「国益」って誰の益だろう

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2022年11月20日

『「慰安婦」問題は#MeTooだ!』というショートムービーがまもなく完成するらしい。これは、JSPS科研費基盤(B)「ジェンダー平等社会の実現に資する研究と運動の架橋とネットワーキング」JP26283013平成26-29年度の研究成果として制作されているそうだ。この研究は、いわゆる科研費(科学研究費)と呼ばれる、その予算のほとんどが国の交付金や補助金でまかなわれている研究費によって実行されている。この研究については、以前から杉田水脈議員が批判をしていた。いわく、「こんなことに科研費が使われているなんて!」ということらしい。

こうした攻撃について、研究グループより反論が出ている

そんななか昨日、杉田水脈議員がさらにこんなツイートをした。

学問の自由は尊重します。が、ねつ造はダメです。慰安婦問題は女性の人権問題ではありません。もちろん#MeTooではありません。それから、国益に反する研究は自費でお願いいたします。学問の自由は大事ですが、我々の税金を反日活動に使われることに納得いかない。そんな国民の声を受け止めてください。
杉田 水脈 - 11:07 PM - 11 Apr 2018

「慰安婦問題は女性の人権問題ではありません」という言葉には驚かされる。では何の問題だというのだろうか。従軍慰安婦の存在を知っていてなお、それが女性の人権の問題ではないと言い切る背景には、どんな論理があるのだろう。国家間の問題だと言うのだろうか。だとしたらそれは、「お前のところの娘に悪いことをした」とか「うちの娘になんてことしてくれたんだ」というような、女を所有物としてしか見ない考えに思える。正にそれこそが女性の人権問題だ。

さらに杉田議員は、この研究を「国益に反する研究」「反日活動」と言っている。この人はいったい、学問を何だと思っているのだろう。事実を検証し、また反証可能性を確保する形で根拠を示しつつ、あらたな知見を生み出す——その結果、ある国家や政府の責任を明らかにすることは、当然あり得ることではないか。科研費がもし、政府に不利な結論は黙っておくべきだとか、政府の意向に沿ったテーマのみ扱うべきだとか、そういうポリシーを持っているのだとしたら、それは「科学研究」を冠してはならない制度だ。「科学研究費」ではなく、「プロパガンダ研究費」に名前を変えたらいいと思う。学問の自由? そんなのクソくらえですよね。あ、杉田議員は学問の自由は尊重するんでしたっけ…?

あと、なぜか「国民の声」という大きな主語で「我々の税金を反日活動に使われることに納得いかない」と語る杉田議員だけど(「過ぎた議員」と誤変換されて、それもそうかもと一瞬思いましたが直しました)、もし杉田議員が望ましいと思っている「プロパガンダ研究費(仮名)」が実現したら、私は自分の税金がそんなことに使われることには納得いかない。届くかな、この私の国民の声。そもそも私の税金が使われることに納得出来ないのは他にもたくさんある。婚活関連とか。それこそ自費でやって! って思ってる。あと、朝鮮学校が排除されてる高校無償化にも納得できない。

高校無償化については、それ自体はいいことだと思う。だからちゃんと朝鮮学校も他の同等の立場の学校と同じように無償化されたら、どうぞ私の税金使って! って思う。でも今は無理だ。納得できない。ましてや、在日コリアンからしたら、納得できるわけないじゃんって思う。だって在日コリアンも、税金を「国民」と同じように納めているんだもの。もっと言えば、ニューカマーと呼ばれる人だって、難民申請中の人だって税金を「国民」と同じように納めている。もっともっと言えば、老後を日本で過ごす予定じゃない人まで年金を払ってる(このへんは複雑なので詳しく知りたい方は「社会保障協定」を調べてください)。現状は、「国民でない人のために国民の金が使われてる」んじゃなくて、逆だよ。福祉や色んな恩恵を「国民」に限定している日本の現状は、「国民のために、国民でない人の金まで使われてる」だ。

そして、国民でない人に制度の対象を拡大することとか、政府の意向に沿わない研究をすることとか、さらには日本政府への批判を口にすることすら、そういうのをひとくくりに「反日」とか「国益に反する」とか言う人が多いけど(杉田議員もそういう層にアピールしているのだろう)、安易に敵認定してみんなで殴れるサンドバッグを欲しがっているだけに思える。私はたまたま「国民」で、近い家族もほとんど「国民」で、その恩恵を受けている人だから、「反日」とラベルづけされても日常生活で恐怖を感じたり実際に不利益を被ることはほとんどない。でも日本で「国民じゃない」とされる人や、家族に「国民じゃない」とされる人がいる人にとっては、「反日だろう」と疑われることすら、日常を脅かし得る。家族全員「国民」だったとしても、日本以外にルーツを持っていたり、琉球やアイヌのルーツを持っていたら、そこをいつ攻撃されるかわからない。

そんな社会にいて、「あれは反日活動だから税金を使わせるなー!」と叫ぶことは、とても恥ずかしいことだと思う。

ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。