死者の愛し方を教えてくれ

 昼職で隣県に行った帰り、あまりにも天気が良かったので少し回り道をすることにした。2019年の春のことだった。普段は曲がらない交差点を右に曲がり、山沿いに車を走らせる。しばらく進んでふとナビを見ると、少し先に公園があるらしい。あまり大きくはないが、街の中にあるような小さなものでもない。ダッシュボードの時計を見ると、まだ午後三時半だ。駐車場に入り、エンジンを停め、車を降りた。
 持ち物はタバコケースだけにした。スマホを持っていたらどうせ LINE や Twitter を見てしまう。つかの間のデジタルデトックスをしようと思った。

 駐車場脇の石の階段を降りると、横幅80mくらいの何もない広場があった。私以外には誰もいなかった。広場を囲んでいる草木もまばらで、自治体がこの公園の発展に期待していないことが窺えた。ただし、周囲にはぽつぽつと企業があるだけなので、夜中は別の意味での発展が行われているかもしれないとは思ったが。
 見渡しても遊具はひとつも無かった。あるのは古びた水飲み場と東屋だけ。ひとまず東屋に入り、ベンチに腰を下ろす。作業着のポケットからタバコケースを出した。
 ひと口吸っては、ゆっくりと煙を吐く。特に眺める景色も無いので、その反復しかすることがなかった。相変わらず天気は良い。冬はもう終わったのだなと感じさせられた。鳥の集団が眩しい青空を背景にして広場の上を通り過ぎる。

 2本目のタバコを終え、そろそろ車に戻ろうと思いタバコケースをポケットに入れて立ち上がると、ベンチの隅の方で何かが動くのに気づいた。私は虫や爬虫類が苦手なので、びくっとしたまま動けなくなった。動けないなりに恐る恐る目を凝らして見ると、それは小さな小さな鳥だった。濃い茶色の塊が5こあって、そのうち2つがピクピクと震えるように動いていた。
 鳥だと分かったので安心して近づくと、残りの3羽が干からびているのが分かった。動いている2羽も、もう先は長くなさそうだ。何ということだろう。いったいなぜ5羽もの小さな鳥がここに集まって、こんなことになってしまったのだ。
 もしやと思って上を見上げると、崩れた形の鳥の巣が東家の屋根の内側にかろうじて貼り付いていた。そこから落ちてしまったんだ。私は親鳥が近くにいるのだろうかと周囲を見渡した。今考えたら、親鳥がいたところでどうにかなる状態ではないのだけれど、迷子になって泣いている子どもを見かけた時みたいに、親鳥が見つかれば何とかなる気がしたのだ。きっと私以外の者の責任にしたいという心理が働いたのだろうと思う。でも、大きい鳥は周りに1羽もいなかった。

 そうこうしている間に、2羽のうち1羽の動きが止まった。いや、完全に止まったわけではないのだけれど、よく見ないと分からないくらいに小さな動きになっている。さっきまでは自然の恵みにしか思えなかったこの陽気が、今はこの鳥たちを殺そうとしている。
 せめて、せめて、と思い、私は水飲み場へ走った。しかし何もすくえるものが無い。しかたなく両手に水を溜めて急いで東屋に戻る。めちゃくちゃこぼれたから、鳥たちにはほんのちょっとしかかけてやれなかった。まだ足りない。水飲み場に駆ける。両手をさっきよりもしっかりと合わせて、目一杯溜める。さっきよりも少し慎重に歩いたが、やはり大半がこぼれた。
 鳥がこれを喜んだかどうかは分からない。瀕死の状態で水をぶっかけられるのは自分だったら嫌かも。それに残りの3羽はもう死んでいるのだ。何の意味があるのか自分でも分からないまま、私は水飲み場と東屋を10回以上往復した。
 今考えれば、もしその時の私を見ている人がいたら、随分おかしな人に見えただろうと思う。作業服の30代男性が午後3時過ぎに慌てて水飲み場の水を東屋に何度も運んでいるのだ。しかも、よく見たら泣いている。でもその時はもう、そういうことは考えられなかった。

 私には2羽の最期を見送ることができなかった。多分だけれど、あのままあと30分もいれば、あの2羽も先に逝った兄弟姉妹を追うように命を落としただろう。最期に誰にも見守られず死ぬよりは、人間という異種のものだとしても、誰かがそばにいてやったほうがよかったのかもしれない。けれど私はもうそこにいられなくなって、ごめんね、ごめんねと言いながら東屋を出た。
 動物の気持ちを人間の価値観で決めつけてはならない、というのは正しい意見だと思う。例えば「ラットの同性愛行動」とか「クジャクの求愛行動」とかだって、「愛」という人間の概念を動物に投影している。性別アイデンティティについても、かつて竹村和子が学術会議で「ラットちゃんは、オスかメスか自分でわかっているんですか?」と聞いて場をしらけさせたそうだ。私は竹村の疑問を、ごくまともなものだと思う。先日 Twitter スペースで動物研究に携わったことのある人と話した時も、人間の価値観で動物のことを語ることは業界ではアウトとされている、と聞いた。
 そりゃそうなのだ。全面的に同意する。けれど私は、あの公園の東屋で死んでいた3羽の鳥にも、死にかけていた2羽の鳥にも、めちゃくちゃ人間の価値観を投影した。あの日の私の行動や気持ちは完全に独り善がりだった。あの場で出会った鳥たちと私は、最初から最後まですれちがっていたに違いない。

 けれど、それは相手が動物だったからなのだろうか。人間だったら、死に際に相手が何を考えているか、何を望んでいるか、分かるのだろうか。
 先週月曜に祖母が死んだ。それから2週間弱、私たち遺族はほぼ毎日勝手なストーリーを作って語り合っている。きっと幸せに亡くなったよね、要介護になってからの2年間は娘ふたりと過ごす時間が増えて逆に良かったよね、孫もひ孫もしょっちゅう顔を出してたから嬉しかったと思うよ、戒名は爺ちゃんと同じ末尾にしてあげた方が喜ぶよね、最後の夜に娘に背中をさすってもらえて嬉しかったんじゃないかな、目を閉じた穏やかな顔だったからきっと苦しまずに死んだはず、若い頃に苦労した分を晩年に取り戻したんだよ、今ごろ爺ちゃんに会ってるかな、お香典は自分のだから寄越せって思ってるかもね、孤独死する独居老人もたくさんいるんだから婆ちゃんは幸せだったよね。
 それらのストーリーは、たいてい家族の誰かの悲しみや後悔を和らげるため、あるいは少しでも笑いを起こして場の雰囲気を緩ませるために発せられている。
 さらには、お線香を毎日あげるといいとか、拝む時に南無阿弥陀仏と10回唱えるといいとか、そういうのも一応少しだけ信じて実行していたりする。私も毎日祖母の部屋に行って線香をあげている。そんなのに意味があるのか、故人は望んでいたのか、そんなことは分からないけれど、そうするほかないのだ。それ以上に正しい悼み方なんて、私たちは知らないのだ。

 自分が愛する人や私を愛してくれている人には、最期に「悪くない人生だった」と思って欲しい。自分はその手助けができる存在でありたいと思う。祖母が死んで、その思いは一層強くなった。けれど同時に、自分にできる手助けとは何なのか、すっかり分からなくなってしまった。
 いつもすぐそばにいることだろうか。何かあった時に駆けつけることだろうか。優しい言葉をかけることだろうか。肯定し、受容することだろうか。体に触れることだろうか。抱きしめることだろうか。遠くから見守ることだろうか。水飲み場で手に汲んだ水をかけてやることだろうか。
 たまたまその手助けが正解だったとしても、本当に最期の瞬間に相手が「悪くない人生だった」と思ったのかどうかなんて、死んでしまった相手の口から聞くことはできない。その時はきっと、私はまた勝手なストーリーを作るんだろう。

 どうせそうならば——どうせ私は私自身のためにしか行動できないのならば——相手が生きているうちに思いつく限りの手助けをするしかないのかもしれない。生きているうちなら、私がどうすることで相手が幸せを感じられるのか、教えてもらったり、汲み取ったりすることも少しはできるはず。
 そうやって、相手が亡くなった後に私が作る勝手なストーリーを、自分自身でちゃんと信じられるように、少しでも信じやすいように、準備しておくしかないのかもしれない。

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ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。