ぐための法律がいくつもある。たとえば、もしあなたが雇用者だとしたら、労働者の人種や肌の色、宗教、出身国、年齢、性別、市民権の有無、家族状況、障害、軍隊経験、妊娠しているかどうか、妊娠する可能性があるかどうか、そして遺伝的な特徴を理由に、彼ら彼女らを差別することはできない。
しかしこの雇用保護は、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々を含んでいない。つまり、例えばアーカンソー州の男性がソーシャルメディアサイトに彼のパートナーとの写真を投稿したら、彼の雇用主は、彼の仕事外の性生活についての推測だけを理由に、彼を解雇することができるということだ。また、私を雇おうとする人は、正にこの記事を読んで、雇うかどうかを決めることができるということだ。なぜなら私は、トランスジェンダーの女性だから。
これは間違っている。私は、あなた——読者——と同様、自分の性別を自分で選んだりしていない。男性として人前に出ても平気だったらいいのにと思いはするが、それは無理な話だ。やってみたけど無理だったのだ。私の状況は、言ってみたら出生時に男性の性別を指定されてしまった女性、という感じだ。ゲイ男性も、ストレートの男性が女性に魅力を感じることを選んだわけではないのと同様、男性に魅力を感じることを自らの意志で選んだわけではない。自分で全くコントロールのできないことを理由に誰かを差別することは、冷血なことだし、個人的意思でコントロールできない他の様々な状況に関する現存の反差別法とも矛盾してしまう。人種、年齢、肌の色、出身国、性別、障害などは、そのどれも、それにあたる人たちが好き勝手選んだものではない。不平等な差別を防ぐために、法的な雇用保護が存在しているのだ。
私がトランスジェンダーの女性であることは、私が仕事をこなす能力に悪影響を及ぼすだろうか。そんなことはありえない。ではどうして、そんな理由で私の雇用主が私を解雇したり、そもそも雇うことを拒んだりできるようになっているのだろうか。雇用保護を私のような人間をも含むものにしようという法律を作ることに反対する声のうち、私が聞いた最も大きな声は、そんなことをしたら企業の宗教的自由が侵害されてしまうというものだった。私は聞きたい。あなたの宗教的文献のどこに、あなたが他者を差別する力を持つべきだと書いてあるというのか。私はカトリックとして育てられた。聖書は最初から最後まで何度も読んだし、そんな箇所が存在しないことにもかなりの確信がある。私が読んで目にしたのは、隣人を愛し、互いをいつくしましょうというごく一般的な感覚だ。私が学んだのは、誰かが罪を犯しても、そしてたとえ私たちがその罪自体を嫌悪するとしても、その在任を愛すべきであるということだ。私たちを拒絶することを奨励する宗教的な理由なんて本当は無いのだ。
もしあなたの宗教が、異なる人を疎外することをあなたに教えているとしても、あなたの宗教的自由は、私の持つ命や自由や幸福の追求の権利が始まるところで、終わる。私たちが生きている社会はは神権政治ではないし、私たちの法律は1つのスピリチュアルな教派の宗教的見解を根拠としてはいけない。だから、全ての市民を守るために、LGBTの人々を二級市民として扱うのは、もうやめるべきだ。人はすべて平等であるというトーマス・ジェファーソンの信条と合致するような法的なアクションが必要なのだ。
木曜に64対32で上院を可決した反雇用差別法(Employment Non-Discrimination Act [ENDA])は、LGBTの人々を雇用保護の対象にしようとするものだ。法案で示されたところによれば、カトリックであることを理由に雇用主が労働者を解雇できないのと同様に、同性愛者であることを理由に労働者を解雇することはできなくなる。雇用主は、アフリカ系アメリカ人であることを理由に労働者を解雇できないのと同様に、私がトランスジェンダー女性であることを理由に私を解雇することもできなくなる。この法律ができれば、雇用保護に関して、全ての米国の労働者が同等の権利を持つことになるのだ。
今週の前半、上院の多数派を束ねるハリー・リードが上院で ENDA を提案した際には、54名の全ての民主党員と7名の共和党員が、こういった差別を禁止することに賛成した。しかしこの勝利は短命の運命を背負っている。下院議長のジョン・ベイナーは既に、下院でこの法案に応じるつもりはないことを明らかにしている。
トランスジェンダーをこの法案に含めるということがどれだけ重大なことだったかを理解するためにも、法案の歴史を見ることには価値があるだろう。
前回 ENDA が真剣に検討されたのは2007年のことだった。民主党が両院ともを握っている状況だったにもかかわらず、 ENDA の投票は概して象徴的なものでしかなかった。当時の大統領ジョージ・W・ブッシュが、たとえ法案が可決されても大統領の拒否権を発動するという意思を示していたからだ。こうして、この法案が実現する希望は途絶えた。
こうした状況を知っていたのだから、下院での議論を、民主党とLGBT運動体が1つになり、全てのジェンダーマイノリティとセクシュアルマイノリティの権利に関する統一戦線をつくりだす契機とすることもできたのだ。悲しいことに、そうはならなかった。むしろ、それはゲイコミュニティとトランスコミュニティのあいだの断絶を拡大してしまったのだ。
1981年から2013年までマサチューセッツを代表していた元下院議員バーニー・フランクは、LGBT関連の国家的リーダーとして有名になった。1998年には National Stonewall Democrats (全国ストーンウォール民主党員の会)を創立し、2006年には同性愛に関する彼のスタンスが Human RIghts Campaign から「100%」と評価された。2009年には Out Magazine という雑誌の「Power 50(力のある50名)」というリストでトップにランクインしている。フランクが議員時代に同性愛関連の協力な支持者だったことには疑いない。「同性愛関連」というのは、しかし「LGBT関連」といつも同じ意味ではない。特にバーニー・フランクにとっては。
2007年4月、フランク議員は、シェイズ、ボルドウィン、プライスなど他の下院議員とともに ENDA 2007 を提案した。ENDA は13年前にも出されていたが、提案された2007年版の法案は、性自認を理由とする職場の差別に対する保護を含んでいた。それ以前の ENDA の法案はすべて、性的指向のみを保護対象としていたのだ。偶然にも、2007年にこの法案が提案された日は、私の21才の誕生日だった。法案がやっとトランスジェンダーを含むようになったのと、私が大人になったのは同時だった。
だがフランクは、その秋には ENDA を見送ってしまっていた。その理由は、トランスジェンダーの保護を含むことが法案の可決の可能性を下げてしまうという心配だった。そしてフランクは、トランスジェンダーの人々の保護を抜き取った別のバージョンを出してきたのだ。
National Gay and Lesbian Task Force という団体は、他の113の全国的なLGBT団体とともに、フランクの新しい法案に反対する書簡を出した。この書簡の署名に入っていなかったのが、 Human Rights Campaign である。 Human Rights Campaign はトランスジェンダーの保護が抜き取られた法案を支持し続けた団体の1つであった。(訳者注:この文章の約1年後、Human Rights Campaign の代表 Chad Griffin が謝罪文を公開している。)
下院での投票が迫る中、元下院議員アンソニー・ワイナーは、恐らく彼の議員としての唯一のまじめな行動として、ENDA がトランスジェンダーを含むべきだとする熱のこもったスピーチをした。
「この会の内外で、性的指向が含まれているカテゴリーと同じところに性自認を含むべきかどうかが、まさにいま話し合われているが、私は明確に、『YES』と答える」と述べた。
スピーチでは更に、下院での投票が完全に象徴的な意味しか持たないこと(それは、トランスが含まれようと含まれなかろうと上院では絶対にこの法案は動かないということからも明らかだった)を考えたら、そもそも性自認を含まないようなことをやって何か意味があるだろうかと思案し、そんなことすべきではないという結論を述べた。「もし私たちが象徴的な立場を取るなら、その象徴的立場が意味すべきなのは、私たちが団結しているのだということ、私たちが『GLBT』と言った時に本当にそれを意味してるんだということでなければならない。」
2007年11月7日、ボルドウィンはフランクの法案に修正を加え、性自認に関しても保護を拡大するように努めたが、フランクや下院の上層部からの支持が無いことをうけ、投票前の午後5時8分には修正案を取り下げた。75分後、235対184で法案は下院を通過した。
予想通り、法案は上院にて否決され、委員会を出ることすらなかった。結局、フランク下院議員の現実主義(pragmatism)は法案の最終的な結果を左右するような影響を持たなかった。それどころか、LGBT の権利問題に携わる人々のコミュニティの分断を更に悪化させただけに終わったのだ。
現在、皮肉なことに議会はすっかり態度を逆にし、かつて不動だった上院がトランスジェンダーを含む法案を共和党員からの支持まで得つつ可決する一方で、下院はその法案を恐らく棚上げにするであろうと思われる。たとえ法律にならないにしても、2013年版の法案において上院がトランスジェンダーの包含について確固たる立場を取ったことを私は誇りに思う。これこそが、2007年に実現すべきだった統一戦線だったのだ。6年後の今年、ついにそれを手にすることができた。民主党が私の市民権をただの政治交渉の道具として見ていた時代が終わったことに、ほっとしている。
ENDA、あるいはそれと同じような法的効果を持つ法は、いずれ実現するだろう。それがいつになるかは、分からないが。反雇用差別のポリシーが抱える矛盾はいずれ是正されるだろう。ただし、そのためには私たちは一緒に行動しなければならない。選挙で選ばれた人たちにプレッシャーを与え続けなければならない。そして、連帯の中に居続けなければならないのだ。そうなるまでのあいだ、過半数の州において、私は私であるということだけで合法に解雇されてしまうのだ。