安全なトイレの設計と運用に関する、男性が支払ってこなかったツケ

 ツイッターではフォローをゼロにしたとはいえ、トランスジェンダー、特にトランス女性を取り巻く現状については最新の情報をできるだけ把握しておきたいと思って、キーワード検索や ID 検索をしてチラホラと関連ツイートを読んではいる。
 その中で、トランスジェンダーの人々の利用を想定しながら現実的にどういう具体的なトイレの設計や運用が望ましいのかを語っている人を見つけた。これについて、こういう議論こそ必要なのだと評価している意見も見た。

具体的な設計や運用の議論の欠如

 トランスジェンダーに対する差別に反対し、かれら(※)の権利や尊厳を重要視する立場からは、確かにこのような具体的な提言はあまり出てきていない。
 いや、実際には「こういうトイレだったら自分も他の人も安心して使えるんじゃないかな」というトランスジェンダー当事者による提言は私の記憶の限りでも10年以上前から存在してきた。全個室化、小便器の廃止、ドアや壁の堅牢化などはずっと話題に上がってきた。
 しかしトランスジェンダーの人々を「侵入者」とする考え方が広まりだしてからは、安全なトイレの設計と運用について積極的に議論しようとするトランスジェンダー当事者や支援者はあまりいなくなってしまった。
 私自身も、そういった議論に今は参加していない。

※私は「かれら」というひらがな表記を性別を指定しない三人称複数の代名詞として使用しています。

 トランスジェンダー女性の権利よりもシスジェンダー女性(※)の安全により強い関心を持つ立場の人々がこうした現状に不満を持つのは当然だろうと思う。現実的により安全なトイレのあり方を実現するための議論こそが大切なのに、と思うことだろう。中には、そういう議論が進んでいくことでトランスジェンダー女性の権利も認められるようになっていくのに、と思う人もいるようだ。

※「シスジェンダー」とは「トランスジェンダーではない」という意味です。

 では、トランスジェンダー当事者や支援者は、なぜその議論に積極的に参加していないのか。それは、現在トランス女性(※)を取り巻いている言論の状況を踏まえると、トランスジェンダーの人々の利用という文脈で安全なトイレの設計と運用について議論することはしてはいけない、と判断しているからだ。

※「トランス女性」とは、「女性」でかつ「トランスジェンダー」である人を指します。女性的な振る舞いや装いをしているトランスジェンダーの人でもアイデンティティが「男性」であれば、定義上その人は「トランス女性」ではありません。

 その判断の背景には、そういう議論をすることは「その代わり、トランス女性も女性用トイレを使えるようにしてください」という交換条件の申し入れになってしまうという懸念がある。

権利の原則と現実

 トランス女性が女性用トイレを使う権利というのは、本来は何か条件付きでのみ認められるようなものであってはいけない。女性なのだから、女性用トイレを利用する権利は当然に持っているはずなのだ。しかしそれは現状公には認められていない。
 この権利を公に認めるにあたり、現実的には、すぐに社会全体的に「さあ使いましょう」という方針に舵を切ることは難しい。「これから女性用トイレにトランス女性が入ることになったら、安全だった女性用トイレが安全ではなくなってしまう」とか、「公に認められれば、性加害を目的とした男性の侵入が容易になるのではないか」といった不安の声も上がっている。トランス女性が実際にどのような生活を送っているか、どのような葛藤や工夫を経験しているかについての知識が広まっているとは言えない現状、さまざまな憶測や偏見が飛び交い、混乱を起こしてしまうことだろう。

 実際、今すぐに公にその権利を認めるべきだと主張するトランスジェンダー当事者や支援者はほとんどいない。むしろ当事者には、自宅以外ではトイレを利用しないで済むように排泄のタイミングを工夫したり移動距離を短くしたり飲み物の摂取を最小限に抑えている人や、性別指定のないユニバーサルトイレなどしか使わないという人、誰もいないことを確認して入って最短時間で出てくる人など、できるだけ混乱や不安を周囲にもたらさないように努力している人がたくさんいる。もし女性用トイレを利用する権利が公に明日から認められたとしても、彼女らの不安や恐怖はすぐには変わらないだろうし、その後も工夫をしながら利用したり、やはり利用しないという判断をしたりするだろう。
 つまり、トランスジェンダーの人々はさまざまな理由で、工夫したり熟考したりしながら、自分のアイデンティティの性別と合致するトイレを利用している人もいれば、利用していない人もいるのだ。状況によっては利用するが基本的には利用しない、あるいはその逆、という人もいる。

 だから、トランス女性が女性用トイレに今後「侵入」してくる、という解釈自体が時系列的に誤りだ、という主張をトランスジェンダー当事者や支援者から聞くこともある。

現状認識と、効果の見積もり

 ただし、実際に現在既に女性用トイレを利用しているトランス女性がいるとはいえ、その権利を公に認めることが新たな効果を持ちうるというのは事実だ(その責任はトランス女性には無いのだが)。
 よく想定される効果に「公に認められれば、性加害を目的とした男性の侵入が容易になるのではないか」というものがある。

 たとえば、性別移行の段階や元々の骨格や金銭的状況などによってトランス女性の「女性に見える度合い」(パス度という)はまちまちで、シスジェンダー女性も多様だとはいえ、社会全体にいる「男性かも」と思われ得る人はシスジェンダー女性よりもトランス女性のほうが多いだろう。
 ではトイレに限定すると、シスジェンダー女性よりもトランスジェンダー女性のほうが圧倒的に「自分を男性だと思って怖がられたり通報されたりするのではないか」という不安を持っている場合が多いので、現時点で女性用トイレを利用している人たちの中では、「男性かも」と思われ得る人にシスジェンダー女性よりもトランス女性が多いかどうかは分からない。
 しかし公にトランス女性の利用を認めた場合、現在女性用トイレを利用しているトランス女性たちよりも「パス度」の低いトランス女性たちも利用するようになる可能性はある。初めはごく少数がおっかなびっくり利用してみる程度だろうが、そのうち増えるかもしれない。
 その状況を悪用して、トランスジェンダー女性を装い、性加害を目的として侵入する女装した男性が増えるのではないか、という懸念があるのだろう。

 しかし、トランス女性の女性用トイレの利用を公に認めていない現在でも、シスジェンダー女性が女性用トイレを利用しているという状況を悪用している男性はたくさんいる。
 まず、トランス女性を装わなくても、邪な狙いで女性用トイレに侵入する男性は、既にシスジェンダー女性を装って侵入している。もしトランス女性の女性用トイレの利用が公に認められたとしても、そういった男性はわざわざ初めからトランス女性という設定で入ってくるのではなく、依然としてシスジェンダー女性を装って侵入するだろう。性加害が目的であれば、より目立たないやり方を選ぶからだ。通報されるなどして警察官や警備員に問い詰められた時に「トランスジェンダー女性です」と嘘をつくことはあるかもしれないが、本人への取り調べや、普段の生活やクリニックの受診歴、周囲の証言を基に判断されるだろうし、警察は基本的に「どうせ嘘だろう」とかかって調べるので、判断に間違うとしたら「本当にトランスジェンダーなのに、嘘だとされて起訴される」という可能性のほうが高い(それは悪いことだが、現実的にそうだろう)。
 トランス女性による女性トイレの利用に強く懸念を持つ人々の中には「トランス女性と男性をどう見分けるのか? 見分けられない以上は、トランス女性の利用は認められない」と主張する人もいるが、であればシスジェンダー女性を装って侵入してくる男性とシスジェンダー女性はどう見分けているのだろうか。体型やメイクなどさまざまな要素が掛け合わさった結果全く男性だとは疑われない女装をした男性もいるが、彼らはもし女性用トイレが「男性とは完璧に見分けがつく女性限定」の空間と決められたとしても女性用トイレに入ることができてしまうし、逆に、シスジェンダー女性にも女性用トイレが使えなくなる人がたくさん生まれてしまう。
 また、男性による性加害の数や悪質さとは比較にもならないが、シスジェンダー女性による盗撮カメラの設置などの性加害は既に起きている。排泄や化粧直し等の本来の目的のために女性用トイレを利用するシスジェンダー女性と、盗撮カメラの設置目的で女性用トイレに入るシスジェンダー女性とを、どう見分けるのだろうか。

 このように、現在の運用や設計および公の方針は確かに「できるだけ」女性を性加害から守ろうとしているものではあるが、それが「悪用」を未然にきちんと防いでいるわけではないのもまた事実だ。女性用トイレでの性加害は今でも既に起きているのであって、現在の運用や設計が完璧にシスジェンダー女性を守っているわけではない。

 完璧ではなくとも、トランス女性の女性用トイレの利用を公に認めるよりはマシだ、という考えもあるだろう。方針の変更の効果を大きく見積もれば、トランスジェンダー女性の権利よりもシスジェンダー女性の安全に強い関心を持つ立場の人々は、当然そのように考えるだろう。トランスジェンダーの人々の本来あるべき権利を侵害することで成り立っている現行の運用や設計および公の方針を支持することだろう。
 しかし、シスジェンダー女性は女性である点ではマイノリティだが、トランスジェンダーであることによる不利益や苦労を経験するわけではないという点ではマジョリティである。マジョリティの安全のためにマイノリティの権利を制限するというのは、(悪いものだと強く非難するために比喩的に言うのではなく、端的に事実として)差別だ。 

 そのように「安全のため」という言い方でマイノリティの権利を制限する時、実際にはその制限によって安全がきちんと確保されているわけでもなかったり、制限を解除したところで安全が実際に脅かされるわけでもなかったり、むしろその制限によって現在マイノリティの安全が脅かされている、というケースがあることを歴史は教えてくれる。
 もちろん百田尚樹のように「(女性用スペースをトランスジェンダー女性が利用できるようになったら)悪用したい」と宣言する男性も出てきており、懸念されている「効果」が無いと言い切ることはできないように思う。ただ、上で警察による捜査について書いたように、トランスジェンダーであるということは基本的に組織(会社、学校、行政など)からは疑ってかかられる傾向が強いので、悪用しようとする人がいたとして、それがどこまで通用するかは疑問である。

理念の共有、からの議論

 いずれにしても、実際にどのような効果があるのか、実際に悪用する男性はどのくらい増えるのか、どのくらい悪用が通用してしまう可能性があるのか、どのようにして悪用を最小限にできるかなど、具体的な議論に着手できるのは、議論に参加する者たちがある程度共通の理念を共有してからだ。
 その理念とは、マジョリティもマイノリティも同等に安全な生活が送れて、かつマイノリティの権利を制限しない状態を目指す、という理念だ。シスジェンダー女性の安全なんてどうでもよい、という話ではない。シスジェンダー女性もトランスジェンダー女性も等しく安全な生活が送れて、かつトランスジェンダー女性の権利を制限しない状態を目指す、というシンプルな理念は、どんなに不安や葛藤を抱えながらだとしても、差別反対の立場からは支持せざるを得ないはずだ。

 上に書いてきたように、これまでの設計や運用が完璧に女性を守ってきたわけではないし、社会全体の方針としてトランス女性の女性用トイレの利用を公に認めた場合の効果もきちんと見積もることができていないのに、トランス女性の女性用トイレの利用の是非を議論する文脈で初めて運用や設計の改善がことさら突然必要になったかのように振る舞うことは、トランス女性を(安全にトイレを利用できる権利を持つ者ではなく)侵入者として危険視する考えや、トランス女性は侵入者ではないが未来の侵入者を防ぐ責任がトランス女性にある、あるいはトランス女性の権利を支持する者たちにある、とする考えを支持してしまうことになる。
 今のこのタイミングでトイレの運用や設計の改善について語ってはいけない、と判断している人が多いのは、そういった理由からだ。「シスジェンダーとトランスジェンダーとにかかわらず、女性用トイレを女性が使うのは当然の権利だ」という理念上のスタート地点に皆が立って初めて「では、それをどのように現実にしましょうか」という議論ができると、私を含め、トランスジェンダー女性の権利と尊厳を重要視する人たちは思っている。

 今私は「ことさら突然」と言った。実はここから先が、この記事で私が最も書きたかった内容だ。それは、自分を含めた男性に対してのメッセージである。

うんと前から改善すべきだったのだ

 そもそも、なぜ、ただ排泄するためだけの施設であるトイレに「安全な設計と運用」が必要になっているのか。それは、現実の女性身体を性的対象とするヘテロセクシュアルやバイセクシュアルの男性による、シスジェンダーおよびトランスジェンダー女性に対する性加害が蔓延しているからだ。
 運用や設計の改善は、「ことさら突然」ではなく、うんと前からずっと必要だったのだ。

 その責任は、シスジェンダー女性やトランスジェンダー女性にあるのではない。現実の女性身体を性的対象とするヘテロセクシュアル男性とバイセクシュアル男性にある。主体的にこの問題の解消に向けて努めなければいけないのは、彼らだ。
 さらに言えば、性加害のほぼすべてが男性による加害であることを鑑みると、これは男性性(マスキュリニティ)の問題である。その意味では、すべての男性が——ゲイ男性も、現実の女性身体を性的対象とはしない(例えばフィクトセクシュアルやオートコリセクシュアルの)ヘテロセクシュアル男性やバイセクシュアル男性もまた——程度は違えど、その責任から完全に逃れることはできない。

 だから、男性は、こんなふうにトランス女性を困らせる前に、この社会に蔓延している性加害を減らすべきだったのだ。女性(シスジェンダー女性およびトランスジェンダー女性)が性加害を受けづらい社会設計や法整備を実現すべきだったのだ。
 そうやってこれまで男性が解決してこなかった問題のツケが今、回っているのだ。このツケをトランス女性に支払わせようとしたり、ツケが完済されるまでトランス女性の権利は保留されるべきだと主張する人々がいるというのが現状だ。

 先に書いた通り「トランス女性が女性用トイレを利用する権利を認めるべきではない」あるいは「認めるとしてもうんと未来の話だ」と強く主張する人がたくさんいる現状、このタイミングでトイレの安全な設計や運用について具体的な議論に着手することは、あたかもトランス女性のこの権利は条件付きでのみ認められるようなものであるという主張を支持することになってしまう。だから、トランスジェンダー差別に反対する人の多くは、それに加担することを避けている。
 これ自体は正しい判断だと思う(※)。私も同じ判断をしている。けれど、それを理由に、男性が、トイレの安全な設計や運用についての議論をただ単に放棄してしまうとしたら、それは正しくない。そもそも、そんな議論をしたら「ことさら突然」になってしまうということ自体、これまでそういった議論にろくに関わってこなかったということなのだから。

※もちろん、あなたが何かの施設の運営に関わっているなどして、現実的にトイレ等の設計や運用の方針をどうするか決めるプロセスに参加している場合などは、具体的な議論に着手することもあるだろうと思います。しかしその際に「トランスジェンダーの人々も利用するから改善が必要」というようなスタンスを持ってはいけないし、そのようなスタンスを表明する人に対してはそれを議論に持ち出さないよう説得するべきだと思います。

 私を含め、トランスジェンダー差別に反対する立場から具体的な設計や運用の議論を今は控えるという判断をしている男性は、トランス女性の置かれている現状が良い方向に変わった暁には(つまりトランス女性の存在とは関係ない文脈で議論ができるようになった暁には)、必ず具体的なトイレ(そして他の性別によるスペース分け)の設計や運用の議論に参加する心づもりでいなければならない。あるいは、トランス女性の存在とは関係ない文脈で議論する機会があれば、それを放棄してはならない。
 いわゆる「TERF」(トランス排除的ラディカル・フェミニスト)の勢いが今後たまたま失速したとして、それで解決ではないのだ。誰にとっても安全が等しく最大限に確保されたトイレの設計や運用を実現する責任は、これまで女性の安全を脅かしてきた男性にある(もちろんこれは女性の声を無視して男性が決めろという意味ではない。議論に口を出さなくても、設計変更のために寄付をすることなどはできる)。

 いや、それだけではなく、そもそも何も待つことなく、今すぐにでも性加害と男性性の問題について積極的に考え、行動をしなければならない。既に性加害の問題に関心を持ち、発言したり、行動を起こしたりしている男性も、それを今後も絶対に継続しなければならないし、今よりもっとコミットできないか常に検討し、できるようなら実践していかなければならないと思う。
 性加害が蔓延している社会を温存したままでは、シスジェンダー女性にとってもトランスジェンダー女性にとっても、女性用トイレは今も未来もずっと安全ではないのだから。

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ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。