「マサキチトセ」の記事

生活保護とクィア(シノドス掲載記事)

「生活保護」とは、すべての人が「健康で文化的な生活の最低水準を維持する」という理念にもとづき、それを実現するためにつくられた制度です。

生活するために必要な服や食べ物にかかるお金、光熱費、義務教育を受けるためのお金、家賃など住む場所にかかるお金、病院にかかるときにかかるお金、介護にかかるお金などなど、わたしたちは、いつもつねに自力で用意することができるとは限りません。近年の就職難で仕事を失うという経験は、誰にとっても身近なものとなりました。リストラにあったとき、契約を更新されなかったとき、派遣を解除されると同時に雇用関係も切られたとき、わたしたちが自分の「健康で文化的な生活の最低水準を維持する」ためのお金を自力で調達するのは非常に難しくなります。

翻訳『なぜ北朝鮮は核兵器を必要とするのか』(文:スティーブン・ゴーワンズ、翻訳:マサキチトセ)

3度目となる北朝鮮の今回の核実験は、歓迎されるべきか、嘆かれるべきか、あるいは非難されるべきだろうか。それは、あなたの視点次第だ。他国の支配や介入を受けることのない内政を可能とするべきだと信じるのであれば、そして、その権利を、米国と米国に追従するソウルの政府が南の朝鮮人から奪っており、北の朝鮮人のそれも奪おうと企んでいると信じ、更に、米軍の征服を阻止するために核兵器を建造することが北の朝鮮人が自国の統治権を維持する最も有効な方法だと信じるのであれば、今回の核実験は歓迎されるべきものであろう。

もしあなたがリベラルなら、平壌が完全に永久に検証可能な形でその核兵器計画を白紙にする代わりに、 DPRK (朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮の正式名称)に対して米国は安全を保証するべきだと考えるかもしれない。もしそうなら、そのようなあなたの立場について、3つの問題を考える必要がある。

【4/21 13:30〜】貧Q第1回ミーティング兼立ち上げイベント開催!【久喜総合文化会館】

昨年末にツイッターやFacebookで呼びかけて、それにこたえてくださった皆さんと一緒に、「貧困をなくすためのクィアの会」(仮)を立ち上げることになりました! 以下の通り立ち上げイベントをやりますので、みなさんぜひご参加下さい!

同性愛について考える3つのこと

『ポーチ』というサイトに、「同性愛について理解を深める3つのこと」という記事が掲載されています。深める「ための」3つのこと、ではないのか? という疑問はさておき、「同性愛」というものについて、インタビューしてる人にしても、されている人にしても、私が考えているものとはいくつもの点で異なっているので、メモがてら、書いておきたいと思います。

『セクシュアリティと政治がご専門のChalidaporn Songsamphan先生(2009年春特任教授)とポルノグラフィーについて対談しました』

マサキチトセ(CGSスタッフ 以下マ)

ポルノグラフィーについての基本的なスタンスを教えてください。

チャリダポーン教授(以下チ)

そもそもポルノは性的幻想の一つのあり方として捉えられるべき、プライベートな時間に誰しもが楽しむ権利を持っているものと考えます。しかしポルノを事細かく見た時、そこにはポルノ以外の物事との関連性やポルノそのものの多様性が見られ、ポルノ全体についての基本的なスタンスというものは築けません。ある種のポルノと違う種のポルノには、違うスタンスを持つ事があるのです。私たちは理論や説明を一つ打ち出し、そこに類似の全てのケースを矮小化しようとしがちですがそれではうまくいきません。私たちは全ての物事を個別に見る必要があるのです。

『児童ポルノとフェミニズム』

第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する世界会議(2008年11月24日)は、アニメ・マンガ・3DCG等を含めた児童ポルノの単純所持を全ての参加国が違法化するという方針を採択した。多くの国は既に、成人と児童の権力差から考えて「同意の上」ではあり得ないため、性的搾取や暴力から児童を守るために児童ポルノの生産及び販売を禁止している。しかし今回の方針は監視を強め、実写でない児童ポルノの単純所持をも違法化するものだ。背景には、実際に児童の関与がなくても児童ポルノは人々の児童を見る目を変え、その広範な普及は児童のイメージを極度に性的なものへと至らしめるだろう、という考えがある。即ち、合意の成り立たない行為で児童が実際に受ける身体的・精神的苦痛だけでなく、間接的であれ自体が実際の児童に苦痛をもたらす、ということだ。

米国LGBT家族・友人団体PFLAGと、「クィア」vs「それ以外」という分け方について

PFLAG(ピーフラッグ)というのは「Parents, Family, and Friends of Lesbians and Gays」(レズビアンとゲイの親・家族・友人)の略で、都市を中心に数百の部局(チャプター)と二十数万のメンバーを抱える、この類の団体では米国で(というか世界的に)最も大きなもの。「非友好的な社会で生きていくための支援」「無知や間違った情報に対抗するための教育」「差別を無くし、平等な市民権を獲得するための権利擁護」の3つの理念的柱を掲げて、LGBTの若者に加えて、かれらの家族や友人を受け入れて活動している。と言っても一般的には、子どもからレズビアンやゲイとカミングアウトを受けた親や保護者が電話やメールを通してサポートを受けたり、実際に月例のミーティングに参加するなどする場所という理解が広まっている。それは確かに間違いではないのだけれど、他にも色々やっている事実はあまり知られていない。

わたしの〈クィア〉とあなたの〈クィア〉は違う:グローバルでないドメスティックなクィアの不可能性

黒ピンクの衣装で2016年TRPでプロテストする3人

「グローバル・クィア」あるいは「グローバル・クィア・スタディーズ」が語られるとき、国民国家や地域、宗教の軸における「クィア」概念あるいは「LGBT」概念の翻訳可能性が取り沙汰されるのは当然のことである。しかし「グローバル」と対置されるであろう「ドメスティック」あるいは「ローカル」な「クィア」は、そもそも各国民国家・地域・宗教内部で確立された概念なのかを問うことも必要だろう。

本発表では、クィア・スタディーズの中心的地域である米国における階級・人種・宗教に注目し、そもそも「クィア」概念あるいは「LGBT」概念が必ずしも米国全体に流通していないことを示し、グローバライゼーションとクィアの議論にありがちな「米国(あるいは欧米)」対「日本」という枠組みを批判する。また同時に、「翻訳可能性」が言語や国民国家だけではなく階級・人種・地域・宗教をまたいだ問題であることを考察し、ワークショップでの論点の1つとして提案したい。