職場のセクハラ対応はどうあるべきか

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2022年11月20日

私は、某企業で労務管理の仕事をしています。
労務管理とは、「労働条件・就業規則等の管理、勤怠の管理、給与・賞与の計算 等」のことです。

つまり、従業員と会社の契約内容を明確にしたり、それがちゃんと現実に反映されているかを確認したり、問題があったら対応したりといった仕事です。

大きい会社だと、労働条件通知書を作ることを専門にやってる人がいたりすると思います。でも私の働いている会社は従業員こそ多いものの規模が小さいので、私を含めほんの数人で労務管理や経理、人事など事務仕事をこなしています。

そんな状況ですから、従業員同士でケンカが起きたり、セクハラが起きたり、管理者への不満が爆発したりという事態にも、その数人で対応することがほとんどです。

政府から色々なガイドラインが出されていたり、就業規則に関して新たな項目を増やすよう通達があったりしますので、基礎的な方針はどこの会社も一緒だと思います。でも実際にトラブル解決を試みてきたなかで私たちが気づいたこと、失敗したこと、工夫したことなどがたくさんあります。

ルールやマニュアル通りの対応は、実際に感情を持ち尊厳を持つ人間を前にしたときに、必ずしも有効とは限らないということを、身をもって実感してきました。

特に加害者と被害者がいるケースでは、対応する者の「被害者を助けなければ」という使命感が解決を遅らせてしまうことがあります。

その中でも、今回はセクハラについて、私がこれまでの経験上気をつけるようになったポイントをいくつか紹介します。

被害者の対応を最優先する

セクハラが起きたとき、私たちはまず加害者を責めることを選んでしまいがちです。悪いことをした人に、反省させる、罰を与える、謝罪させる——学校なんかで先生が生徒によくやらせるやつですね。

しかし、いじめられている子に対していじめっ子を謝らせたところで何も解決しない、あるいは事態が悪化してしまうこともあるということが多くの人に理解されている通り、職場のセクハラについても同じことが言えます。

逆恨み、復讐、加害の過激化、あるいは無視などによる業務妨害などの可能性を視野に入れなければいけません。

担当者がまず初めに話をする相手は、加害者ではなく被害者です。

被害者にまず話を聞くのは、加害者とは別の性別の人

セクハラの内容にもよりますが、多くの場合、被害を受けたあとも不快感や嫌悪感などが残ります。また、セクハラが性的なものであるがゆえに、その内容には加害者と被害者の性別の組み合わせ(男性から女性に、女性から男性に、etc.)が無関係ではありません。

例えば男性からセクハラを受けた女性従業員に対して、男性の担当者が「あなたにはこんなセクハラが行われましたね」と確認すること自体が、セクハラになる場合があります。

また、具体的な質問をいくつもされたり、被害内容を再現させられたりと、被害の報告には被害者にとって屈辱的な行為が含まれてしまう場合があります。それをできる限り屈辱的でないものにするための工夫として、加害者と同じ性別の人に初動を担当させないことが有効な場合があります。

なので、少なくとも初動においては、被害者対応は加害者とは別の性別の者があたることで聞き取りがスムーズになる可能性が上がります。

被害報告をまず100%信頼する

窃盗や暴力などの被害は、大抵の場合、報告内容をまず一度は信じてもらえます。その上で、実際に報告が正確かどうか、不正確であれば何が実際に起きたのか、実際の損害はどの程度なのかを調べるという流れになると思います。

しかしことセクハラについては、最初の段階から疑いの眼差しを向けられることがあります。

「自分から誘ったんじゃないの」
「勘違いしてんじゃねーよ」
「そこまで悪質なものじゃないよ」

などなど、被害の矮小化、無化が試みられる傾向があります。

そのため、セクハラの被害者はそもそも報告することを控えたり、あるいは「勘違いかもしれないんですけど」とか「悪気があったわけじゃないとは思うんですけど」とか言ってあらかじめ控えめな報告をしたりする場合があります。

ただでさえそういう傾向があるのに、最初に被害者の対応にあたった者が疑いの眼差しを向けたりしたら、さらに控えめな内容に後調整してしまったりして、余計に被害の報告が不正確になります。場合によっては被害報告を取り下げる可能性もあります。

正直言って、企業としては、トラブルがなかったことになれば「助かった」と思うでしょう。あえて疑いの眼差しを向けることで被害を取り下げるよう仕向ける企業もたくさんいます。しかしそれは被害を受けた従業員の尊厳を傷つける行為ですし、まわりまわって(訴訟、社会的信用の失墜、関連省庁による調査や追求などとして)企業自体にも不利益をもたらす行為です。

実際に何が起きたのか、真実を探すのは、もっとあとの段階で大丈夫です。とにかく最初は、100%被害者の言い分を信用することが大切です。(この際、会社にとってあなたは大切な従業員ですよという態度を持って接することが大切です。この点については後述します。)

自分が救世主になろうとしない

セクハラが起きたとき、加害者、被害者、そして職場の環境に責任のある企業自体が当事者になります。しかし解決における主体は、被害者です。

これは、被害者が率先して解決しなければならないという意味ではありません。

被害者にとっての「働きやすい職場」の回復が最優先である、という意味です。

セクハラ問題は、「性的嫌がらせをされる職場で働くのが苦痛だ」というものです。つまりセクハラ事件の解決というのは、被害者が性的嫌がらせから自由に働くことのできる職場環境を再構築することになります。

これを反対の方向から言い換えると、「被害者にとっての『働きやすい職場』の回復につながらないことは、しない」となります。

セクハラ問題に憤っているひとの中には、加害者に対して職場転換や減給、あるいは退職勧奨、解雇などの懲罰をするべきだと思うひともたくさんいると思います。そしてその怒りは正当だと思いますし、私自身も同様の怒りを感じることが多々あります。

しかし、あくまで、被害者にとっての「働きやすい職場」の回復につながらないことはしないことが大切です。なぜなら、そうすることが逆に解決を遅らせたり、新たな問題を引き起こしたりしてしまう可能性があるからです。

その点では、まさにセクハラが起きている瞬間に介入して加害を止める場合を除いては、基本的にセクハラ対応の担当者以外の従業員が個人として解決しようとすることは危険が大きいです。

自分がヒーローになろうとすると、二次被害を起こしたり、事態を悪化させる可能性があります。しかるべき窓口に報告するか、そういう窓口の存在や会社の方針についての情報を被害者に提供するにとどめるのが良策です。

被害者との相談を通して対応を決めていく

では、何が被害者にとっての「働きやすい職場」の回復につながるのでしょうか。それは、ケースバイケースでしか判断できません。

たとえば、被害者が望めば、加害者への働きかけを保留する場合もあります。

加害者には言わないで欲しいけど、こういうことをされたと誰かに相談したかった、というような場合も考えられます。その場合、「別に対応しなくていいんなら、そんな話してくるなよ」と思うセクハラ対応担当者もいると思いますが、従業員に「この人に話を聞いてもらいたい」と選んでもらったことを光栄に思うべきです。また、一度でも話を聞いておくことで、問題が再発したときにスムーズに対応できるということもあるでしょう。

あるいは、加害者には言わないで欲しいけど、再発したら嫌なので、何か手を打って欲しい、という場合も考えられます。その場合はたとえば「その職場の責任者に目を光らせてもらう」「従業員向けにセクハラ問題の講座を開く」「注意喚起のポスターを貼る」など再発防止のための方策を検討し、どのような対応が可能なのかをすべて被害者にも開示して、被害者との相談を通してどう対応していくか決めるのがいいでしょう。

加害者に口頭や文面で注意はするけれど、懲罰や職場転換はしない、しかし職場の責任者にセクハラの内容は報告し、目を光らせてもらう、ポスターも貼る、そして次に何かおかしな行動があったら厳しく処罰する、みたいな合わせ技も、相談の上で、ありえます。

つまり、無罪か有罪かみたいな極端な話をするのではなく、あくまで徹底して被害者の「働きやすい職場」の回復を目指すわけです。

(もちろん、被害者への聞き取りから相談などすべてのプロセスにおいて、それにかかる時間はその従業員に賃金が支払われることが前提です。就業時間内に話し合いが難しい場合は、時給を支払って話し合いの場を設けるべきです。)

また、話し合いを通してどんな結論に達したとしても、それを覆す権利は被害者が持ち続けます。なので「もし、やっぱりきちんと追求したい、加害者にも働きかけて欲しいし、職場転換など懲罰も含めて解決に向けて動いてもらいたいと思ったら、いつでも言ってくださいね、こちらは全力であなたに寄り添います」と伝えることが大切です。

(「全力であなたに寄り添います」というのは、思いっきり加害者に罰を与えますという意味ではないですよ、念のため。)

被害者の感覚をセクハラ対応の根拠にしない

本人が嫌だと思えばセクハラになる、というのは、一般的によく言われることです。この主張には大切な意義があります。それは、「私が嫌だと思った」という気持ちを自分自身が尊重して、被害を報告する勇気をくれることです。

一方で、問題もあります。それは、「嫌だと思ってないよね」「別にそんなの気にしねーよな」という圧力を誘発してしまうことです。上で、最初にまず100%信じることが大切と言いましたが、そこには「嫌だと思った」ことに対する肯定も含まれます。その気持ちを肯定しないことには、(被害者が周囲の空気や圧力に負けて被害を取り下げたり、被害内容を控えめに報告してしまって)不正確な情報しか手に入らなくなってしまうかもしれないからです。

まず100%信じること、嫌だと思った気持ちを肯定すること。

そのあとに、その報告内容が正確なものか検証することになります。

そして実態が明らかになったら、会社としてそれがセクハラであると判断するかどうかの段階に入ります。この段階においては、もう被害者本人がどのくらい嫌だと思ったかは判断材料の1つでしかありません。客観的に見て、一般的な価値観に照らし合わせて、当該行為がセクハラにあたるかどうかを判断するのが主になります。

セクハラであったと判断した場合、ようやくここで初めてどういう対応をするかという検討に入ります。

この段階で、会社は会社の判断として当該行為をセクハラだと認定しているのであって、セクハラ対応の根拠(なぜ会社として対応するか)はすでに被害者の感覚ではなくなっています。

そして、企業はセクハラに関して、
・相談に応じ、適切に対応する体制を整備すること
・企業の方針を明確化し、従業員に周知すること(就業規則など)
・被害者への対応、加害者への対応をすること
・プライバシーを守って対応すること
・報告や証言などによる不利益がないようにすること
という義務(〜しなければならない)を持っています。これは法律で定められたことです。

つ・ま・り!

事実関係の検証が済んで、セクハラだと会社が判断したあとは、対応の根拠は個人の感覚とは大きく遠ざかって、

法律です。

正確に言えば、防止と対応と再発防止しなさいという法律に従うために明文化した自分の会社の方針です。

被害者との相談を通してどういう対応するかを決めるべきと言いましたが、これは別に被害者の望み通りに対応するという意味ではありません。会社の方針に照らし合わせて、従業員の振る舞いとして間違っているものに対処するというのが、セクハラ対応の根拠です。つまり、相談を通して被害者の訴えや心配事、就労継続に伴う不安など、様々な聞き取りをした上で、会社としてできる対応を被害者にも伝え、被害者が納得できる方法を模索して、会社の方針に基づいて対応するんです。

つまり「〇〇さんが嫌がっていたからやめてください」というセクハラ対応は、間違っています。するべき対応は「うちの職場では許されない行為です」の一択となります。これは、会社の責任において対応するということです。

それを加害者に直接向けるか、全従業員に改めて周知するにとどめるか、あるいは加害者の上司に改めて説明して目を光らせてもらうか、もっと厳しくやる場合は加害者に向けた上で懲罰を与えるかなど、選択肢はいろいろあります。けれど根本的に、対応の根拠は「うちの職場では許されない行為です」の一択です。

問題に対処するだけでなく、普段から改善を

被害者の「働きやすい職場」の回復につながらないことはしないと言いましたが、これは、被害者が望んだこと以外は何もしないという意味ではありません。

なぜなら、その被害者1人だけに対応すれば済む問題ではないからです。

たとえば再発防止のために掲示しているポスターを増やすとか、管理職向けのセクハラ対応講習を拡充するとか、セクハラに対応する人員を増やすとか、会社全体の取り組みとして(普段から、あるいは特定の報告を受けたときでも)何かすることはできるわけです。

そうすることで、セクハラを報告しやすい環境、相談しやすい職場を普段から作っていく必要があります。会社がセクハラに厳重に対処することを周知することで、加害者が加害を踏みとどまったり、気をつけるようになるという効果もあります。

それともうひとつ、セクハラは主に上下関係がある場合に発生します。つまりパワハラでもあるわけです。なので、多くの場合「私が我慢すればいいや」とか「私なんて週1のバイトだし」とか「加害者がいなくなれば会社は回らなくなる、でも私がいなくても大丈夫、じゃあ辞めよう」とか、そういう風に思ってしまう可能性があるわけです。

これが何を意味するかと言うと、セクハラ(パワハラも)の防止には、従業員全員の自己肯定感の向上と維持が非常に有効なのではないかということです。

「会社は、立場にかかわらず、あなたを大切に思っている」というメッセージを普段から会社が発して、それを従業員に信用してもらえるよう努力すること——それが、従業員がセクハラ被害を受けたときにそれをセクハラである(従業員が受けるべきでない不当な取り扱いである)と認識し、それを報告できる環境につながります。同時に、「立場のある自分も、立場のないこの従業員も、等しく会社に大事にされている従業員である」という認識は、潜在的な加害者にとっても有効な歯止めになるはずです。

そして最も大事なのは、本当に従業員を立場にかかわらず大切に思うことです。そうすれば、上に書いてあることなんか、当たり前のことだと思えるはずです。

法律だからとか、就業規則に書いてあるからとか、そういうのは「根拠」にはなるけれど、本来あるべき「動機」ではありません。

セクハラの対応にあたる人として、私もその動機を忘れないようにしたいと思っています。

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    1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。