ゲイ痴漢に遭った私の類い稀なるボランティア精神

注意:性暴力に関する描写が(ものすごくマイルドではありますが)出てきます。ご自身の判断で読み進めてください。

 大学の時、痴漢(?)に遭った。2008年のことだ。
 学校のある三鷹から新宿までをボーっとやり過ごし、湘南新宿ラインに乗り換えた直後のことだった。

 普段は15両編成のやつに乗るのだが、その日はたまたま良いタイミングの乗り換えがなく、10両編成の高崎行きに乗った。途中の大宮で降りて乗り換えることにしたのだ。
 新宿では、いつもの癖で15両編成用の印のところに立っていた。すると列車が私より50メートル以上手前で停まったので、慌てて走って一番手前のドアに入った。

 椅子は全て埋まっていたが、立っている人はちらほら。手前のドア横、左側のスペースが空いていたので、そこに体を埋める。
 さて、しばらくはこのまま揺れ続けることになる。私は左ポケットから携帯を取り出し、右手を下にだらんと垂らした姿勢で友だちからのメールにポチポチと返信を書き始めた。

 もう少しで渋谷、というところで、気がつくと50歳くらいのおじさんがすぐ近くに立っていた。あれ? さっきからいたっけ?
 ドアの目の前、手すりも吊り革もない不安定なところに、おっさんはいた。横目にチラッと見たが、別に平然とした顔をしている。
 まあ、それぞれ好きなところに立ちゃあいいしね、と思って気にしないことにした。

 のだが、なんか妙に近い。
 え、近すぎない? って違和感は、瞬時に確信に変わった。
 おっさんの手が、私の垂れ下がった手に、触れるとも触れないとも、なんともフェザーなタッチで迫ってきたのだ。

 触って…る…? 触れては…いない…?
 もしおっさんが「厳密には触れてはいない」と言い張ったら(そうかもしれない)と思ってしまうくらいの絶妙さ。でも一方で(厳密に触れてはいなくても、これはさあ…)って思うくらいには、近い。めっちゃおっさんの手の温度を感じる。あと多分、お互いの産毛がサワサワしちゃってる感じもする。

 痴漢…っぽい!
 そう、あくまで「っぽい」のだ。

 この、手の甲への、触れてるんだか触れてないんだか分からないアプローチ。
 痴漢なの? 痴漢じゃないの?

 そう、それは言わば、シュレディンガーの痴漢だった。

 今思い返せば、単に手をさっとのけてしまえばよかったのだけれど、その時は(自意識過剰だと思われたくない)とか(もし痴漢じゃなくて偶然だったら失礼かも)とか考えちゃって、できなかった。
 そして、(がっつり触ってきたら、騒ごう)と心に決めたのだった。

 その直後、おっさんが私の指に自分の指を絡め始めた。
 うぉー! 痴漢確定! って思ったけど、今度はなぜか(手を触られたくらいで騒ぐなんて…おかしいと思われるかな…)って思っちゃって、体が固まってしまった。
 それが OK サインだと思われたのか、おっさんが手のひらを返し、私の手を包むように握った。

(なにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれなにこれ)

 側(はた)から見たら、ラブラブ年の差ゲイカップルである。
 ちょっとそっけない年下彼氏は携帯に夢中。だけど移動中も手を繋いだまま歩いてあげるツンデレなとこあるんだよね。みたいになってる。

 ここまで来るともう完全におっさんの行動はアウトだと思うんだけど、その時はまだ——本当になぜだか分からないけれど——(手を握られたくらいで騒ぐなんて…もっと痴漢っていうのはお尻とか股間を触ってくるものでしょ…酷い痴漢被害に遭ってる人たちがたくさんいるのに、私がこの程度で被害者ヅラするなんて…)とか思い始めてた。

 私の全身は相変わらず硬直していた。
 メールの返信もおぼつかなくなってきて、画面を見ているようで見ていない。今の状況があまりにも意味不明すぎて、完全に混乱状態だった。

 そしてそこで私は、なぜかふと、変な方向に冷静になってしまった。

 おっさんは50歳くらい。男に性的関心が向く人なのだろう。
 私は知っていた。大学での私の専門はジェンダーやセクシュアリティだから、知っていたのだ。かつてほとんどの同性愛者は、同性との性愛関係を「趣味」と位置付けるほかなく、異性と結婚する人が大半だったことを。
 なんなら、未だにそういう同性愛者はたくさんいる。私の高校時代の友人もそうするつもりだと話していた。さらに、理解が広まってきた今は、相手にそれを打ち明けた上で合意のもと結婚するカップルもいるらしい。

 だから、もしかしたらこのおっさんも、結婚して子どもを作った人かもしれない。さらに、もしかしたら、普段は男性との性愛は絶っている可能性だってある。かつて諦めた恋もあったかもしれない。

 そうか、そうだよね。だとしたら…

若くて輝いてる私に触れたくなっても仕方ないよね

 と、ものすごい上から目線の思考で、私はおっさんを許すことにした。
 いいよ、って。
 手、握ってな、って。
 でもごめんね、大宮までだゾ、って。

 そんなわけで、渋谷から大宮までの約40分、私は知らないおっさんに手を握られ続けることになった。

 一度許したら私の精神状態もすっかり平気になっちゃって、友だちにメールの返信はするわ、テトリスのアプリで遊び始めるわ、ツイッターまで開いちゃうわで、名実ともに「年の差ゲイカップル」感。
 手、繋ぎたいんでしょ? いいよ(笑) みたいな態度だから、「ツンデレ年下彼氏」感も増してる。

 チラッと横目におっさんを見ると、おっさんはガラス越しに流れる夜景を見ていた。別に喜んでるふうには見えなかったのがムカついた。

 そんなこんなで、列車は大宮駅へ。
 プシューとドアが開いた瞬間、私はサッとおっさんの手から自分の手を抜き、風の如くホームに降り立った。

 恵まれない中年ゲイ男性に、ほんの少しだけ彩りと輝きを与えてあげた私。さっきまでの狼狽が嘘のように、(ああ、私、良いことしたな)っていう充実感が私の胸を満たしていた。
 私の表情があまりに晴れやかなので、私と入れ違いで乗り込む人々は「あれ? これってピースボート?」と一瞬迷ってしまったことだろう。

 そんな私の善行をね、知り合いにアピールしない手はないだろうと思って、宇都宮線のホームに歩きながら、私はさっそくゲイの友達に電話をかけ、ことの顛末を話した。

「マジ私のボランティア精神やばかったから」
『うーん…』

 友人の声が、期待していたトーンと違った。

「うーんじゃねえよ(笑)」
『いや、あのね…』

 私はここで、友人が痴漢被害を受けた経験でもあったのかと思って焦った。こんなことを面白おかしく話したのは、不謹慎だったのかもしれない、と。

『そのさ、手を握るっていうのってさ』
「…うん」

 私も神妙な声になっていた。 

『次の駅で降りて、どこかホテルでも行きましょう、って意味なんだよね』

 ………

 …

 ……………嘘でしょ…

「え、じゃあ、私、興味あるから拒否できないけど、怖くて一歩が踏み出せないウブな大学生、って思われてた感じ?!」
『そうだと思う』

 中年ゲイの悲哀…
 婚姻規範と同性愛者差別…
 おっさんの人生に一瞬の彩りと煌めき…

 そういえばあの時、外の景色を見つめるおっさんの顔にはなんとも言い難い表情が浮かんでいた。
 あの表情は、本当は嬉しいけど平静を装っていたのではなく、(こいついい加減にしてくんねえかな…誘っちゃった手前俺から手を離すのも悪いし…あーぁ、今日はハズレか)だったのかもしれない。
 っていうか、多分そうだろう。

 え、つら…

 …

 東日本大震災の時、全国の多くの人々がボランティアとして現地に向かった。自分に何かできることはないかと、駆けつけた。
 しかしボランティアの存在というのは被災者にとって常にメリットばかりというわけではない。自分たち自身の寝床や食事に関してはノープランで現地に行った人々もいたため、ネットでは「かえって迷惑だ」と書かれたりした。その結果、ボランティアの心得のような情報も多数ネットで拡散されることとなった。

 自分が善行だと信じてやった行為が、実は相手にとって役に立つものではなかったと知らされた時の気持ち。
 奉仕の気持ちでやっていたはずの自分が、実は上から目線の、救世主気取りだったと自覚した時の気持ち。

 もちろん、そんな気持ちよりも、実際に、現実に、困っている人たちの役に立つ活動の方が重要なのは分かっている。
 分かってはいるけれど、2011年、震災ボランティアがネットで叩かれている様子を見て、私は思い出していた。かつて自分が降りたはずのピースボートのことを。

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ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。