社会運動の優先順位——金明秀(きむ・みょんす)さんへの返答として

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2022年11月20日

「差別・ヘイトスピーチの定義付けと、それらに含まれない発言の暴力性について」 http://togetter.com/li/610794 にまとめられている冒頭のツイートに端を発して、金明秀さん @han_org が主張されたことに対して返答します。

黒字が金さんのご主張、赤字が私からの返答となります。なお、黒字部分については https://twitter.com/cmasak/status/418605513283092480 において金さんに事前に確認を試みましたが、現段階ではご返答を頂けていないため、あくまで私が思う金さんの主張ということになります。

※2014.1.4追記:上の Togetter まとめの冒頭にて私がるまたんさんの発言を画像にて引用していますが、これについては不適切な例示であったことを謝罪します。るまたんさんは「変更不可能(または困難)な属性」と言っていますが、私はそれを拡大解釈、あるいは他の人の発言と混同していました。他の人の発言とは、例えば『「死ね」はヘイトスピーチか』という文章で、「自ら能動的に変えることが不可能な、あるいは困難な特質」と両者が併記された引用をしつつ、地の文では一貫して「不可能」が基準とされていることや、こちらのツイートで、「ヘイトスピーチの定義」が「『変更不可能な属性』に対し憎悪、差別を扇動する言葉」とされていることなどです。これらの発言とるまさんさんの発言を混同したことは私の誤りです。

被差別属性の腑分けと優先順位について

  1. 先天的・後天的属性は、どちらも差別の根拠としては認められない。
    これには同意します。
  2. しかし先天的属性に注目を集めることは以下の点で正当化しうる。
    • (a) 先天的属性に基づいた差別、特に在日外国人差別を直感的に理解してもらいやすい
      直感的に理解してもらいにくい差別を受けている人々のことは後回しで構わない、というのは、そういう人たちが自らそのように「お先にどうぞ」と言っているのですか? そうでないなら、どうして、先天的属性とされている民族マイノリティである金さんが(つまり、先天的属性に注目を集めることで被差別の状況を理解してもらいやすくなるであろう金さんが)他人のことについて「構わない」という判断ができるのでしょうか?
    • (b) そもそも有力な言説ではないので杞憂だ
    • (c) 後天的被差別属性を持つマイノリティを排除するためではなく、「現に生じている被害を可能な限り速やかに食い止めるために争点を限定して国会を通すことを優先」するという、「一つの合理的なスタンス」である
      有力な言説ではないのであれば、「現に生じている被害を可能な限り速やかに食い止める」こともできないのではないでしょうか。また、後天的被差別属性を持つマイノリティの身に「現に生じている被害」を(少なくとも短期的には)放置することを、誰がどうやって「合理的」であると判断できるのですか?
  3. 後天的被差別属性を持つ人についても、先天的被差別属性に関するヘイトスピーチ規制の法制化が実現したあとであれば、拡大的に対応していける
    その順番でも構わないという判断は、その順番で運動を進めることで比較的デメリットを被る人たち(後天的被差別属性を持つマイノリティ)によるべきです。後天的被差別属性を持つマイノリティからそのような表明が(少なくともある程度)出ているわけではない状況で、勝手に優先順位を設定することは、マイノリティ同士の連帯を分断する機能すら持ち得ます。

法規制について

  1. 問題はあれど、セクハラやGIDに関する法制化は結果的に大きなメリットをもたらした。法の救済対象から排除された人も、少なからず恩恵を受けている。
    男女雇用機会均等法、および性同一性障害者の性別の取扱の特例に関する法律(いわゆる「特例法」)について、そこから排除されたり、対象とならなかったためにデメリットを被っている人たち、あるいは法制化にともなう社会的言説の変化によって割を食った人たちが、過去を振り返って事後的にそのような評価をすることはあるでしょう。しかしそれは、(A)ジェンダー表現やアイデンティティの点で差別を受けているわけではない人や、セクハラを受けやすい「女性」や「性的少数者」でもない人によって代弁されるべき主張ではありませんし、当事者であっても評価は丁寧に、どのようなメリットが誰にあり、どのようなデメリットが誰にあるのかなどちゃんと論じるべきです。また、(B)事後的なポジティブな評価が可能だということが必ずしも事前の正当化も可能であるということにはなりません。
  2. 法は修正が可能。100点中60点のものでも、まずは「成案を優先すべき」。
    残りの40点の側に追いやられるマイノリティについては後回しで構わないという判断は、恣意的なものです。これを合理的に(少なくとも事前に)正当化する論理があるなら、誰もそれを示すことができていません。
  3. ただし成案はほぼ無理だろう。何年後になるか分からないが準備を進めているのが現状。メリットと弊害を両方見ながら60点を目指し、具体的な被害の解消を目指す。
    メリットと弊害を両方見ながら妥協点を探すことは重要なことです。しかし、60点の側と40点の側に恣意的に分け、前者を「具体的な被害」や「現に生じている被害」を受けている人たちとして強調することは、後者に追いやられ、後回しにされるマイノリティの被差別の状況を軽んじ、矮小化する効果を持ちます。メリットと弊害を両方見ながら妥協点を探すことは、マイノリティの分断をしないと不可能なことなのでしょうか? 様々なマイノリティの声が(批判や反対意見を含め)集まることで、それを目指す、という方法もあるはずです。また、成案がほぼ無理なのであれば、成案するまでのあいだずっと何年も何十年も「40点の側」のマイノリティは後回しにされ続けることになります。繰り返しになりますが、それを事前に正当化する論理は、誰からも示されていません。むしろ、成案が短期的には不可能であるからこそ(=成案を求める運動がシンボリックな機能を多く持つからこそ)、国会を通すことだけを最優先してマイノリティ同士を何年も何十年も分断し続けるのではなく、マイノリティ同士の連帯を模索するべきだと私は思っています。今年にも成案しそうなのであれば、私も「成案してから拡大してゆく」という方針に全く反対というわけではありません。今年であれば安倍政権なので、叩き台としてもろくなものが出来るとは思えませんが。
  4. 運動にゴールがないと長続きしない。
    世の中には様々な社会運動があり、ピアサポートや相談事業、啓蒙、支援など、多くの運動が、短期的なゴールを持っていません。長期的なビジョンはあるでしょうけれど、対症療法的な運動もたくさんあります。そしてそれらは、法律の成立や改正、行政制度の改革などの分かりやすい変化と伴って、私たちマイノリティの生活に大きく貢献しています。逆に、法律や行政などの改革を狙う運動が、マイノリティの生活を脅かしている例すらあります(現在世界的に見ても最も顕著な例は、セックスワーカーが苦しめられている反人身売買の運動です)。ゴールを設定してそのために合理的に動くことは、運動の担い手にとっては確かに有効な局面があるでしょうし、それが全くない運動は破綻しやすいかもしれませんが、全ての社会運動が明確なゴールを設定して、そのゴールのために不必要なことを削ぎ落とすべきだと考えるのは、とても危険な考え方だと私は思っています。
  5. 批判はいいが、反対はよくない。
    「ヘイトスピーチ」規制法を成立させることに反対してはいけないということでしょうか? 全員が賛成したうえで、規制法ありきの建設的な批判のみ発するのならOKと?

マサキチトセの主張の解釈について

  1. 「ヘイトスピーチ以外の言語行為の悪質性」と「ヘイトスピーチ」では、前者は既に法で禁じられている。だから後者を法的な問題とすべく動いているのだから、後者だけでなく前者もというマサキの主張は逆転している。
    現状認識が金さんと私では異なっているようです。現にネットの様々な場所で、「ヘイトスピーチでない悪質な言語行為は、ヘイトスピーチでないからOKだ」という主張がされています。今回の私の最初のツイートは、そのような文脈に乗っています。一方で、そもそも、悪質な言語行為を既に禁じられている法律が望ましい運用をされているかどうか、疑問です。追記2014.1.5:例としては、「『死ね』はヘイトスピーチではない」?にまとめられている VENOMIST666 さんの発言群です。念のために先に言っておきますが、ここでの具体例としての「ヘサヨ死ね」がヘイトスピーチにあたるかどうかとは別のレベルの問題として、「ヘイトスピーチ」でない「暴言」を言うことが(法的にダメかどうかは裁判所に判断させるとして)本人の行動指針としてはOKらしいこと、特に「ヘイトスピーチでないから」ということを強調していることが、問題です。この他にも数件、違う人からの同様の発言をFacebookで見た記憶がありますが、探し出せなかったので、「様々な場所で」の部分は(どうしても私のことが信用できなければ)読み飛ばして頂いて結構です。
    また、このツイートこのツイートでは、私が、木野さんという人の発言を「後天的な要素に対しては攻撃してよい」と曲解したことになっていますが、木野さんの文章には、明確に「『ヘイトスピーチには該当しないが、許されない暴言』など、いくらでも考えられる」と書いてあります(「後天的な要素に対して」の「攻撃」も含んでのご発言と思います)。それは私も読んでいて、その通りだと同意しています。そもそも私は、木野さんの文章を「ヘイトスピーチでない悪質な言語行為は、ヘイトスピーチでないからOKだ」という主張の例として出していません。また、私が批判している「ヘイトスピーチでない悪質な言語行為は、ヘイトスピーチでないからOKだ」という主張は、「後天的な要素に対しては攻撃してよい」という(私が批判している対象だと金さんが考えている)主張とは異なります。後者のような考えはもちろんダメですが、そのような発言が昨今の反レイシズム運動の中で出されているとはさすがに思いませんし、ゆえに、私もそんな藁人形を批判してはいません。私が批判しているメインのことは「ヘイトスピーチの定義を限定的にすること」であり、それと相まって「ヘイトスピーチでない悪質な言語行為は、ヘイトスピーチでないからOKだ」という主張があることによって、ヘイトスピーチを受けていてもそれをヘイトスピーチと認められず、具体的な被害を看過されてしまうマイノリティの存在を容認してしまうことです。
  2. ヘイトスピーチなどの国家的規制に恐怖を感じるのは、日本国籍を持っていて、自分はヘイトスピーチの被害を受けていないマサキの特権である。
    ヘイトスピーチの問題を国籍や民族の問題だけに限定しないでください。確かに現在の日本語における言説は、強烈に民族差別的なものに傾いています。しかしだからといって、生活保護受給者への差別的な取扱いを見ても分かる通り、他の差別がなくなったわけでも、緩やかになったわけでもありません。また、民族差別や国籍による差別もまた、私の身の回りで日々大きな問題として存在しています。私は日本国籍保持者でかつ「日本人」として認識されている時点で大きな特権を持っていますが、金さんもまた、他の様々な点で特権を持っています。自らがマジョリティであるような差別について矮小化したり、自分とは異なる種類のマイノリティの声を勝手に代弁したり、優先順位を勝手に正当化するのはやめてください。私は、民族差別や国籍による差別への対処を後回しにしろと言っているのではありません。他の差別への対処を後回しにする権利は誰にもないという話をしているのです。追記2014.1.5:↑この部分について、このツイートで金さんは「朝鮮人だけが被害者面するなよ、ということだ」とまとめています。しかし、差別被害を受けているマイノリティはまぎれもなく「被害者」であり、「被害者面」をする権利が全てのマイノリティにあります(「被害者ではない!被害者扱いするな!」と言う権利も当然ありますが、それは別の話として)。私が問題としているのは、国籍や民族以外の点で具体的な差別被害を受けているマイノリティの被害を、国籍や民族の点で具体的な差別被害を受けているマイノリティの被害と比較したり、矮小化することです。私の話しているような内容は「抽象的」「空論」だという指摘もありました。確かに在日コリアンに対する差別は、行動保守がネット利用に積極的なこともあり、そこら中に散見されるものです。しかし、国籍・民族マイノリティ以外のマイノリティや複合差別のマイノリティもまた「具体的な被害」を受けているということは、紛れもない事実です。全てのマイノリティが「被害者面」する権利を持っているのではないでしょうか。
  3. ①セクマイを運動から排除するな ②法規制には恐怖 ③だから法規制の運動に反対 というマサキの主張は矛盾している。
    この3つの流れは、私の主張していることではありません。順番に説明しますが、まず「セクマイを運動から排除するな」という主張はしていません。そもそも昨今の反レイシズム運動において「セクマイ」は排除されていません。むしろ積極的に利用されていると認識しています。それは、具体的な「セクマイ」属性の人間が参加しているという事実があり、それがとりあえず歓迎されているということです。一方私が主張したのは、「ヘイトスピーチ」の定義から後天的被差別属性を排除するなということです。これらは全く異なるレベルの話ですので、混同しないでください。金さんはこれまでも私が何かを主張すると勝手に「セクマイの話」にしたがる傾向がありましたが、私がクィア系の言論をやっているからといって常に「セクマイ」の話をしていると決めつけるのは、あまりいい気分ではありません。また、運動に「セクマイ」属性の人間が参加していることと、視点としての「クィア」が含まれているかどうかは、これもまた全く別のレベルの話となります(「生活保護とクィア」 http://synodos.jp/society/4252という記事で、クィアという言葉の歴史に軽く触れています。そちらも参考にしてください)。次に、法規制に恐怖を感じるということですが、これは私の主張です。しかし、「だから」というような短絡的な論理で現在はじまっている法規制の運動に反対しているわけではありません。つまり、2つめの主張だけが私の発言を正確にあらわしていることになります。

    それでも、後天的被差別属性を「ヘイトスピーチ」の定義から排除するなという私の主張は、ヘイトスピーチ規制法の成立を求める運動に賛同しないという私の立場とは矛盾しているじゃないか、と思われるかもしれません。もしそう思うのであれば、やはり、金さんの社会運動観は法的なものや行政的なものに偏っているということなのではないかと思います。「ヘイトスピーチ」の法制化の動きは、それの担い手の意図とは別に、単なる法制化だけではなく、「ヘイトスピーチ」という概念を世に広める働きもしています。ある言語行為がヘイトスピーチであるということは、それが違法だろうが合法だろうが、事実として認定可能です。もちろん、強烈なヘイトスピーチはマイノリティの心身や生活を脅かし、到底許されるものではありません。しかし同時に、合法だろうが違法だろうがヘイトスピーチは容認しない、という社会を作ることも可能であり、私はそのような社会を作って行きたいと考えています(それこそが民族差別の「後回し」化だと思われるかもしれませんが、私が求めているのは後回しではなくマイノリティの連帯です)。そしてそういった社会の形成において、「ヘイトスピーチ」が限定的なマイノリティしか対象としない概念として世に広まることは、非常に危険でもあります。「それは自己責任だからヘイトスピーチじゃないでしょ」と言われ続けるマイノリティが生まれることになります。つまり、現在先天的被差別属性に限定してヘイトスピーチの定義を流布させようとしている人たちは、その優先順位の設定において、法的にだけでなく、社会文化的にもそのようなマイノリティの尊厳を後回しにしていることになります。私は、法規制に「セクマイを入れてくれ」なんて言っていません。そもそもいわゆる「セクマイ」の最近流行の言説は「Born This Way」ですし(私はこれが大嫌いですが)、規制を求める運動においても先天的属性として「性的指向」や「性別」を含んだ定義を使っている人が多いです。含めるべきだと私が主張しているのは、「後天的被差別属性」を「ヘイトスピーチ(という言葉・概念)」に、です。
  4. 周到にヘイトクライムに対抗する方法を考えようという動きを、安易に行おうとしているとマサキは決めつけている。
    周到に行おうとしているように見えないというのが正直な感想です。ヘイトスピーチの問題の根幹に「先天的被差別属性かどうか」という基準があるという(私からしたら間違っている)主張を得意げに表明し、他者の意見を排除するような人ばかりが目立つ現状があります。周到に行うためには、そのような態度こそ足かせになるのではないでしょうか。

追記

金さんから、以下のようなレスポンスを頂戴しました。「ぼくは間違っていたなと思うところが何一つなかった」という発言、そして数年前にツイッターで出会って以来の一貫した上から目線には、正直感銘を受けました。今後も他人を見下して生きて行くのでしょう。金さんの話の通じなさには脱力させられっぱなしですし、金さんと個人間での連帯というのは不可能だと思いますが、私は今後も身の回りにいる様々な民族の、様々なセクシュアリティの、様々な障害を持ち、様々な経済的状況にいる、様々な性別の人たちとの連帯を模索し続けます。

更に追記

以下、更に金さんは恐らく私からの応答について書いていらっしゃいます。「前件否認」とありますが、現在「ヘイトスピーチは先天的被差別属性に基づくものに限る。それ以外はヘイトスピーチではない」という非常に強い主張をしている人が複数いて、そのような言説が昨今の反レイシズム運動において少しずつ覇権的になってきているという事実こそが、金さんによって否認されているかのように見えます。先天的被差別属性に基づく悪質な言語使用(A)をヘイトスピーチ(B)と呼ぶことは、「AがBに含まれる」という弱い主張でしょうから、問題はないと私も思います。ただ、現状で「BはAに限る」という主張が出てきており、覇権的になりつつあるという事実があります。そして、それは端的に誤りであると私は考えているし、それを正当化する論理は誰からも出されていないと認識しています。

また「『在特会のような歪んだ主張』に直接さらされていないと、その深刻さは理解されないようです」という主張は、深刻なヘイトスピーチは在特会がしているような民族的ヘイトスピーチのみである、あるいは最も抜きん出て深刻なのはそれだけである、という前提があるように思われます。民族的ヘイトスピーチが現在の日本語の言語空間において深刻なことはまぎれもない事実ですが、他のどんなヘイトスピーチよりも深刻であり、他にどんなヘイトスピーチを受けていても民族的ヘイトスピーチを受けたことがなければヘイトスピーチの問題について理解することなどできないというのは、断定するには強すぎる主張です。

また、

人種・民族的マイノリティの差別に固有の要素を告発するための訴えが、別のマイノリティの差別を告発するための役に立たないからといって、「われわれの問題を後回しにするのか」というのは、端的にいって、間違ってる

という発言には、正直とても驚きました。「新たな発見」です。「感銘」を受けました。「ヘイトスピーチ」の話をしていると思っていたのですが、まさか、まさか「民族的ヘイトスピーチ」だけの話をしていただなんて! 「ヘイトスピーチ」を先天的被差別属性に限定しようとしてる人たちは、「ヘイトスピーチ」という概念自体の定義を先天的被差別属性に限定しようとしています。そういった限定的な意味を持つものとして「ヘイトスピーチ」概念を広めようとしているからこそ、問題だと私は思ったのです。「民族的ヘイトスピーチ」に焦点を当てて、「ヘイトスピーチ」という、より大きなカテゴリーの話ではないということを明確にしながら「民族的ヘイトスピーチ」を問題化したり、それについて語ることには、私は問題を感じません。

「民族的ヘイトスピーチ」というヘイトスピーチの1つの形にのみ限定して運動している人に対して、「他のヘイトスピーチは後回しにするのか」なんて言う発想は、私にもありません。いわゆる「カウンター」的な反レイシズム運動は、「反差別」や「反ヘイトスピーチ」を標榜しているわけで、まさか「ヘイトスピーチ」と言った時に「民族的ヘイトスピーチ」の話だけをしているだなんて、思ってもいませんでした。であれば今すぐに「反差別」や「反ヘイトスピーチ」という言葉を取り下げて欲しいですし、「セクマイ」だの「LGBT」だのを多様性を構成・担保するために利用するのもいい加減にして欲しいです。

追記 2014.1.4

追記1

るまたんさんの発言を不適切に引用した件について、謝罪します。詳細は、冒頭に追記として書きましたのでそちらをご参照下さい。

追記2

こちらのツイート

で私の主張がまとめられていますが、元の発言はこちらのツイート

であり、「ホームレスへの罵倒、後天的に障害を持った人への罵倒、職業差別的な言動、バイセクシュアルへの罵倒がカバーされないから」批判していると解釈するのは、単なる例示を拡大解釈していると思います。この他にも、いま思いつく限りでは例えば受刑者や元受刑者、犯罪容疑者なども含まれるでしょう。他にもあるかもしれません。

追記3

こちらのツイート


で私の批判の一部として金さんが「ついでに」挙げている事柄は私が主張していることとは全く異なりますので、このブログを読んでくださっている皆さんにはご理解頂きたいです。恐らく他の人の発言と混同しているのでしょうし、私も今回同じ過ちをおかしているので責める気はありませんが、こちらのツイート

で申し上げた通り、「ヘサヨ死ね」という発言がヘイトスピーチにあたるかどうか、私は判断を保留しています。よって、「ヘサヨ死ね」をヘイトスピーチと認定しないとする主張自体を、その理由によって批判しているわけではありません。「ヘサヨ死ね」をヘイトスピーチと認定しない根拠として、「ヘイトスピーチの定義」は「『変更不可能な属性』に対し憎悪、差別を煽動する言葉」だから、という主張をしている人がいるので、批判しているのです。

更に更に追記 2014.1.4 2回目

はてなブックマークコメントにて、以下のようなコメントを頂きました。(引用文ママ)

現在が赤点ならまず及第点を目指すのは普通だと思うな。100点以外は0に等しい、ら結局、やらない言い訳に使われるだろう。

及第点を目指すことそれ自体は、私も現実的だと思います。常に100点だけを目指し、それ以下を認めないような社会運動は、破綻すると私も思います。一方、私がこの記事で問題化しているのは、その及第点——例えば60点——をどのようにして絞るのかということです。例えば数学であれば三角比と二次関数の両方を勉強し、その上でそのどちらもを使うような三角関数というものも勉強します。そこで、バランスよく勉強して60点を取るのと、三角比だけを勉強して60点を取るのでは(三角比だけで6割取れるテストはあんまりないでしょうけれども、例えばの話です)、数学の理解という点ではだいぶ意味が違ってきます。それでも、数学のテストであれば、「数学の理解」に価値を置かず、及第点を確保する戦略として三角比に力を入れるのは個人の自由です。一方、差別に対抗する、ヘイトスピーチに対抗するという局面においては、放置される「二次関数」や、それを踏まえた「三角関数」は、単なる分野ではなく、具体的な人、具体的なマイノリティです。私は、60点をまず獲得することを問題視しているのではなく、一部の分野だけに特化して60点を獲得しよう(他の分野は、まず三角比で成果を出してからでいいや)という判断が恣意的であることを問題視しています。

再度、追記 2014.1.24

ヘイトスピーチあかん!いつデモどこデモ歩き隊というサイトができたようです。カウンター系なのかどうか確証はありませんが、ここでは「ヘイトスピーチ」が「国籍や民族、性や性的指向、思想信仰、容姿など、多数派と異なる文化や属性を持つ人々に対して、憎しみの言葉で差別を扇動すること」と定義されており、意味が大きすぎるために法律などに落とし込む際には再度検討の必要がありそうではあるものの、言葉自体の意味としてはとても納得のいくものです。

不思議なのは、「男組」というカウンター系のグループがこのサイトのリンクをツイートし、「男組は、『ヘイトスピーチあかん!いつデモどこデモ歩き隊』による、1月26日(日) 神戸・三宮反レイシズムデモを全力で支持します!」と表明していることです。「歩き隊」のヘイトスピーチの定義だと、これまでの男組の言動もヘイトスピーチに該当することになりますが、それも含めて、「全力で支持」するということなのでしょうか。であれば今回のこの方向転換は反差別運動にとって好ましいものでありましょうし、今後自らのヘイトスピーチをどのように清算して行くのかが問われると思います。

再々度、追記 2014.1.24

コメントで針男さんが仰っている内容について、私がそれを「そのまま引き受け」たとする主張が出ていますが、私は具体的な内容について判断を保留しています。私の知る範囲の情報では、判断できません。正直、「そんなことはないだろう」と推測するための材料も、私の知る範囲では、存在しません。だからと言って、「そうなんですか。それはひどいですね」などと安易に針男さんの主張を受け入れることもしていません。それは一目瞭然のはずです。

ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。