標準体重ですらない女の自己肯定感はどの人形が教えてくれるのか

先日 Facebook で以下のの画像を見つけ、シェアした。

決して平均的でないプロポーションで、「女性はこうあるべき」「魅力的な女性はこういうものだ」という社会通念に寄与してきたバービー人形に対抗して、 Nickolay Lamm さんというアーティストが実際のアメリカの十代女性の平均的なプロポーションを再現して作ったのが、ラミリー人形。

私も「いいね」と思っていたし、今でも一定の効果はあると思うのだけれど、ラミリー人形が全く問題がないとは言えないような気がしてきたので、ここに書いておく。

They Gave Each Kid A Barbie And A Doll With Real Proportions. What They Say Next Really Says It All.」(子どもたちにそれぞれバービー人形と、リアルなプロポーションの人形を与えてみた。子どもたちの感想が全てを物語っている)というタイトルの記事が、 Upworthy サイトに掲載されている。

記事中には、“real”(本当の、現実の)、“realistic”(リアルな、現実的な)という言葉が使われており、子どもたちもラミリー人形がリアルだという感想を持ったようだ。その上で、ラミリー人形は「パソコンの仕事をしてそう」「先生をやってそう」「水泳選手みたい」などの印象があり、バービー人形には「何も仕事してなさそう」「モデル」「ファッションスター」などの印象があると、子どもたちは言っている。

よくテレビや雑誌で、「標準体重」と「理想体重」(あるいは美容体重)というふたつの基準が別に出されることがある。この図式に当てはめれば、ラミリー人形は「標準」の体型、バービー人形は「理想」の体型ということになるだろう。

「こうあるべき」の中身が入れ替わっても…

でも、私たちは本当は、「標準」にも「理想」にもどちらにも苦しめられていないだろうか。「理想」じゃなくて「標準」が普通だよ、と言われたところで、多くの人たちは、やはりその「標準」とのギャップに苦しみ続けるのではないだろうか。

バービーは非常に痩せている。胸やヒップのサイズを考えると、本当に珍しい体型だろうと思う。けれど、だから「何も仕事してなさそう」というのは、ずいぶん大きな論理の飛躍があるだろう。

バービーほど胸やヒップが大きくなくとも、同じくらいのウェストの女性はたくさんいる。中には摂食障害のひとも含まれているかもしれない。彼女たちは痩せていることにコンプレックスを感じているかもしれない。あるいは痩せている自分を好きかもしれない。もしくは、そんな自信と自己嫌悪の狭間でいつも揺れているかもしれない。職場の固い椅子が骨に当たらないようにクッションを持参して出勤しているかもしれない。

「何も仕事してなさそう」だなんて、本当に大きなお世話だし、痩せている人に対しても、本当に仕事してない人に対しても、侮蔑にまみれた偏見だ。子ども自身が個人的にそう思うのは構わないけれど、この発言をあたかもラミリー人形の素晴らしさの証のように表に出す大人の感覚は、批判に値すると思う。

一方、肥満とされる人たちは、そもそもバービー人形と自分のギャップではなく、ラミリー人形のような「標準」とされる体型と自分の体型のギャップに苦しめられているのだ。

「パソコンの仕事をしてそう」「先生をやってそう」「水泳選手みたい」な「標準」的な体型ではない肥満のひとたちもまた、仕事ができなさそう、頭が悪そう、自己管理ができてない、と責められて生きている。

そもそも子どもたちに「どんな仕事をしているように見える?」と大人がわざわざ仕事に関して聞いているあたり、肥満や拒食症などを能力査定に含めて考慮するという昨今の自己責任論的な企業社会の状況を反映しているように感じる。

実際は、痩せているにせよ太っているにせよ、それが個人の責任の範囲だけの問題ではないことはわかっている。摂食障害と社会の関係や、肥満と貧困の関係などは、調べればたくさんいろんな調査結果が出てくるのだ。

ラミリー人形が多くの子どもたちに良い影響を与えるというのは否定できない。でも、ラミリーが普通でバービーはおかしい、ということになってしまっては、それもまた「あるべき体型のあり方」を再設定しているだけだ。

その時、実際に平均的な体をしている人は救われるだろう。でも同時にバービー寄りの人たちは切り捨てられ、肥満の人は「やっぱりあんたたちは結局デブよ」というメッセージを受け取る。

本当に必要なのは、どんな体型であっても「お前の体型はおかしい」と言われたりせず、またそれによって偏見や異なる待遇を受けない社会だろう。

そもバービー人形と自分のギャップではなく、ラミリー人形のような「標準」とされる体型と自分の体型のギャップに苦しめられているのだ。

「パソコンの仕事をしてそう」「先生をやってそう」「水泳選手みたい」な「標準」的な体型ではない肥満のひとたちもまた、仕事ができなさそう、頭が悪そう、自己管理ができてない、と責められて生きている。

そもそも子どもたちに「どんな仕事をしているように見える?」と大人がわざわざ仕事に関して聞いているあたり、肥満や拒食症などを能力査定に含めて考慮するという昨今の自己責任論的な企業社会の状況を反映しているように感じる。

実際は、痩せているにせよ太っているにせよ、それは個人の責任の範囲だけの問題ではないことがわかっている。摂食障害と社会の関係や、肥満と貧困の関係などは、調べればたくさんいろんな調査結果が出てくるのだ。

ラミリー人形が多くの子どもたちに良い影響を与えるというのは否定できないけれど、ラミリーが普通でバービーはおかしい、ということになってしまっては、それもまた「あるべき体型のあり方」を再設定しているだけだ。その時、実際に平均的な体をしている人は救われるだろう。でも同時にバービー寄りの人たちは切り捨てられ、肥満の人は「やっぱりあんたたちは結局デブよ」というメッセージを受け取る。本当に必要なのは、どんな体型であっても「お前の体型はおかしい」と言われたりせず、またそれによって偏見や異なる待遇を受けない社会だろう。

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ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。趣味はイラストと音楽制作。 2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。