オサマ・ビン・ラディンが殺されてまもなく、英語圏で以下の引用文が一気に広がり、5月2日の夜(米国)にはわたしの Facebook のニュースフィード(ツイッターで言うタイムライン)にも既に数個同じものが流れていた。英語ブログでこのことについて書いたらいきなり普段の数倍のアクセスがあったので、この引用文への関心が高い様子が分かると思う。日本語話者のツイッターアカウントにも流れ始めていたので、日本語ブログででも書いておこうと思います。
「マサキチトセ」の記事
「日本初の『ゲイ議員』」は「初」じゃない。
「ちょっとあんた反応遅くない?」と思われそうなので言っておきますが(笑)、英語媒体で "Japan's first openly gay politician" とか書いてあるのを見つけてすぐに英語ブログで『"An Openly LGBT Politician in Japan!?" Is Not A New Phenomenon』という記事を書いたので、そちらもよかったら合わせてどうぞ。
共生ネットによる『セクシュアル・マイノリティへの対応に関する要望書』およびそれにまつわる議論について
"共生社会をつくる" セクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク(以下「共生ネット」)が『被災地におけるセクシュアル・マイノリティへの配慮ある対応について要望書を提出しました』という記事で、同団体が緊急災害対策本部および内閣官房長官の枝野幸男さんに提出した旨を報告し、要望書(以下「要望書」)本文の一部を公開しています。
同性婚を私が積極的に支持しない理由——あるいは同性婚を支持しない人が「国民」という概念に対抗しなければならない理由——あるいは同性婚とネオリベラリズム
結婚を通して様々な利益や権利が得られるというのは、疑いがない。私自身も、もしどうしても結婚する必要が出て来たら、反婚の信条など横に置いて、結婚すると思う。「ゲイ」を商品化するようなマーケティングの仕事にだって、他の仕事の機会に恵まれなければ、就くだろう。生き延びることは、私にとって、政治的な信条なんかよりも重要なことだから。でも、まさにその、生き延びることを優先させるという態度を私が採用するからこそ、あたかも結婚制度にもLGBTマーケティングにも問題が全くないかのように振る舞うことは、してはいけないと思っている。それらに自分が関与してしまったとき、私は「私にはその権利がある」という態度ではなく、恥ずべきなのだ。
「クリスチーネ剛田(61)の受賞パーティ 2009/8」 -ドラえもん二次創作シリーズ第2弾
こんばんは、直月です。高橋さん、素敵なご紹介ありがとうございます。集まって頂いた皆様にも、感謝を申し上げます。今回2009年度日本漫画賞を頂きました作品『虹のビオレッタ』ですが、夕栄出版の高橋編集長をはじめ、編集・校正を担当して下さった宇梶さん、解説を書いて下さったエッセイストの杉エイゴさん、そしてこの作品を手に取って読んで下さった皆さんがいなければ受賞には至らなかったと思います。本当にありがとうございました。少し長くなってしまいますが、こうして常々お世話になっている皆さんに、今日は大事なお知らせがあります。
私がクリスチーネ剛田という名前で漫画を描いていたことがある、と知ったら、ここにいる皆さんは非常に驚かれることでしょう。そんな名前は聞いたことがない、という方もいらっしゃるかもしれません。ここには出版業界の人間ではない皆さんもいらっしゃいますからね。クリスチーネ剛田は、1975年から1996年まで複数の雑誌でポルノ漫画を描いていました。私、直月理乃がクリスチーネ剛田と同一人物であるということは漫画業界ではある程度知られた事実ですが、一般に公表するのはこれが初めてになります。今日はプレスも揃ってお出でですから、是非包み隠さず報道して頂けたらと思います。
「源静香さん(63)の独白」 -ドラえもん二次創作シリーズ第1弾
今はもう平気で観れますけれど、あの連載が始まった時は、心の底から怒りが沸き上がって来ましたね。あんな風に勝手に私の名前を使われるなんて、思ってもいませんでしたから。武さんが自分の少年時代のことを漫画で描くつもりらしい、というのは聞いていましたけれど、ああいう形で私たちのあの時代が描かれるというのは、正直ショックでした。すぐにのび太さんとスネ夫さんに連絡を取ったのですが、のび太さんはただただ驚いているという様子で、スネ夫さんは連絡が取れない武さんに対して怒りを抑えられないという感じでした。それは私も同じ気持ちでしたので、その後も何度か武さんに連絡を試みましたが、一切つないではもらえませんでした。