婚姻制度は官製の弱者ビジネスです(松沢さんへの応答)

4. 同性婚実現の難しさは、今回の議論に関係あるか

私の解釈では、「ほとんど関係ない」が答えになります。ですが松沢さんは憲法の話とか条約がどうとかの話をしていて、なんでそんな話をしているんだろうと不思議です。

そもそも、婚姻制度が差別的であるというのは、「異性婚に制限されているから」という理由だけではありません。婚姻制度は、複数のレベルにおいて、「差別的」なのです。

1つには、利用者を制限しているという点において、差別的です。つまり異性愛者、及びその他のセクシュアリティーを持つが異性と結婚することを選ぶ人たち、また、「離婚後6ヶ月経っていない女性」以外の人々にのみ与えられた選択肢であるということです。

2つめに、利用者を制限することによって、「利用できない人たち」の社会的地位を貶めているという点において、差別的です。実際に利用しているかどうかとは関係なく、一般的には「同性愛者は結婚できない」と考えられています(実際は同性愛者でも異性と結婚しているひとはたくさんいます。また、既婚の両性愛者・独身の両性愛者もいますし、既婚の無性愛者・独身の無性愛者など、様々な人がいます。しかし結婚の問題が同性婚の話に集中している現在、そういう人たちの存在は横に置かれ、「異性愛者」の持つ権利を「同性愛者」も持てるようにすべきかどうか、というのが争点となっています)。そういう認識の中では、「同性愛者」は、「権利を剥奪された人々」として存在します。権利を剥奪されているということは、社会構造上の身分が低いということですから、二級市民としての烙印を押されているわけです。利用者を制限し「利用できない人たち」の存在をつくりだすことで、婚姻制度は、ただ単に「利用不可」という事実だけを構成しているのではなく、市民のあいだに身分の差があるかのような意識を人々に与えています(前述のとおり、意識は更に制度に反映され、現状の婚姻制度の維持に貢献します)。

3つめに、婚姻制度は「婚姻状態にある二者間の権利・義務関係」と「婚姻状態にない二者間の権利・義務関係」に大きな差をつけているという点において、差別的です。これはよく言われることなので説明は要らないと思いますが、病院での意思決定権や面会権、配偶者関連ビザの発給、相続権、共同親権、扶養権などのことです。「独身者同士のカップル」と「配偶者同士」の差にかぎらず、「正妻」と「愛人」の権利のあまりに大きな差にも言えることですし、嫡出子と婚外子の権利の差にも関係する問題です(婚外子の相続差別はつい最近「違憲」とされました)。

4つめに、婚姻制度は、社会に存在する様々な差別を利用・援用することで成り立っており、それらの制度の差別性を取り除くのではなく、むしろそれに乗っかり、維持・強化しているという点において、差別的です 。そもそも、3つめのレベルにおける「婚姻状態にある二者間の権利・義務関係」にメリットがあるのは、現行の諸々の制度が「ひとりで生きる」ことを困難にしているからです。たとえば、日本の入管が難民をほとんど認定しないことによって、多くの外国人がただ日本で生活することすら困難にさせられています。難民申請者でなくても、6ヶ月や1年、長くても3年、定住者ですら5年などの制限付きの滞在許可がほとんどです。高度経済成長期にはどんどん違法でもなんでもいいから外国人に日本で働いてほしいと思って全然逮捕なんてしなかったのに、ある時期から日本の入管は厳しく逮捕・収容・強制送還をするようになりました。
また、経済が悪化するにつれて新自由主義が席巻し、非正規雇用に関する法的制限はどんどん緩くなり(最近派遣法などが少し厳しくなってきてますが)、経済的に困窮している、あるいは困窮しそうな人が現在の日本社会にはたくさんいます。特に女性、高齢者、障害者、外国人、週28時間の就労制限のある家族滞在ビザ保有者、民族・人種マイノリティ、非日本語話者は、雇用において差別の対象となりやすい人たちです。しかし、ここ数年の生活保護受給者バッシングのみならず、それまでもずっと横行していた(今もなお横行している)「水際作戦」による生活保護申請の妨害などで、生活保護制度を利用するのは非常に難しい状況です(生活保護については拙稿『生活保護とクィア』でも、クィアの問題と絡めて書いています)。
このように、社会に存在する様々な差別の対象となっている/なる可能性の高い人たちにとっては、配偶者関連ビザの発給や、健康保険や厚生年金など福利厚生における扶養権、(実際に機能するかどうかは置いておいて)セーフティネットとしての機能、そして相続権などのパッケージ商品である「結婚」は、魅力的に見えるでしょう。しかしこれが魅力的なパッケージ商品であるのは、そもそも現行の諸々の制度が差別的で、その結果割りを食ってる人たちがたくさんいるからです。
このパッケージ商品を提供している限り(1つめのレベルの話で見たように、実際は全員に提供しているわけではありませんが)、日本政府は、もっといいビザを発給したり、福祉を充実させたり、就労制限を撤廃したり、生活保護の申請をきちんと受理したり、生活保護受給者バッシングに乗っかるのをやめてバッシング対策をしたり、ハローワーク自体の労働条件を改善してサービスを向上させたり、労働基準法に関する無料セミナーをバンバン開催したり、国民保険の保険料を下げたり、年金受給の要件を緩和したり、という、色々な「バラ売り」をしないで済んでいます。つまり、現行の諸々の制度の差別性を取り除くのではなく、むしろそれに乗っかることで、婚姻制度を維持しているのです。婚姻制度は、官製の弱者ビジネスです。
こうして婚姻制度は「使わないと損する制度」になっていますが、しかし「使えば得をする」とは限りません。1つには、「思ったほど得がなかった」というようなケースが考えられます。例えば、非正規雇用の割合が増えているなかで、配偶者のどちらも社会保険に加入していない場合、独身者のように国民年金や国民健康保険にそれぞれが加入する必要があります。また、相続権があっても、配偶者に借金があれば、その負債も相続することになります。さらに、配偶者が失業したり、病気やケガをしたり、依存症になったり、借金をつくったり、失踪したりしたら、セーフティネットとしての機能はストップします。そもそも結婚する時点で相手が安定した生活を送っているとも限りません。「得」の詰まったパッケージ商品だったはずが、むしろ大損してしまうようなこともあるのです。
もう1つの問題は、「得」が大きければ大きいほど「その制度を使い続けざるを得ない」ような状況が作り出されてしまうということです。これはつまり、使うことで生じるリスク/損を引き受けざるを得ないと判断する人を生み出してしまうということです。ここでの「リスク/損」とは、例えば暴力だったり、経済的束縛だったり(退職を求められることとか、就職することを許してもらえないとか)、母語が違う配偶者とのコミュニケーションにおけるストレスだったり、あるいは前述のような、配偶者の借金、高額医療費、介護など、他人であれば自分に降りかからなかったであろう困難などを含みます。そして、それを「引き受けざるを得ない」とは、離婚したくてもできないような状況です。たとえば、「『日本人の配偶者等』というビザで滞在しており、配偶者と婚姻関係にある限りはビザを更新できるが、配偶者から暴力を日常的に受けている」というような状況、「離婚したいと思うようになったが、仕事の経験を積む前に結婚して主婦になっていたので、離婚後に十分な収入が得られるような仕事に就けるとは思えないから、離婚できない」というようなケース、ほかにも「結婚生活のストレスから精神疾患にかかってしまい、治療中なので、離婚したら夫に子の親権を取られてしまう可能性が高い」というようなケースなど、離婚したくてもできないような状況にいる人はたくさんいます。また、独身でいたいけど婚姻せざるを得ないと判断するひともたくさんいます。しかし「バラ売り」の支援や保障がもし存在し、充実していたら(配偶者関連ビザ保有者が離婚した場合、申請のみで定住者ビザに切り替え可能、とか)、離婚せずに暴力や経済的束縛、ストレスに耐え続ける必要も、そういった「リスク」を引き受けて婚姻する必要も、なくなるでしょう。つまり、周縁化されたマイノリティであるほど婚姻関係による「得」も「リスク/損」も大きく、よって結婚したい/したくない、離婚したい/したくないという自分の希望は高度なリスク管理に影響され、自由意志では決定し得なくなってくるということです(しかし婚姻は自由意志だという建前がありますから、実施は社会の諸々の差別的な制度に影響されているにもかかわらず、自己責任の範疇とみなされてしまいます)。

以上4点挙げましたが、これらは議論を整理するために4つのレベルにわけただけで、それぞれ独立した問題ではなく、からみ合った問題です。例えば、同性のパートナーがおり、異性と結婚することを望まない短期ビザの外国人労働者の同性愛者であれば、1から4のすべてのレベルにおいて、婚姻制度が差別的でありましょう。1つめのレベルでは、婚姻する選択肢を奪われているということにおいて。2つめのレベルでは、婚姻する選択肢を奪われている人としての社会的地位に置かれているということにおいて。3つめのレベルでは、同性のパートナーとのあいだの権利・義務関係が法的に設定されていないということにおいて。4つめのレベルでは、不安定な短期ビザしか与えられていないため、より安定したビザを取得するために同性婚の実現を「求めさせられている」ということにおいて。

同性婚の問題はこれら4つのレベルすべてにおいて婚姻制度の差別性と関連していますが、1つの要素に過ぎません。少なくとも私は、今回の議論において同性婚の話だけを念頭に置いていたということはなく、ここで挙げたような様々な状況を思い浮かべてツイートをしていました(ここで書いたような整理の仕方はしていませんでしたが)。ですので、少なくとも私がツイッター上でした発言において、同性婚が実現できるかどうかは重要ではありません。同性婚が既に実現していたとしても、私は婚姻制度を差別的だと思いますし、 @rinda0818 さんのツイートに批判的です。

つまり、婚姻制度においてもっとも特権を持っているのは既婚者でも異性愛者でもなく、「ちょっとした、切迫してないような『得』があって、『損』はあんまりない。嫌になったらいつでも離婚できる」ような余裕のある既婚者と、「ちょっとした、切迫してないような『得』が想定され、『損』はあんまり想定できない。嫌になったらいつでも離婚すればいいや」というような余裕のある独身者、ということになると思います。「婚姻制度を切実には必要としてない人」が婚姻制度における特権者である、という皮肉な状況ですね。もちろん、特権者たちもいつ状況が変わるかわからないわけですが。

ちなみに、私が今回の議論で「同性婚が法で認められてない段階」であることを数回指摘している理由は、1つには、婚姻制度の差別性の一例として理解されやすい話題だと思ったからであり、もう1つは、東京大行進が主流LGBTを取り込んでいたからです(主流LGBTではないがクィアではあるような参加者がいたことは知っていますが、ここでは運営による積極的な取り込みの話をしています)。これは大行進の公式サイトを見ればわかることですが、行進を3つのパートにわけた3つめが、”LIVING TOGETHER”というLGBTQ系及びHIV/エイズ関連で使われてきた歴史のある言葉をテーマに掲げ、ドラァグクイーンを起用し、「LGBTや在日外国人、HIV陽性者や障害者をはじめとしたマイノリティ」が歩くパートとして位置づけられています。また、「人物伝」と題されたコーナーの一番古い記事は、バイヤード・ラスティンというゲイ男性でした。
この状況に、私は2つの疑問を持ちました。1つは、なぜこういったものに大行進の3分の1もの割合が割り当てられているんだろうか、というものです(LGBTだけではありませんが、このパート全体がLGBTをフィーチャーしているのは明らかです)。運営者のツイッター上の発言がたまにタイムラインに流れてくることがありましたが、性の問題について特別な関心を持っていたり注意を払っているようには思えなかったので、非常に不思議でした。でも実際は強い関心と問題意識を持っているのかもしれないし、それはそれでいいことなのだろうと思っていました。もう1つの疑問は、これはLGBTQの歴史や文化のつまみ食いではないのか、というものです。「LGBT」という言葉のチョイス、ドラァグクイーンのパフォーマンス、HIV/エイズ関連の言葉のテーマへの起用、と、正直、現在の主流LGBT運動で目立つものを集めてきましたという印象を受けました。もちろん、それら集められたものは重要ではない、などとは思っていませんし、目立つものを集めることそれ自体が悪いことだとも思いません(これをきっかけに、つまみ食い的ではなく、歴史も文化ももっと深く知って行ってくれればいいなとは思います)。
以上のことから、私は「あ、大行進は主流LGBT系に関心があって、一緒にやっていこうと思ってるのかあ」と思っていました。ですので、当然、「同性婚」という主流どまんなかのトピックについても、肯定的な立場のひとが多いのだろうと想像していました。
そこにきて、大行進に肯定的な立場のひとの、大行進に肯定的なツイートにおいて、同性婚の問題をすっかり忘却しないと書けないようなことが書かれていたので、私は同性婚不支持の立場ですが、その点を不適切だと思い、数回にわたって言及した次第です。
※私の同性婚についての立場は、『同性婚実現のその先に向けて』という記事に詳しく書いてあります。

注 ツイッター上での反応を見て、ここの文の表現が不十分であったと判断し、後半を追加しました。(2013.10.3)

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ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。趣味はイラストと音楽制作。 2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。