2017年11月22日、高崎経済大学で開講されているジェンダー論の授業にお邪魔して、お話をしてきました。
内容は主に、同化主義とラディカリズム、アイデンティティポリティクスについて。せっかくなのでここにもざっくり書き留めておきます。
まず私が現在のセクシュアリティに至るまでの変遷を話し、性的指向含めセクシュアリティ全般は変わることがあるということを説明しました。
次に、これまで受けた授業の中で好きだったものを挙げてもらい、それらの分野でジェンダーやセクシュアリティを扱っている研究者を紹介しました。いかにあらゆる分野でジェンダーやセクシュアリティを取り扱うことが出来るか、理解してもらう狙いです。思いつく範囲ですが、以下のリストを用意しておきました。
経済学 スティーブン・レヴィット
社会学・文化人類学 ドン・クーリック、山口智美、小宮友根、江原由美子、クリステン・シルト
哲学 ジュリア・クリステヴァ、リュス・イリガライ、ジュディス・バトラー
生物学 ダナ・ハラウェイ
自然人類学・考古学 瀬口典子
歴史学 ジョージ・チョーンシー、ジョン・デミリオ
文学・映画学 ローレン・バーラント、リー・エーデルマン、ジャック・ハルバーシュタム、カーラ・フレチェロウ、清水晶子、堀あきこ
政治学 キャシー・コーエン、リサ・デューガン(歴史学)
法学 キャサリン・マッキノン、マーサ・ヌスバウム、アンドレア・ドウォーキン
パフォーマンス研究 ホセ・ムニョス
神学 堀江有里
言語学 クレア・マリィ、デボラ・カメロン
音楽学 スーザン・マクレアリ、小林緑、中村美亜
etc. etc.
次に、クィアやLGBTに関する社会運動において自分の立場を説明するときにヒントになる2つの対立軸について説明しました。以下、その内容を解説します。
1つめの対立軸は、同化主義(世間体政治)とラディカリズム(急進主義)の対立関係です。2つめの対立軸は、アイデンティティポリティクスと反アイデンティティの考え方です。
同化主義(世間体政治) いかに「まっとうな人間」かをアピール。「あなたがたとの違いは性的指向/性自認だけですよ」と。他の規範は問題視しない。現状に肯定的。
→ 日々の生活を少しだけマシにする(かもしれない)、絆創膏タイプの運動
ラディカリズム(急進主義) 社会構造から文化意識まで根本的に変革を起こすことを目的とする。様々な規範を問題視する。現状に否定的。
→ 根治のためなら臓器移植も視野に入れる外科医タイプの運動
とりあえず絆創膏を貼らなきゃいけない場面もありますが、絆創膏を貼って放置してたら悪化することもあります。一方、根治はもちろんベストですが、臓器ドナーを待ち続けるあいだのつらさもあります。限られた時間を(治療ではなく)好きなことをして過ごしたい人もいるわけで、根治が常に最優先でもダメだったりします。
アイデンティティポリティクス L/G/B/T やクィアなどのアイデンティティを基盤にした運動
↑ アイデンティティという概念自体が現代思想において疑問視されてきています(「主体」は常に形成され続けているため、一貫したアイデンティティは存在し得ない)。運動の現場でも、アイデンティティポリティクスは「わたしたち」と「あなたたち」を分断する効果を持ちうるため、批判を受けています。しかしアイデンティティを無視することには、差別や言説の歴史を矮小化するリスクが伴います。
50年代米国 ホモファイル運動(同化主義に寄っていた)
60年代特に後半〜 ゲイ解放運動(ラディカルな差異の政治)※学生運動や女性運動の盛り上がりも背景にある
70年代 ゲイ権利獲得運動(「普通のゲイ」的な同化主義的言説の広まりと、それに伴うトランスジェンダーの排除・後回し化、セックスワークやペドフィリアの切り離し)
80年代 エイズパニック、エイズ運動 → クィア運動(ラディカリズム、反アイデンティティ的)※詳しくは「生活保護とクィア」を参照のこと
90年代 白人男性同性愛者を中心とする運動が力を得る(反差別法への参入・同性婚・軍隊への参加など、同化主義的で保守的な、シンボリックな争点が前面に)※詳しくは「排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流『LGBT運動』と同性婚推進運動の欺瞞」を参照のこと
※以上の年表は単純化した概要であり、実際には10年ごとに区切れるようなものではありません。あくまで傾向として理解して下さい。
運動にとっては可視化がとても重要なため、アイデンティティポリティクスが採用されやすいです。自分がそのアイデンティティを持つ、引き受けること、受け入れること、また新たにアイデンティティを立ち上げること、それをもとに仲間とつながること、運動体を形成することなど、社会運動との親和性は高いと言えます。一方で、ぬるい寛容を受ける危険があります(=人間というカタログに登録されるだけのような、「いてもいいけど、メインじゃなくて端っこの方ね」という二級市民扱い)。
更にアイデンティティポリティクスには、アイデンティティの内部の抑圧を生み出す危険性や、複合差別の取り扱いが不得手であるという問題があります。例えばバイセクシュアルとトランスジェンダーに対する無関心や、運動内での「後回し」化があります。クィアの中での貧困者やホームレス、老人、障害者、有色人種なども、運動内部で関心を払われなかったり、軽視されたりしがちです。セックスワーカーやペドファイルに至っては、明確に「仲間」の枠から追い出されていると感じます。
対立軸 | 同化主義 |
ラディカリズム |
---|---|---|
アイデンティティ ポリティクス |
現代米国、西欧、日本などで 主流のLGBT運動の方向性 |
クィア・ネーション レズビアン分離主義 |
反アイデンティティ |
一般に広がりつつある ぬるい寛容の精神(注) 新自由主義との近接 |
多様性の称揚、相対主義 ポストモダニズム |
(注)「いても構わない」という寛容の精神は、おこがましいこと。例えば留学先のクラスメイトに「僕は君みたいな外国人がクラスにいても許すよ」と言われたら、「別にお前の許可は求めてねーよ」と思うのでは。
クィア理論やクィア運動は、基本的に右のグレーの領域内にいることが多いです。しかし右上と右下のどちらか一方に固定されることはありません。どちらにも欠点があることを分かっているからです。一方、現在著名な活動家は左上に属することが多いです。
それぞれの立場ごとに、やれること、やれないことがあります。それぞれの役割があるとも言えるかもしれません。しかしどの立場を選ぶにしても、それに伴う「欠点」も抱えるということ、また、それを選んだ責任が生じるということは頭に入れておいてください。(もちろん、どれも選ばないという選択には最も大きな責任がついてきます。)