トイレの異文化コミュニケーション

「テンダラールズ」

…え…?

おっさんがもう一回、少し強めの口調で言った。
「テンダラールズ!」

なんならおっさん、「もーなんでわっかんないかなあー」くらいの顔してた。

…えと、$10…? スマッ…プの…?

「$10」(今回は聞き取れた)

お、おう。
十ドルね。それはわかった。

その上で、あの、もう一回ね、
私の顔らへんを、よーく見ていただきたいんですけど、

 

え?

 

もう渾身の「え?」って顔した。

 

時は5分前。
留学先に遊びに来てた母親とサンフランシスコの大通りを歩いてたら、
びっくりするくらい突然尿意が襲ってきまして。

その時の尿意と言ったら、もう飛ぶ鳥を落とす勢い。

普段はさ、「トイレ行きたいなー」って思ってから
こう、5分10分ならね、なんなら30分くらいは余裕っていうか、
20年以上ともに過ごしてきた膀胱のやつとはツーカーっていうか。

「尿意だよー」て、あいつが言って。
私も私で「そだねー」なんつって。
ゆるやかなデリバリーで確実にトイレという名のハウスに
ストーン投げてきたはず。
その点において、私たちはいつだって金メダル獲ってきた。

なのになんか、あれ?
しばらく見ないうちに、膀胱、痩せた?
5mmくらいになってない?

膀胱って、包容力あってこそなわけ。
包容することに存在意義があるっつーか。
あいつから包容力を取ったら、何が残るの? って。
包容力だけが取り柄っつーか、
包容力しか売りがないっつーか、
私なんて年齢もひとまわり上だし、子持ちだし、
ゆうくんが私のこと好きになってくれるとしたら
やっぱ包容力アピールするしか方法ないって思って、
フルタイムで働いてるけどニートのゆうくんの夕飯作ってるし、
出会い系で知り合った女の人のとこ行くって言うから駅まで送迎したし、
こないだも「お前ほんと何にもできねーんだな」って言われて
「わかるー」って思ったし。ゆうくんほんと頭いいよねそうゆーとこ。

 

 

……えっと、包容力だけが取り柄なんて……ゆーなよ……
………お前には他にもいいとこいっぱいあるって……うん……

………なんか…………ごめん……

 

あと、ゆうくんはモラハラ男だと思う。

 

えっと、そうそう尿意の話。
刺すか刺されるか、一触即発! みたいな膀胱(長年の相棒)との攻防を経て、
命からがらバーガーキングのトイレに駆け込んだわけ。

もうね、滑り込みセーフ。
ギリギリセーフ。
厳密に言うと、アウト気味のセーフ。

でも単位で言ったら、滴(てき)だから。
アウト:セーフ= 0.01:0.99 くらいだから。

あぶねーあぶねーなんつって
目閉じて眉毛上げてフーッなんつって。

「今日も無事にハウスにストーン入ったね」

『そだねー』

「出ましたww そだねwww」

『www まあ、サイドラインに行きかけたときはやべーと思ったけどね』

「あーあれな。っつかお前もっと早く指示出せよw」

『ごめんごめんw なんかちょっとぼーっとしてたわw』

「おめーよーwww 頼むぜほんとーwww」

なんつって。

なんつってたら!!!!!!

 

 

「テンダラールズ」

 

左斜め後方から、なんか話しかけられて!

パっと振り向いた私は、もう、
ひょっこりはんもびっくりのひょっこり顔だったと思う。

…え…?

個室が並ぶドアの前に、おっさんがたたずんでる。

私があまりにもひょっこり顔だったもんだからだと思うけど、
おっさん、少し語気を強めて、もう一回「テンダラールズ!」って言った。

こっちがひょっこり顔なら、
向こうは「もーなんでわっかんないかなあー」顔だった。

おっさん完全にしかめっ面で、
なんならちょっと私トイレで用を足しながら
怒られてるみたいな構図になってた。

でも、たぶんね、おっさん、スペイン語が第一言語かなーって感じのビジュアル。
ってことは、ことRにおいてはガンガン舌を巻いてくタイプかもって思って。

あ、テンダラーズ($10)じゃない?
テンダラーズって言ってんじゃない? って。
わたし天才かも、って。
やっぱ毎週コナン観てただけのことはあるっつーか。
銀狼怪奇ファイルで推理力養っといてよかったっつーか。
じっちゃんの名にかけて! なんつってw

「$10!!!」

おっさんがめっちゃ大きい声出した。
と同時に、ビャッてラストスパートみたいなおしっこが出た。

これで、トイレで用を足すって言う時の「用」は終わったわけだけれど、
本来の「用」よりうんと気になる事態が起きてるわけで。
ほんと、おしっこに関しては私、心ここにあらずだった。
ビャッの時にちょっと、跳ねっ返りがね…指にね…かかったんだけど、
ズボンのポケットのあたりでサッて拭いちゃったからね。

で、とりあえずおっさんに向き合ってみた。

でね、今回のおっさんの「$10」、ちょっとゆっくりめだった。
ぜんぜん聞き取れた。
なんならちょっと、「アジア人英語通じねー」くらいの顔してた気がする。

あとさ、今回$10が聞き取れたことの他に新情報がもう1つあって。

おっさん、「$10!!!」言いながら、個室を指さしてんの。

あのー、十ドルね、それはわかった。
あんたが十ドルっつってんのはよーく分かった。

その上で、あの、もう一回ね、
目ん玉かっぽじってよーく見ていただきたいんですけど、

 

え?

 

もう渾身の「え?」って顔した。
なんならちょっと肩をすくめて、手のひら(ちょっとおしっこ付いてる)を上に向けて
「What?」要素も入れてみた。
お母さんがアメリカ人で、お父さんが日本人みたいな「え?」だったと思う。

したらおっさん、ゆっくり2回頷きながら、

「テン、ダラールズ」

って。

呪いとか預言とかが出てくるまがまがしい映画の老師みたいな、
「ワシにはすべてお見通しじゃ」みたいな動きと目線と口調。

おっさんが指差すトイレのドアを開けたら
幻の名刀があってもおかしくないっつーか、
便器に見せかけて実はここがあの指輪入れるとこー? って可能性もある。

でもさ、ちょっと待って、って。
ここまでのところ、十ドルだっつーことしか言ってないの、老師。

 

でね、まあわたしもそんなに初心(うぶ)ぶってもいらんないっつーか、
分かってきたわけ、老師の意図が。

これ、あれでしょって。
金銭の授受を伴う性的関係への誘いでしょって。
お金で「相手の方の歓心を買う」ってゆーあれでしょ? って。

はいはいはいはい、わかるよー。わかるわかる。
若い肉体に触れてね、こう、元気をもらいたいってゆーことでしょ?
そういうこともあるかもしんないよね、長く生きてりゃね。

私もさ、そういうの無下にできないとこある。
埼京線でドアのとこに立ってたら、そんなに混んでもないのに
二回りくらい上っぽい男の人に手を握られてさ。
すんげーびっくりしたけど、手? って思って。
手でいいの? って。
全然こう、そこから動きがないわけ。
私の下半身事情にはノータッチなわけ。
いやおっさんに手握られて事情も何もあったもんじゃないけど。
でもさ、勝手に色々考えちゃって、この人はきっとずっと彼氏がいないんだろうなとか
人のぬくもりが欲しくて、でも自分がゲイってことは受け入れられなくて、
こうやって電車の中で気に入った男の子の手に触れることで癒やされてんのかな、って。
だから……いいよ、って。
手、握ってていいよ、って。
でも大宮までだぞーこの痴漢野郎ーまったくー、なんつって。
大宮まで手を握られたまま電車に揺られて。
降りるときなんて、
今降りたのピースボートだっけ? くらいのボランティア帰り風情。
いいことしたなー、くらいの。
後日友達に教えてもらったところによると、
電車で手を握るのは「次の駅で一緒に降りてムフフなことしませんか」っつーお誘いの意味があるらしく。
なんかもーすんげー赤っ恥。ボランティアだってバカかっつーの。
「興味はあるけど勇気が出ず次の駅次の駅っつってたら大宮着いちゃった」みたいな、
どんだけ初心な学生だと思われてたかっつーの。
おっさんも、途中で諦めろし。

 

ま、そんなところあってね。
バーガーキングの老師にもこう、気持ちはわかるよってところをね、
こう、断るにしても無下にじゃなくね、「外でお母さんが待ってるから」とか言ってね
やんわりとね、伝えようかなって…

 

って、

 

 

………

……?

 

 

安くない!??!?!?!??

 

10ドルなの???
10ドルって、1000円くらいよ????

思わず聞いちゃった。
「$10 for what?(何に対しての10ドル?)」って。

what が何だったとしたって、やらないけどさ。
でもちょっとはっきりさせて、って。
私の、what に、10ドルなの?? って。

 

「テンダラーズ」(ちょっと発音良くなってた)

 

老師ぜんぜん私の英語聞き取れてなかった。

で、なんならちょっと、「早くしろよ」みたいな。
こう、たぶん日本の皆さんも海外ドラマとかで見たことあると思うんですけど、
眼球をね、グルッてね、上向きに弧を描くように動かすやつ。
その動きだけで「勘弁してよ」って気持ちが十二分に伝わるアレ。
アレかましてきましてね。

あれちょっと待って、こういうのって、
サービス提供する側に主導権なかったっけ?
いやあの、本職の方々というかさ、プロの皆さんによれば
もうほんと色んな客がいるっつー話は聞き及んでいまして、
本番なしっつってんのに本番強要するバカとか、
ダメだっつってんのに小型カメラ忍ばせて盗撮しようとするバカとか、
2時間なら2時間、何してもいいと思ってるバカとかがね、
いるってことはね、はい、存じております。
でもさ、こと援助交際的な? かつ少額の、短時間の?
こういうやつにおいてはさ、どっちかってゆーと、
やるかやんないかはこっち次第っつーところなかったっけ?
ましてやこんな、密室でも防音室でもないところでよ?
私が叫んだら(こういうとき意外と声でなくて中森明菜みたいになっちゃうんだけどね私)、誰かが飛び込んでくることが容易に想像できる場所でよ?
たぶんだけど、向こうが下手に出るのが筋ってもんじゃないの?

 

でね、恐ろしいことに気づいたの。

 

 

あれ…?

もしかして…?

 

まさかの、

 

わたし、

 

 

10ドル払う側…?

 

って。

 

 

「NO!」って叫んでトイレを飛び出しました。
そりゃあもう、おしっこひっかかったままの手でね!

 

何にびっくりって、こんだけのドラマチックな展開において
出てきた英単語が ten と dollars と for と what と no だけっていうね。

英会話ちょろすぎー。

ブログをメールで購読

メールアドレスを入力して登録すると、当ブログが更新されるたびにメールで通知が届きます。

この記事が気に入ったらシェアしてください


執筆 ・出演・講演などご依頼はこちらから

ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。趣味はイラストと音楽制作。 2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。