翻訳:ジュリア・セラーノによるトランス女性と男性特権についてのツイート群

訳者より

このツイート群においてジュリア・セラーノが「トランス女性」と言うとき、それは「トランスで、かつ女性である人」を指しています。つまり、「〇〇な男性」(〇〇に何が入るにしても)は含まれていません。たとえば「女装好きの男です」と自分を表現する人がいたとして、その人は少なくとも現時点ではセラーノの言う「トランス女性」には含まれないでしょう。

また、最後のあたりでセラーノは「トランス女性はすでに男性特権について十分に気づいています」と言っていますが、文脈からも分かるとおり、シスジェンダー女性と比べて「トランス女性は気づいていない」とは言えない、という意味だと私は解釈しています。シスジェンダー女性だからといって全員が男女差別や男性特権について深い認識があるとは限らないのと同様、トランス女性も当然男女差別や男性特権についての気づきはまちまちです。シスジェンダー女性が進学や就職、結婚などを期にジェンダー問題について意識するようになる人がいるように、例えば性別移行を期に(トランス女性の場合)それまで経験していなかった女性嫌悪や女性差別に気づいたり、(トランス男性の場合)それまで経験していなかった男性特権に驚いたりした、という経験を語るトランスの人は少なくありません。

最後に、トランス女性が経験する/経験したことのある/経験せずに済んだ男性特権についての議論は、必要なものです。しかしここでセラーノが言うようにトランス女性について男性特権にばかり注目して攻撃する声が多い現状では、「トランス女性も男性特権を経験することがある」ということを単純に指摘することすらトランス差別に利用されてしまいます。それでは議論ができません。

子どもの頃から女子として生きてきて男性特権をほぼ享受していないトランス女性にとってはもちろんのこと、既に男性特権を失って女性として生活しているトランス女性や、男性特権をある程度持って生きた年数が多いトランス女性も、「女性らしさ」というジェンダー規範から少しでも外れた瞬間に「男性特権だ」「本物の女ではない」と非難を受ける状況(※)では、「男性特権なんて自分にはなかった」と言ったり、思い込んでしまう場合があるでしょう。しかしセラーノが言う通り、男性特権は実際に存在するし、トランス女性の中にはそれと無縁ではない人がいます。ちゃんと議論をするには、特権という概念を「教育的道具」とみなすセラーノの視点が必要です。

※:「女性らしさ」というジェンダー規範から少しでも外れた瞬間に「本物の女ではない」と非難を受けるのは、シスジェンダー女性のほとんどが経験する女性差別でもあります。そうして非難を続けることでこの社会はジェンダー規範を守り、強固にしています。また、シスジェンダー女性に対してこういった非難を絶対にしない人が一方でトランス女性に対して「女性らしさ」からの逸脱を監視しているような目線というのもあり、それはトランス差別的です。

訳文

(ジュリア・セラーノ @JuliaSerano

長いスレッドになります。私は、男性特権について質問されることがよくあります。昨日はインターネット上でいろいろとあったため、特にたくさん質問を受けました。ネット上で起きたことについては直接言及しませんが、このトピック自体についての私がどう考えているか、この機会に書いておこうと思います。

(1)基本的に、特権という概念が最も有効に機能するのは、周縁化されたマイノリティ集団に属さないことによって経験しているかもしれないのに本人には見えていない有利な点について、支配的なマジョリティ集団に属している人々にそれが見えるように手助けするときです。

たとえば、無数に挙げられる例のひとつとしては、こんなことがあります。「トランスジェンダーであることで、自分の発言は真面目に取り合ってもらえないんじゃないか、雇ってくれるところなんてないんじゃないか、必要な医療を医者に無視されるんじゃないか、などなど、心配になることはありますか?」もしこの設問へのあなたの回答が「いいえ」なら、あなたはシスジェンダー特権を持っていることになります。

こうして特権を指摘する目的は、その相手を恥じ入らせることではありませんし、そうであってはいけません。その人もシスジェンダーであることを「選んだ」わけではないんですから。シスジェンダー特権を指摘するのは、トランスの人々の生活にシスセクシズムが及ぼしている現実の実質的な影響について、相手に理解させるためです。

残念なことに、インターセクショナル(複合的)ではなくユニラテラル(一方的な)ものの見方をする人たちは、この反対の言説に従事しています。シスジェンダー特権を持っていることを指摘・非難することで、相手を間違った者、抑圧する者として描いてしまうのです。この問題についてはここで詳しく論じました。

トランス嫌悪的な相手、問題だと思う相手、その他何かしらの理由で不都合な相手に対して、誰でにもシスジェンダー特権の非難をぶつけることで、トランスであることで日々常に周縁化されている人がスッキリしてしまうという気持ちは、私にもよくわかります。けれど、それを「社会運動」と混同しないようにしましょう。

そもそも「自分の発言は真面目に取り合ってもらえないんじゃないか、雇ってくれるところなんてないんじゃないか、必要な医療を医者に無視されるんじゃないか、などなど、心配になることはありますか?」という質問は、トランスだけに特異なことではありません。その具体的なあり方は違えど、女性、他のLGBTQ+の人々、有色人種(POC)、障害を持つ人々(PWD)、その他の周縁化された人々にも、この質問は当てはまるのです。

ですから、ひとつの特権のかたちにだけフォーカスして、他の特権のかたちを考慮せず、相手が自分では気づいていない自身の持つ利点について教えようとするのではなく、間違った人として中傷するためにそれを使うのは、まずもって反インターセクショナル的ですし/

/たいてい、非常に偽善的な行為です。なぜなら、その相手があなたの持たない特権を何かしら持っているかもしれないのと同様に、おそらくあなただって、相手が(そして他の人々らが)持っていない特権を持っているのですから。そう考えると、次の点にも考えが及びます。

(2)トランス女性は男性特権を持っているのか否か。私の回答としては、2つのフレーバーを用意しました。(a)「落ち着いていてクールで、筋の通った、インターセクショナルな活動家」味、そして(b)「ブチ切れている、ベテランのトランス・フェミニスト」味です。どちらも紹介しますが、だいぶ違う印象を受けるでしょう。

(2ーa)男性特権について、まず状況分けが必要です。小学校や中学校で社会的な性別移行をして、男子/男性として生きた経験がゼロかほとんど無いようなトランス女性の話ですか? であれば、男性特権は基本的にゼロでしょう。

あるいは、典型的な男性として生きていて、男性が支配的な分野で数十年も成功してきたけれど、そのあとに性別移行をしたトランス女性ですか? であれば、そりゃもちろん、これまでの人生でまあまあな男性特権を経験してきたことでしょうね。

「落ち着いていてクールで、筋の通った、インターセクショナルな活動家」味の私は、ここでしかし言わねばなりません。彼女らが男性特権によって得をしてきた部分はあるかもしれないけれど、トランスであること(他にもあるかもしれませんが)によって彼女らは周縁化もされてきたんだということを。

解雇されるかもしれないとか、必要な助けを拒否されるかもしれないとか、トランスとわかったら真剣に話を聞いてもらえないんじゃないかとかが心配という(当然の)理由で自分自身のことを隠す必要性を感じているというのは、男性特権にあぐらをかいているのとは違います。シスセクシズム的なこの世界で、生き延びようとしているだけです。

男性特権の利点は実質的に存在しますが、私たちトランス女性たちにとってそれは、シスジェンダー特権(例えば、性別違和に取り組まなくていい、自分の性別を茶化されることがない)なんかよりよっぽど重要度の低いものだと、私たちが性別を移行するということ自体からも分かります。

言い換えれば、特権にはいろいろなかたちがあって、性に関する特権も様々なのだから、抑圧五輪(oppression Olympics:誰がより抑圧されているかを競うこと)で競い合うのではなく、すべての性差別と周縁化を終わらせるために共に戦いましょうよ。以上です。次は2−b(訳者注:「ブチ切れている、ベテランのトランス・フェミニスト」)です。

(2−b)そもそも「トランス女性は男性特権を持っているか」なんていう質問をする理由はなんなんだ? (訳者注:太字部分は原文では大文字のアルファベットで強調)こういった質問をする人は、特権という概念を教育的道具として使っていないことが明らかです。女性と男性が社会でどう不均衡に扱われているか、女性であることに関連付けられた相対的不利益がどれだけあるかについて、自分ごととして/

/(訳者注:トランス女性よりも)よりよく理解している人など、多くないのですから。ほとんどのトランス女性が、こういった不均衡についていくらでも話す気があります。『Whipping Girl』という本で私もこの問題を取り上げました。(訳者注:著書の該当箇所の画像がツイートに添付されています) それでもトランスの人々の経験を男性特権「のみ」に注目し、/

/男性特権(male privilege)がどのようにして複雑に男性性特権(masculine privilege)や異性愛特権、シスジェンダー特権、その他の特権(あるいは特権の欠如)によって更に複雑にされ、影響を受け、変容させられるのかについて一切の議論を行わない人というのは、端的に言って、私たちの立場や社会的に置かれた特異な状況を抹消しているのです。

これは、反インターセクショナル的であるだけでなく、トランス女性に対して彼女らの存在そのものを無効化するような精神的打撃です。なぜならそれは、私たちの存在のほんの一部だけを抜き取って、それ以外を見ようともしない行為だからです。だからこそ、TERF(trans-exclusionary radical feminists:トランス排除的ラディカルフェミニスト)とその他の人々は、私たちの存在を男性特権に矮小化しようとし続けているんです。(訳者注:例が画像としてツイートに添付されている)

すでに話したとおり、特権という概念は、他者の周縁化によって自身が持っている(けれど気づいてはいない)利点についてその人たちに気づかせるための道具として考えられるべきです。そしてトランス女性はすでに男性特権について十分に気づいています! それに、私たちは男性特権を今は持っていません(人によっては初めから持っていません)。

ですから、お願いです。男性特権についての議論を、あることないことごちゃ混ぜでトランス女性にぶつけるのをやめてください。代わりに、現在も男性特権を経験していて、多くの場合それについて教えられる必要があるような、圧倒的多数のシスジェンダー男性に向けてください。以上です。

ところで、ご存じない方のために紹介しておきます。『Whipping Girl』の特に307〜313ページで、トランスの人々の文脈における男性特権についてはより詳細に(そしてここで書いたよりもうまく)論じています。よかったらご覧になってください! #trans #transgender #LGBTQ #feminism http://juliaserano.com/whippinggirl.html

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原文筆者について

Julia Serano(ジュリア・セラーノ)
米国の文筆家、トランス・バイセクシュアル活動家、生物学者。著書に『Whipping Girl』『Excluded』など。
@JuliaSerano

翻訳について

この文章は、上記原文筆者が執筆し、2018年11月16日にツイッターに投稿したものを、マサキチトセが2019年1月9日に日本語に翻訳したものである。なお翻訳は推敲を経ておらず、原文との完全一致を保証するものではない。

画像について

画像は翻訳時のジュリア・セラーノのツイッタープロフィールのカバー画像。

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ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。