米国LGBT家族・友人団体PFLAGと、「クィア」vs「それ以外」という分け方について

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2022年11月20日

(2011年5月の記事)

フェミニズムとかクィアの問題について普段は色んなことにツイッターやブログで口を出しては嫌がられるというパターンを繰り返してるわたしですが、ぐうたらな大学院生なりに研究的なこと(<「研究」と胸を張って言えないのが悲しいけど)も一応やっております(というアピール)。これまでの研究は、学士論文だけど「昭和40年代歌謡曲と女性」(英語、いずれ書きなおしてどこかに出します)、クィア学会で発表した「〈貧困〉は〈クィア〉か」(日本語だけど、原稿どっか行っちゃった)、あとイギリスの日本研究系学会で発表した「児童ポルノと法:ナショナリズムと反規制言説」(英語、そのままだと原稿部分が表示されないのでダウンロード推奨)などがあります。んで、いま修士論文書いてるんですが、その暫定的タイトルは「LGBT政治内の『親の活動』のエージェンシー:なぜ参加するのか、あるいは参加しないのか」です。

歌謡曲論文は音楽学を使った作品分析にクィア系文学理論を合わせたもの(指導教官の専門は英文学)、児童ポルノ発表はネット上の言説と国際的反児童ポルノ運動をからめてカルスタ風に、貧困クィア発表は「クィア」とか「ヘテロノーマティビティ」とかのクィア理論の概念についてあーだこーだ言うだけ、そして今回は社会学の指導教官についてインタビュー・ベースの修論。博士課程では文化人類学やるかもしれません。という、どんだけ揺れてるのあなた、という感じですが、まあわたくしなりに一応一貫したテーマみたいなのはあるんですよフフフ、みたいな。

というわけで、いま正に継続中の研究なので書けることは限られるんですが(インタビューだし、人が相手だし、色々あるのよ(っていうか日本にはIRB [Internal Review Board] が存在しないと聞いたんだけど、マジで? 調査倫理を勉強する機会に溢れてるので必要ないとかならいいけど、そうじゃないわよね))、ここ数カ月調査していてすごく面白いな〜と思った点を(自分の備忘録も兼ねて)書いておこうと思います。

PFLAG(ピーフラッグ)というのは「Parents, Family, and Friends of Lesbians and Gays」(レズビアンとゲイの親・家族・友人)の略で、都市を中心に数百の部局(チャプター)と二十数万のメンバーを抱える、この類の団体では米国で(というか世界的に)最も大きなもの。「非友好的な社会で生きていくための支援」「無知や間違った情報に対抗するための教育」「差別を無くし、平等な市民権を獲得するための権利擁護」の3つの理念的柱を掲げて、LGBTの若者に加えて、かれらの家族や友人を受け入れて活動している。と言っても一般的には、子どもからレズビアンやゲイとカミングアウトを受けた親や保護者が電話やメールを通してサポートを受けたり、実際に月例のミーティングに参加するなどする場所という理解が広まっている。それは確かに間違いではないのだけれど、他にも色々やっている事実はあまり知られていない。

活動の多様性は後述するとして、PFLAGがLGBT政治内や学問の世界でどのようにとらえられているかを少しだけ説明する。単純に言えば、LGBT政治内ではほとんど目を向けられることはないのが現状。特に、「クィア」とかの言葉を使う団体や有色人種系、障害系などとからめたマルチイシューな団体、それらの言説に慣れている個人活動家や学生のあいだではほとんど話題にも上がらない。逆に論文検索なんかにかけると、「いいことしてるよね」と適当に他者化されるか「アメリカの中産階級・白人中心的な家族的価値観を再生産している」とラディカルに糾弾されるかに反応が二分されている。前者は心理学系・ソーシャルワーク系の論文が多く、後者はフェミニズムやクィア理論に近接してる分野に多い。

市民権運動とLGBT運動を専門とする人と話しているときにPFLAGの名前を出したら、「ああ、あのWUNCディスプレイの激しいところね」と笑われたこともある。(社会運動の理論によると、社会運動には「キャンペーン」(持続的な集団活動)、「レパートリー」(連帯したり、公共の場で集まったり、デモをしたりという方法論の採用)、「WUNCディスプレイ」(運動主体や対象に価値 worthiess 、統一 unity 、 大勢の参加 numbers 、そして深い関与 commitments があることを表現すること)という3つの要素がある。)それだけ、PFLAGはそういう「あってもいいけど、問題もあるし、なんか信用出来ないところ」という位置に置かれてるということだ。もちろんPFLAGが評価されている場もあるけれど、恐らく今の米国のLGBT政治の向かっている方向(アイデンティティ政治の権利獲得運動とラディカルな社会変革をマルチイシューに進めていく運動の二分化が進んでいて、どちらもある程度成果を出しながらも、運動の現場では後者の声が少しずつ高まっている状況)を考えると、PFLAGの評価が下がることはあっても、上がることはないと思う。

クィア理論やフェミニズムをある程度踏まえた議論においてPFLAGが批判の対象となるのは、パンフレットなどを通してPFLAGが対外的に見せている「外の顔」が明確に「アメリカの中産階級・白人中心的な家族的価値観を再生産している」ようなものであるから。例えば中には "We Are Mainstream America" (私たちは米国の主流の団体です(超意訳))とか書いてあるものがある。「親の愛」というレトリックも多用されていて、そこにミソジニー(女性嫌悪)的なものを感じるのは当然だとも思う。実際に調査(パンフレット等の内容分析とインタビュー)をしたのは Jessica Fields という人(PFLAGの名前は出していないけれど、恐らくPFLAGの調査)と、 K. L. Broad という人で、ふたりともPFLAGのやり方の危険性を指摘する結論を出している。特に Fields は、「境界を変化させるような『クィア』という概念」に照らし合わせた結果、PFLAGのやり方はLGBT当事者にとって最終的には悪い結果をもたらすだろうとまで言っている。

でも、「クィア」という概念を使いつつPFLAGを「ほとんど中産階級の白人だ」と決めつけたり、全員ヘテロセクシュアルである前提で議論をしているのは Fields と Broad の方だ。調査の初めの段階でPFLAGのミーティングに行ったときにわたしが最初に出会った人たちのひとりは、ゲイである自分はストーンウォール事件のあった1969年のすぐあとから当事者として様々な活動を行って来ていて、PFLAGとも関わって来たが、最近になって娘のひとりにレズビアンであるとカミングアウトされたという人だった。たったひとつの例だけれど、下に説明する色々なことも含め、当初 Fields や Broad に同意してPFLAGの調査を始めたわたしにとって、もしかしたら Fields や Broad の前提は暴力的な決め付けだったのかもしれないと疑いを持つきっかけになった。

ミーティングで出会ったPFLAGメンバーと話をしたりネットで色々団体の歴史を見てみると、PFLAGはストーンウォール事件から4年あまりの1973年に初めの部局(ニューヨーク)が出来ており、90年代からは(団体名はそのままだけれど)トランスジェンダーおよびバイセクシュアルの問題について公式に団体活動の範囲であると認め、その後有色人種のLGBTの支援を強化するためのプロジェクト(FOCN [the Families of Color Network])を開始し、現在全米に広がっている部局のうち15がそのプロジェクトを実施している。もちろんこれらの試みは全く不十分であるというのが、色々話を聞いたり状況を見た上でのわたしの考えだけれど、こういう努力がほとんど知られていないという状況も問題だと思う。

それに、かれらがトランスの権利や移民の権利について真剣に考えている様子は、シカゴにいて入ってくる情報だけでも分かる。PFLAGのメール(メーリングリストではなくCCやBCC、転送を駆使してるのが主要メンバーの年齢層の高さを表しているようで微笑ましいのだけれど)ではPFLAG関連情報の他にLGBT関連の最新報道記事や各部局のある地域でのLGBT関連イベント情報なども流れてくるのだけれど、同性婚などの「そりゃ回って当たり前よね」的な情報と同じくらい、あるいは少し多いかなという量の、トランスジェンダーの安全・雇用の問題、そして移民のLGBTの法的地位についての情報が流れてくる。

更に、 "Screaming Queens: The Riot at Compton's Cafeteria" というドキュメンタリー映画(制作は歴史学者の Susan Stryker )を前にツイッターで紹介したのだけれど、これはストーンウォール事件の3年前、1966年にサンフランシスコでトランスの人たちによる暴動があり、これによっていくつかの点でサンフランシスコ内でのトランスの人向けの法的改善がなされたりした歴史を掘り返す映画。「全てはストーンウォールから始まった」と語られることの多いLGBT政治の歴史観を覆す内容であり、更に、LGBT政治におけるトランスの存在と重要性、貢献を明らかにする重要な映画でもある。この映画をシカゴで上映したのも、実はシカゴ内にあるPFLAGの部局のひとつだった。その部局は毎年、開催場所や時期はずれるけれど、10くらいの映画を選んで映画祭のようなものを小規模ながら開催している。団体内では常に定期的に映画上映会を行っていて(他にも、ゲストスピーカーを呼んだりしてるけど)、その中でも頻繁に上映されていると言ってわたしにも個人的にDVDを貸してくれたのが、 "Anyone and Everyone" という映画だった。これは米国内の様々な地域に住むアジア系、ネイティブ・アメリカン、黒人、ラティーナなど有色人種のLGBTの家族をインタビューを通して追ったドキュメンタリー映画。実際にどのような形でFOCNプロジェクトが効果を生み出しているかとは別に、少なくともこういう形で様々な試みが行われていることは Fields や Broad が(かのじょらの調査時には既にFOCNは始まっていた)見逃してしまったPFLAGの側面だ。

更に、またしてもわたしの調査の範囲でしか話せないけれど、PFLAGのミーティングやイベントは、普段からもバリアフリーな地域施設を使っている。メンバーの平均年齢が高く、杖や歩行補助車、車椅子を利用している人などが多くいる団体なので、そういう配慮がある程度実践されているのだと思う。また、地域施設を積極的に使う中で施設との信頼を生み出すのだろうけれど、例えばローカルな図書館のスタッフと密接につながることで、その図書館がトランスジェンダーに関する図書を集めたセクションを作るという成果も生まれている(もちろんそのPFLAG部局だけの成果ではないけれど)。また、多くの部局のミーティング会場はその地域の教会だ。教会とPFLAGの関係は歴史的に長く、メンバーにもキリスト者が多い(このへんの複雑な関係は、修士論文がまとまってからまた報告します)。中には、教会の神父に自分の子どものセクシュアリティについて相談したところPFLAGを紹介されたというメンバーもいた。ラディカルに様々な制度を批判し続けることの重要性はもちろんあるけれど、こうやって地域の人たちとつながることで既存の制度との協力体制を作りつつ既存の制度に介入していくことそれ自体を間違いだと言ってしまうと、これまでPFLAGやその他の多くの団体が成し遂げてきた成果をも否定してしまうことになる。この点は、わたしも日頃の態度を反省するべきだと思った。

ただ、全ての部局が全ての場合においてバリアフリーな会場を用意しているわけでないのは急いで追記が必要なことなので、言っておきます。例えばポートランドで行ったPFLAGのパーティ会場は坂の途中にあって、更に会場内が広すぎてメンバーがどこに集まってるのかも分からず、長い廊下を歩き続けてやっと見つけることが出来た。それに、わたしはバスで行ったのだけれど、バス停から会場までの道も分かりづらかった(って、これは単に慣れない土地だったからか?)。全国規模のイベント(と言っても全米をまとめてるスタッフが来てローカル部局のメンバーと交流する、とかなんだけど)が6月2日にシカゴで行われるので、色々と注意して見てみたいと思う。

PFLAGの団体としての、あるいは部局としてのあり方はここまでにして、次にメンバーの多様性についても話しておく。わたしが実際に見た範囲だけれど、PFLAGのメンバーには実際には色々な人がいる。PFLAGのイメージの1つに「中産階級の裕福なメンバーによる活動」というのがあるけれど、インタビューをしていくうちにそうとも言えないなと思うようになった。確かに現在経済的に余裕のある人間がPFLAGの活動に集まって来やすいのは事実。でもわたしがインタビュー前に書き込んでもらった調査票には「過去の職業、収入、居住地」をリストアップする箇所があって、その内容は非常に多様だった。インタビューの中でそれについて聞くと、これまでずっと現在の比較的余裕のある生活が送れて来たわけではないという人ばかりだった。かつて経済的に(各自程度は違えど)苦労した経験は、たとえ現在の経済的状況がよかったとしても、その人の文化的背景に大きな影響を与えているはず。それに、もし経済的に余裕のあるメンバーが集まっているということを団体の活動の評価に反映させるとしたら、多くの当事者団体ですらその非難を逃れられないだろう。

また、年齢と育った地域によって色々と違いはあるけれど、インタビューをした人たちのうち1人を除いて、子どものカムアウト以前に何らかの形でLGBTの人(当時はそう呼ばれていなかった場合も含め)との交流があったりする。それは「短大を出たあと単身で都市に行って経済的にぎりぎりの生活をしていたころ、時々まとまったお金でゲイクラブに行くのが唯一の楽しみだった」という比較的若い人から、「子どもの頃近所にあった美容院はゲイカップルが経営してて、よく遊びに行っていた」という人まで、色々いた。「高校の同級生が今で言うゲイだったが、小さい頃から家で女装していて、親もそれを咎めたりしていなかったらしい」とか、年齢のかなり高い人までが「学校の先生が今で言うレズビアンであることをみんな知っていたし、女子学生の一人とのちにパートナーになった」と語り、周囲の反応と当時の自分の反応を詳しく聞くと、「みんなその先生を尊敬していたし、からかったりはしてなかった。振り返って考えたことはなかったけれど」と言っていた。「子どものカミングアウトにショックを受けた」と答えたのはたった一人で(それでも「3歳くらいから、多分そうなんじゃないかとは思ってたんだけど」と笑った)、その他のインタビュー対象者は「まず、この子がこれから差別を受けるんじゃないかと心配した」と答えていた。これは、PFLAGやその他の個人の「LGBTの親」が世間に見せている「外の顔」、つまり「わたしは子どもがカミングアウトしてきて本当に驚いた。つらかった。けれど子どもを愛しているのは変わらないと思い直し、受け入れ、いまは子どもを誇りに思っています」という美談とは、かなりずれる語りだ。

また、インタビュー対象者は1人を除いて、全員何かしら他の社会運動に関わっている。学校教育の制度からはじかれてしまった子どもに勉強を教える活動を何十年もやっている人、自分が経済的に余裕があるときは常にホームレス支援に参加してきた人、若い頃から地域の女性団体に関わって来た人、労働組合のスタッフとして7年のあいだ戦った人など、それぞれに分野は違えど、子どもがカミングアウトする前からそもそも社会運動の重要性を身近に感じてきた人が多い。更に、白人のインタビュー対象者の複数人から同じことを聞いて驚いたのが、市民権運動に当時自分がきちんと参加しなかったという後悔の念が、今の自分の活動を後押ししているということ。特に、当時南部に住んでいた人は「子どもがゲイであるということで、わたしは、あの頃市民権運動にきちんと貢献できなかったぶん、今度こそ全力で活動するぞと思った」という人もいた。

調査を続けるにつれて、(まだ人数が少ないから何とも言えないけど)たぶん Fields とか Broad の研究の結論とは違う側面が見えてくるだろうと思う。初めは Fields と Broad に同意して始めた調査だったし、その後も結構長いこと人種と階級がLGBTの家族を「PFLAG(あるいは類似団体)メンバー」と「それ以外」に分断しているという予想を持っていたけど、今はむしろ宗教の問題と地域間移動の問題が鍵になってる気がする。また、「当事者」と「それ以外」に分けて、後者は一切クィアな面の無い団体・人たちという前提のもとで、取るに足らないものとしたり、同じことをしていてもより強い批判を向けることは、そもそも「クィア」という概念と関わる大きな問題だと思う。わたしの今回の調査の目的のひとつは、PFLAGに代表される「LGBTの家族」をきちんとLGBT政治の文脈に置き直して、単なる「親」だけではない複層的な立ち位置に光をあてること。このへんは、修士論文の形にちゃんとなったらまたブログで報告します。

もちろん、上で言った全てのことがあるからといって、PFLAGが本当にLG中心じゃないとか、白人中心じゃないとか、中産階級中心じゃない、とは私も断言できない。例えば、ポートランドにある黒人向けPFLAG部局はもう片方の(実質白人向けになっている)部局とほとんど交流が無いという話だし、シカゴにしても、うちから歩いて5分のところに黒人向け部局が1年半前からあるけど、メンバーは殆どいない。シカゴのかなり大きな黒人セクシュアル・マイノリティ女性の団体 Affinity Community Service と一緒にミーティングを開くことでなんとか毎月1回のミーティングを実現しているだけのようなところもある。わたしのインタビューにこたえてくれた人も、これまでのところほとんどが白人だ。PFLAGと関係のないLGBT家族にもなかなかコンタクトが取れない。

ただ、シカゴの場合は、他のあらゆる部局も最初の数年はメンバーが集まらなくて本当に困ったという話を年配のPFLAGメンバーから聞くので、必ずしも失敗例というわけではないのだろうけれども(ちなみにポートランドはメンバーがそこそこ恒常的にいる、というのをポートランド部局(白人ばかりの方)の偉い人からも、シカゴの知り合いからも聞いた)。

ちなみにその、うちの近所の部局は、6月か7月に地域の教会(ミーティングの開催場所でもある)と協力しあって「スピリチュアリティとセクシュアリティ」というシンポジウム(というかたぶんそんな大それたものではなくて、単に集まって地域の人との対話の場をつくろうということなのだろうけれど)をやるらしい。私も参加する予定だけれど、「黒人は白人に比べて宗教的だから保守的でフォビックだ」という偏見をまき散らす白人LGBTQ学生活動家が私の周りには多い中、「宗教が全てではないと思う。白人ばかりのLGBT団体が地域の黒人住民たちと対話をしようとしてこなかったからというのも大きいはず」と語っていた人がイベント運営に携わってるので、どういう風に対話が試みられるのか、陰で協力できるところは協力しつつ、期待と不安を持って見届けたいと思う。

ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。