2 Comments

  1. chihiro
    3/13/2013
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     両方の記事を興味深く拝見いたしました。
     ポーチの記事は「啓蒙」のためには、素晴らしい記事だと思いますし、わたしじしんもジェンダーの問題を考えるときに、「同性愛は歴史的にどの時代にもあったし、動物の世界でも同性愛はある」とどこか前提にしています。
     包帯の様な嘘さんは、しかしそういう風に統計データなしに主張することは、そもそも「同性愛」なるものの誕生の歴史――その事例としての19世紀後半のアメリカ――を考えると、困難であるかあるいは非科学的であるとしています。
     なるほど、その通りかもしれません。ただし、そうするとひとつは、包帯の様な嘘さんは、なにに依拠して、非科学的であると主張できるのかその典拠が知りたくなります。
     またもうひとつは、やっぱりどこか科学的に証だて可能な普遍性をもったものとして、「同性愛」と現在からみて同定可能な人々を示すことができなければ、そういう多様な在り方をしているひとたちの存在を社会的認知の俎上に載せることは、逆に不可能になるのではないかとも思います。かつてにも現在にも統計的に捉えがたい性的志向と性自認をしているひとたちがいるんだ、しかしそれは統計には表れない、と主張するや、下手をすれば、いやじゃあそもそもそんなひとたちははなからずっと恒常的に普遍的に存在していたのではなく、もし現在いるのだとすれば、現在の社会的な問題にすぎないのでは?とされかねないように思えるのですがどうでしょうか。

     

    • Masaki C.
      3/13/2013
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      chihiro さん

      コメントありがとうございます。1つめの点は論理的なもので、2つめは政治的な質問ですね。 chihiro さんのコメントでは「グラデーション」について触れられてないので、それについてはご納得頂けたようでよかったです。

      「同性愛」の歴史についてですが、有名どころではミシェル・フーコー『性の歴史』シリーズ、デイビッド・ハルプリン『同性愛の百年間 -ギリシア的愛について』 などに歴史学・系譜学的な説明が載っています。ページ数を言えるほど読み込んではいないので、ざっくりした情報ですが…。

      「普遍性」を持ったものとして「同性愛」や「同性愛者」を語ることには、確かに政治的なメリットがあるでしょう。しかし同時にそれは、例えば「セクシュアリティ」「性的指向」といった、欧米的で学問的で(おそらく)都市的で中流階級的な言葉・概念を用いて解釈する「ひとのセクシュアリティのあり方」が、唯一正しい解釈であるという前提を受け入れることにも限りなく接近します。それを「デメリット」と感じない人には理解して頂けないと思いますけれども。

      > じゃあそもそもそんなひとたちははなからずっと恒常的に普遍的に
      > 存在していたのではなく、もし現在いるのだとすれば、現在の社会
      > 的な問題にすぎないのでは?

      という主張には、私は「そうですよ。現在の社会が問題なんです。ひとの性のあり方を一定の基準で分断して、片方を差別し、もう片方を優遇し、そのどちらにもあてはまりづらいようなものは、無いことにしてしまう。現在の社会の問題です。一緒になんとかしませんか?」としか答えられません。そもそも私は、同性愛者差別がなくなるときというのは、「同性愛者」というカテゴリー自体が全然口にも出されず、思い浮かべられもしないような状況になったときだと思っています。(その頃には「足性愛者」というカテゴリーができて、足性愛者は治療の対象となったり独自の旗を掲げてパレードしてたりするかもしれませんが)

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