TAG セクシュアリティ

書評『セックスワーク・スタディーズ』(女性学年報第39号掲載)

 2011年9月1日歌舞伎町でビル火災。死者44名。
 これは、今年9月に刊行された『セックスワーク・スタディーズ:当事者視点で考える性と労働』(SWASH編・日本評論社)の巻末付録「日本の性風俗年表」に記された21文字の史実です。本文より前に年表に目を通した私はしかし、この出来事を特に感想もなく読み流しました。
 44人も亡くなってしまったのか。それは大変だったね。他にもいろんな出来事があったんだな。年表にまとまってるとわかりやすいよね。さて、本文を読み始めるか——そんな具合に。

駱駝を降りた僕たちは

 君は何か僕に隠していることがあるんじゃないかって感じるんだ、とラッセルは言った。
 そうだよ、僕は君のことが好きなんだ、という言葉を飲み込んで僕は「そっか」と味気ない返事をした。
 僕よりもうんと脚の長いラッセルが少しだけゆっくり歩いているのが分かる。そうしてだいたい同じ速度で僕たちは、雨が乾ききらない歩道をザッザッと歩き続けた。

「LGBTではないフツーのひと」に考えて欲しいと思う10のこと(2018年版)+動画あり

「LGBTではないフツーのひと」って、誰だろう?
「フツー」って、どんなことを指すんだろう。

そんなことを思いつつも、でも、「LGBT」と「フツーのひと」は分けて考えられてしまうことが多くて、日常的にもやっぱり、自分のことを「自分はLGBTではないフツーのひとだ」と思っている人はたくさんいるっていう実感があります。

この文章は、そんな人たちへのお手紙のようなものだと思ってください。

マサキチトセのニュースレター第2号(2018年8月28日)

人の声を勝手に代弁することがいかにダメなことか、ゆるふわな方のブログで以前ゆるっとふわっと書きましたが(舞い散る喪ゲイ『土俵際の南浦和』)、先日は「活動家はLGBTの代表ヅラするな」といったことを主張するゲイ男性が「日本…

伝えかたの模索

私は誰に向けて、誰に伝えたくて書いているんだろう。どんどん堅くなる自分の文体に、ふとそんな疑問が湧きました。2015年のことです。 ちょうど『現代思想』に「排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流「L…

「脱テンプレ」の魅力

何か新しいことを言わなければいけない、まだ誰も言ってないことを言わないといけない、心の中でくすぶっている言葉にできない思いを抱えたどこかの誰かが「そう! それだ!」って思うようなことを書かなければいけない、そんな風に思って文章を書いてきた気がする。女人禁制なんて女性差別だよねとか、同性愛者を欠陥がある生物と言うのは同性愛者差別だよねとか、バリアフリーって大事だよねとか、そういうことって、あまりにも当然に思えて、私が言わなくても絶対に誰かが先に言ってくれるって思ってしまう。そうして、何も言わずにやり過ごしてしまうことがある。いや、誰かの言葉をツイッターでリツイートしたりくらいはするかもしれない。でも、その程度だ。