逃げないDV被害者はバカなのか

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2022年11月20日

暴力の被害に遭っている/遭っていた女性が、単に無力だったり無知だったりして何もアクションが起こせなかったり、受動的な実践(泣き寝入りとか暴力への感覚麻痺とか認知の歪みとか)しかやっていないという偏見とは異なり、日々様々なやり方で暴力と向き合って、それをなんとかしようと様々な実践を積極的に、本人たちの最も適切と思うやり方でやっているのだということを、様々な統計を使って示している論文『Battered Women's Protective Strategies』(2009年7月・VAWNET)を紹介したい。

まず最初の2つの段落からして重要。私がざっくり翻訳したものを載せるので、正確な内容は原文を当たって欲しい。

虐待を受けた女性が防衛のためにどのような戦略を採用しているのかを調べようとするとき、まず頭に浮かべるべき質問は、「何から防衛するのか」というものだ。「将来も継続する暴力からだ」というのは自然で明らかな回答のようだが、実際にはそれは1つの回答に過ぎない。身体的な痛みだけではなく、女性の生活における様々な他の部分もまた、虐待によって脅かされているのだ。例えば経済的な安定、子どもの生活と安全、社会的な地位や社会的烙印を押される度合い、精神的な健康、自己肯定感、そして将来への展望や夢などが脅かされるが、この他にもまだまだ、暴力的なパートナーによって日々脅かされているものはたくさんある。実際のところ、生活・人生のこういった部分に関しての脅威は、時として怪我や身体的痛みの脅威に勝ることもあるのだ。

被害者に暴力の責任があるわけではないが、嫌なことがあっても私たちはそれに対応しなければならないように、虐待の被害者も暴力になんらかの対応をすることになる。しかし彼女たちがほとんどの場合暴力による様々な脅威(身体的な痛みを伴う脅威も含め)に対応しようとしているのだという認識は、あまり広がっていない。悲しいことに、全ての脅威から同時に身を守ることなどとうてい出来ないし、全ての脅威においてリスクを分散させることも難しい。むしろ、時にはある脅威から身を守ろうとした結果が他の脅威を増幅させることもある。特に、虐待を受けた女性やその子どもたちが(特に緊急事態のときに急いで)暴力の現場を去るということがいかに予想しない結果を及ぼすかといったことは、多くの学者や活動家の耳には届いていない (Davies, 2009)。一刻も早く暴力の現場から離れることが当然の選択肢だろうと推測するのは確かに分からないでもないが、しかし実際はそんなに甘くない。中には経済的にそして社会的にも恵まれない女性がいて、彼女たちがその場を去ることは、特に短いタイムスパンでは、その場に残ることよりも危険なことかもしれないのだ。

そしてこうも言う。

暴力の現場を去る方が残ることよりも絶対にいいはずだし安全なはずだという憶測は、被害者たちが実際に採用している防衛のための戦略の多様性を理解していないことの表れである。この文章の目的のひとつは、女性がいったい何を守ろうとしているのか、そしてそれをどのように守ろうとしているのかの定義を広げることにあります。

そしてこの後には、暴力の現場を去ること、加害者との関係を絶つことなどが必ずしも最善の選択肢ではないと判断する理由として、以下を例に挙げている。

加害者による脅し(しかも実際に一度離れるとストーカー行為が始まったり、もし戻ったりすれば更に暴力がひどくなるケースも多い)
金銭的な困難(ひとりになっても、あるいは子どもを抱えている状態では生きて行けない、カウンセリングを受けられないなど)
シェルターなどにおける運営の問題(短期間で出されてしまうなど)
社会的な問題(離婚に反対する親族がいたり、夫による暴力について口を紡ぐことがいいことだとされている文化に住んでいるなど)
「離婚するのはおかしい」というような個人的な価値観など

最後が特に重要なところで、というのも、この部分は決して「そういう個人的な心情があるから逃げられないんだ(このバカが)!」という意味ではない。こういった価値観を捨てることによる精神的なつらさはとても大きいこともある。例えば宗教団体や教会などが彼らの価値観を守らなかった女性を排除したりしたら、彼女が受けていた社会的・金銭的・精神的な支援すら失われてしまうのだ、と著者は言う。

では、虐待を受けた女性が実際にどのような戦略が実践しているか。著者によれば、その内容は多岐にわたる。

Immediate Situational Strategies(迅速な状況戦略)
暴力が起きたその場で起こすアクション。誰かに電話をするとか、寝室に逃げ込むとか、家を飛び出すとか。
Protecting Children, Family, Friends, and Pets(子や家族、友人、ペットを守る)
被害者は多くの場合、自分以外の者の防衛にも気を回す。出て行ったらペットを殺すと脅されたり、子どもにも危害が加わると心配したり、あるいは暴力を子どもが自分の責任だと思ってしまうことのリスクもある。周囲の人を守るというのも、女性たちが採っている対応のひとつ。
Using "Classic" Legal and Anti-Domestic Violence Services(旧来の法的措置やDV関連のサービスを利用する)
警察を呼ぶ、保護してもらう、シェルターに行く、DVプログラムを利用するなど。
Reaching Out for Social Support(人間関係を通した支援を求める)
家族や同僚などに打ち明ける。そうすることで物事が明確になったり、違う角度から見れるようになる。また、危険を回避するためにどうしたらいいかを一緒に考えてくれたり、加害者の責任を追及するときに力になってくれたり、そして何より加害者による暴力の矮小化や否定、更には責任転嫁などに対抗する手助けになる。緊急時の滞在先にもなるし、持ち物の保管をお願いすることも出来る。逆に怖がられたり拒否されたり変な目で見られるというリスクもあるけれど、研究によっては90%の女性が家族や友人に暴力を打ち明けているという。
Turning to Spiritual and Religious Resources(スピリチュアルあるいは宗教的なものに助けを求める)
ここが本当に面白いと思うんだけれど、「女性のスピリチュアリティを尊重しながらも同時に安全になる権利を支援するようなやり方を考えるためには、まだまだ課題が大きい」と言っていて、単に「個人の信条のせいで物事がちゃんと見えてない」というバカみたいな解釈ではない、本当に女性の安全を考えた発言だと思う。また、統計にも宗教やスピリチュアルな信仰によって多くの女性が救われ、強さを手に入れ、道を見つけ出したかということが表れている。
Use of Traditional Health, Mental Health, and Social Services(旧来の医療的、精神医療的、社会的なサービスを利用する)
かなり多くの女性が、精神科医やソーシャル・ワーカー、外科医、薬物・アルコール関連の虐待を受けた人のためのケアをする団体や人、地域の保健所などの健康関連及びソーシャル・サービス系のところに助けを求めている。
Terminating the Relationship(加害者との関係を終わらせる)
戻ってしまうケースが多いのだけれど、やっぱり関係を終わらせるという戦略もある程度は使われている様子。でもこの戦略には殺されるリスク、離れてからも続く(時にエスカレートする)暴力行為、そして子どもの親権を奪われるリスクなどを伴ってしまう。
Invisible Strategies(見えない戦略)
「見えない戦略」として著者が挙げているのが、以下のようなこと。銀行の口座を作って貯金し始める(離婚調停をするとか親権を取るとか住居をまともにするとか、多くの面でメリットが多い)、学校に戻って職業スキルを上げたり教育による恩恵を受ける、親権を主張したり子どもの父親への面会に付き添い人を付ける、暴力的な場面に出くわしたときにどのように逃げ出すべきかを子どもに教える、加害者と子どもが一緒に過ごす時間を減らす、運動家や相談員などの助けを借りたり、あるいは自分たち自身でパートナーと互いに話し合って関係を修復する、全ての制約と全ての選択肢を考えて計算した上でその場に残ることが現状で最も安全な選択だと判断する、など。

興味深いのは、これらの戦略はほとんどの反DVや被害者支援に関わっている人たちが日々の実践の中から当然知っていることであって、むしろ被害者たちがこういったことが出来るように支援しているのにも関わらず、研究結果とか統計ではあまり大きく取り上げられないし、どれだけ多くの、どれだけ練られた戦略を、どれだけ多くの女性たちが実践しているかについて、私たちは全然知らないんだということ。

さらにこう付け加える。

虐待を受けた女性のほとんどは危険のリスクを常に頭で測っている。また、置かれている状況によって適切な戦略が違うことを認識し、状況に合わせて戦略を変えたりしながら様々な防衛戦略を試している。私たちは、なぜある女性がその戦略を採用したのかについて、そして多くの女性が採用する様々な戦略の実態について、もっともっと知る必要がある。(リスクの低いが状況の劇的な変化が起きづらい「コンサーバティブ戦略」と、積極的に変化を求めるが故に更なる暴力や脅迫などのリスクの高い「ベンチャー戦略」のあいだをとった)バランスの取れた戦略は、安全性だけに固執せず、女性が経験する様々なリスクを視野に入れており、恐らく多くの女性がまさに今も実践しているものだろう。虐待を受けた女性にとって生活のあらゆる面でメリットが多くデメリットの少ない虐待への対応の仕方を支援するためには、運動家やサービスを提供する人や団体、そして研究者たちは皆、一歩下がって被害者が生きている社会の全体を見つめ直す必要があるだろう。

暴力への様々な対応についてのいくつかの調査によって、多くの女性たち(恐らく3分の2程度)が、「積極的」だと思われるような対応の仕方と「消極的」だと思われるような対応の仕方の両方を含んだ様々な対応をしていることが分かった。被害者の対応の仕方を「積極的」か「消極的」かのどちらか一方で判断せず、全体を見たときに最も適切な戦略がその両方の面を備えている可能性に目を向けなければいけない。そしてそのような戦略はきっと、痛みを減らしながらも同時にメリットが増えるような最善の戦略だろうと思う。

DVやデートDV、英語圏では最近はIPV [intimate partner violence](親しいパートナーによる暴力)と包括的な表現がされているけれど、そういったものを問題視するときに「被害者の意識啓発」が中心に据えられることの多い日本において、こういった情報が少しでも広がることで、より適切な支援を、周囲からバカにされることなく受けられる社会になって欲しいと思う。重要だと思ったら拡散して欲しい。

ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。