「いただきます」って英語で何ていうの?
——英語を勉強している人から、こういった質問をされることがあります。
例えばキリスト教徒だったり他に宗教を持ってたりしたら別かもしれませんが、英語には同じような表現がありません。みんなが言う共通の言葉というのはない、というのが答えになります。
それでも、日本で育って英語圏に行った人は、現地で友だちとかホストファミリーがご飯を作ってくれたとき、どうしても「いただきます」っぽいことを言わなければならないような気がしてしまうかもしれません。
でも、何も言うことはできない——諦めるしかないんです。
そもそも英語では、誰も「いただきます」とか、それに似た言葉を言おうと思うことすらしないんです。
そんな行為が、文化に含まれていないからです。
逆に、英語では言うけど日本語では言わない言葉もあります。
例えば「Bless you.」。
これは、同じ部屋にいる人がくしゃみをしたときに言うフレーズですが、日本語にはそんな言葉はありません。誰かがくしゃみをしても、無視するだけです。むしろ反応したら、相手は恥ずかしい思いをするかもしれません。
十代の後半からニュージーランドや米国で生活していて、途中で日本に帰った来たとき、誰かがくしゃみをするたびに「あれ? 何も言わなくていいんだっけ? 何か日本語にもこういう状況で言う言葉がなかったっけ?」と焦ってしまいました。
何も言わずにいることにすごく違和感を感じたんですが、でも、何か言おうと思っても、そもそも何も思いつくわけがないんですよね。
そんな行為が、文化に含まれていないからです。
言語と文化は1つのパッケージ
第二言語を話すとき、ときどき私たちは一瞬止まったり、考え込んだり、あるいは文の途中にもかかわらず完全にストップしてしまうことがあります。何かを言いたいのに、それを表現する言葉やフレーズを知らないというのは、すごくイライラしますよね。
英語を勉強している人たちの多くは、そういうときに「勉強が足りないからだ」とか「英語が下手だからだ」と思ってしまいます。
初学者であれば確かにそうかもしれません。
でも中級者や上級者であれば、言語習得の問題というよりも、文化的な違いに問題があるのかもしれません。
もしかしたら、英語で伝えようとしていることは、そもそも英語に存在しないのかもしれません。
ある表現が文化に含まれていないということは、そんなことを言わないどころか、そんなことを考えもしないということです。
日本語を勉強している人にとって、日本で長期間過ごしたり、日本語話者の友だちとたくさんの時間を過ごすような経験がなければ、「いただきます」が自然に頭に浮かぶことはないでしょう。
それと同じように、「Bless you.」も、英語学習者の多くの頭にスっと浮かぶことはないと思います。
つまり、文化は、私たちの思考に大きな影響を与えています。
そして、私たちが何をどう話すかを、文化はほとんど決定づけています。
第二言語を流暢に話せるようになるためには、「第二文化」を学ぶ必要もあるということです。
言語と文化は1つのパッケージなのですから。
「ネイティブ表現」が差別的だったら?
しかし——そうです、この話には「しかし」があります——、第二文化のすべてを内面化する必要はないのです。
第二言語を学んでいるということは、あなたはすでに第一言語を話しながら育って来たわけで、全く別の文化的環境で生きてきたわけです。
そこで、すでにある程度の価値観や世界観を身に着けてしまっています。
そんなあなたにとって、学ぼうとしている言語の文化の中には、同意しかねるものもあるかもしれません。
例えば fireman(消防士)という言葉があります。
消防士が女性だったら、女性の fireman と言うのでしょうか?
英語圏では、性別を特定しない firefighter という言葉が作られました。
火災と闘う人、という意味の言葉です。
しかし今でも firefighter ではなく fireman と言う人がいます。
他にもたとえば、chairperson(議長)ではなく chairman と言う人がいます。
また、hysteric(ヒステリック)という言葉があります。
この言葉の語源は、「子宮」です。
子宮摘出手術のことを hysterectomy と言いますが、この語にも hyster- という部分があります。
他にも、多くの人たちが使う言葉で、実は障害差別的な言葉というのがたくさんあります。
lame という言葉は「バカみたい」とか「古臭い」とかいう意味で使われています。dumb も「バカ」という意味で使われます。crippled も「壊れている」や「機能していない」という意味で使われます。
でも、これらの言葉は、もともとぜんぜん違う意味を持っていました。
lame は「歩行ができない」、dumb は「言葉を発声できない」、crippled は「障害を持っている」という意味です。
つまり、人間の障害の有無を表す言葉だったのに、単なるネガティブな意味で使われるようになったんです。
gay という言葉にも同じような歴史があります。
そもそもは「楽しい」というような、良い意味の言葉でした。
それを同性愛者たちが(ほかの悪い呼び名に対抗して)自分たちの自称に使うようになったんですが、しかし現在英語圏の若い人たちのあいだでは「バカ」「価値がない」というような意味で使われるようになっています。
同性愛者を指す言葉をそんな風にネガティブな意味で使うというのは、とても同性愛嫌悪的(homophobic)だと思います。
こういった表現の存在が意味するのは、第二言語を学ぶだけでなく第二文化をも学ばなければいけないのに、その文化が性差別的だったり、人種差別的だったり、同性愛嫌悪的だったり、障害差別的だったり、階級差別的だったり……することもあるということです。
言葉を「学び戻す」ことが大切
覚えた単語に、差別的な意味が含まれているかもしれない
——もちろん、そういった言葉を使うのを避けたり、疑問視したり、友だちに「どうなの?」って話したり、あるいはこうした言葉をネガティブな意味で使う人に抗議したりすることはできます。
しかし——今回2回めの「しかし」です——、ある文化や言語を疑問視できるようになるには、ある程度自分がその言語と文化を理解している必要があります。
ある単語の隠れた意味だったり、語源だったり、あるいは歴史的な変遷だったりをある程度知らないと、批判的になることすらできません。
往路と復路が必要なわけです。
つまり、新しい言語と文化を学んでいって、途中である程度理解できたと思ったらUターンをして、「学び戻し unlearning」を始める必要があるんです。
そうすることで、その言語の中の、同性愛嫌悪的・人種差別的・性差別的・障害差別な言葉に気づき、学び戻すことができます。
第二言語として言語を学んでいる人は、もしかしたら、ネイティブスピーカーにとっては自然すぎて気づかないようなものでも、その言語の中に深く埋め込まれている不正義に気づきやすいかもしれません。
もしあなたが第二言語を学んでいて、社会正義に関心がある人だったら、学んでいる言語と文化の悪い側面を学び戻そうとすることはとても重要なことです。
第二言語は、時々「ターゲット言語」と言われたりします。
その言語を流暢に話せるようになることを目標としているからです。
でも、その中にあるすべてを信用し、内面化する必要はないのです。
英語学習者であるあなたは、すでに文化的価値感や世界観をすでに持っています。第二言語・第二文化である英語という言語や文化と比較することができます。
もし新しい言語になにかイラっとする表現があったり、あなたの信条と反するものがあったら、それを指摘して、友人と議論したりするチャンスです。
コメントで教えてください
もし、あなたが勉強している言語において正しくないもの——性差別的だったり、異性愛中心主義的だったり、障害差別的だったり、人種差別的だったり、自民族中心主義的だったりするもの——があったら、ぜひコメントで教えてください。
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この文章は以下の動画をもとに文章化したものです。動画は英語ですが、中級以上のレベルの言葉や表現が出てくるときには日本語でヒントが出ます。ぜひ動画もあわせてご覧ください。
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