2017年11月22日、高崎経済大学で開講されているジェンダー論の授業にお邪魔して、お話をしてきました。
内容は主に、同化主義とラディカリズム、アイデンティティポリティクスについて。せっかくなのでここにもざっくり書き留めておきます。
2017年11月22日、高崎経済大学で開講されているジェンダー論の授業にお邪魔して、お話をしてきました。
内容は主に、同化主義とラディカリズム、アイデンティティポリティクスについて。せっかくなのでここにもざっくり書き留めておきます。
「そんなことより北朝鮮のミサイルのほうが怖いよ(笑)」
客が笑ってそう言う。つられて別の客が笑う。私はろくに聞こえなかったふりをして、張り付いた笑顔のまま、カウンターの中の自分の足元に目線を逃がした。数秒のあいだこうすることで、私は——私だけは——この場のヘイトの責任を免れるような気がしたからだ。
人に何かを教えるということは、とても難しい。
どのような順序で説明すれば分かりやすいのか、どのくらいゆっくりステップごとに話せば付いてこれるのか、どのくらい相手を褒めながら進めていけば相手のモチベーションが下がらないのか——―そういったことを多かれ少なかれ考えながら、私たちは人に何かを教えている。職場の新人にマシンの安全装置の解除方法を教える、塾の生徒に因数分解のやり方を教える、高齢者にタブレットの使い方を教える、あるいはバーで隣に座った人に最近あった面白い話をすることだって、相手が理解するためには、それなりの話す技術が必要なのだ。
先日以下の動画を YouTube にアップしたところ、Anime Feminist というサイトの編集長 Amelia Cook が連絡をくれました。
日曜の夜、私は悪夢を見ていた。それも無理はない。日曜の朝、ルームメイトが私のパートナーと私のところにやってきて、オーランドの銃撃事件について知らせてくれた。それからというもの、私の1日はショックと怒りと悲しみに支配された。最終的にベッドに横になり目を閉じてじっとできるほどに落ち着けた時には、少々自分でも驚いたくらいだ。そんな日に見る夢がろくな夢なわけがない。
同性愛者権利運動にとって、あるいは自らその名を裏切るかのようにBとTを暗に、そして時に明確に排除する「LGBT運動」にとって、同性婚は不可欠な目標としてその思想的、政治的な視界の中心的な位置を占めてきたと言えるだろう。しかしこの政治的傾向——米国で同性婚推進を掲げる大手団体がエイズ危機のあと1990年代半ばから頭角をあらわし、2013年には同性愛者に関する社会運動体として最も多くの資金を諸基金から受け取るようになっていたことに象徴される現在のこの政治的流行——には、たった20年の歴史しかない。
先月の頭に青土社より「LGBT特集」を組むとのことで原稿執筆依頼を受け、これまでこのブログなどで書いてきた同性婚関連の議論をまとめた文章を書きました。
内容に即したタイトルを真面目に考えてとりあえず仮に「排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流『LGBT』運動と同性婚推進運動の欺瞞」としておいて、 Facebook でタイトルを書いたら「喧嘩売ってるね!」と言われたので、ビビってたんだけど青土社の人は全然タイトルに注文をつけず、気づいたらそのまま印刷されていました。でもさっき実物が届いて他の人の文章をパラパラと読んでみたら、タイトルは無難でも内容は私より喧嘩売ってる人もいたので、まぁいいよね。
以下、冒頭部分のみ公開します。
同性婚について、最高裁判所はいつでも、それこそ明日6月26日にでも、その判断を出すだろう。
主流のゲイ男性やレズビアン女性がそこらじゅうで、固唾を飲んで待っていると言っている。 Twitter と Facebook のどちらにおいても、みんながどうなるだろうと気を揉んでいる様子を書いている。
この見せかけだけの気の揉み方は、求婚者からのアプローチに驚いたふりをしてみせるビクトリア朝時代の典型的な女性の姿を思い起こさせる。「なんとまぁ、思いもしませんでした! 私が生きている間に同性婚が実現するなんて! まったく驚きました!」
米国全土での同性婚の権利を認めた最高裁判所決定は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのアメリカ人にとって喜ばしい瞬間をもたらした。私たちの平等な尊厳、そして異性愛カップルが享受するのと同じ法的保護を得る権利が認められたことは、公民権の歴史における画期的な出来事である。しかしこれはまた、第二次世界大戦後に始まった同性愛者の自由を求める運動にとって、最後の歌声になるかもしれない。
過去10年間にこの運動が得た二つの大きな勝利、つまりオープンに軍隊に務める権利と、婚姻する権利が実現したと同時に、女性の同一賃金や妊娠・出産に関する選択、住居や学校の分離状況、マイノリティに対する警察暴力、及び十分な賃金と、皆にとっての職と退職の保障といった、公民権の他の領域において、改善がストップしてしまったり、あるいは逆行してしまったということは、とても不運なことであった。
24日(日)に東京のイベントで対談します。
対談相手は「フェミニズムとレズビアン・アートの会」のJanisさん。
テーマの「ピンクウォッシング」は、変な言い方だけど、LGBTに関する最先端の議論の1つ。「うちの国はLGBTに優しいよ」というアピールを国家がすることでウヤムヤにされる国家の悪事について、今もなおパレスチナ人を虐殺しながら「中東で唯一LGBTに優しい国」と自称するイスラエルの問題を通して、考える、というようなイベントです。