青山学院大学の3年ゼミでお話しして来ました

2017年7月17日(月)に、青山学院大学の3年生のゼミにお邪魔して、LGBT関係のお話をして来ました。

LGBT等についてあまり知識量が多くない学生もいるだろうということで、入門のような話を冒頭にして、その後ノーマティビティー(規範?)とマージナライゼーション(周縁化)について触れ、社会問題の解決に2つのタイプがあるということ、そして婚姻制度の問題まで、1時間半の超特急トークでした。

少し無理のある構成だったのもあって、話が散漫というか分かりづらくなるところもあったと思うのですが、学生はみんな熱心に聞き、質問を投げかければ真剣に考え発言し、互いの意見への反対意見も堂々と提示したりと、とても良いゼミだなあと振り返って思います。

英語で運営されているゼミなので私のお話も英語だったのですが、日本語での補足を付けてもよいとのことだったので時々日本語を挟みました。でも補足はほとんど要らないほどみんな英語の運用能力が高く、その点でも驚きました。

また詳しく話の内容を書くかもしれませんが、とりあえず当日配布したハンドアウトを以下に貼り付けます。(ハッシュタグっていうね…w)
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『人権と生活』44号に文章が掲載されました

在日本朝鮮人人権協会よりご依頼をいただき、本日2017年5月26日(私の誕生日でもあります!)発行の『人権と生活』44号に文章が掲載されました。

私の文章のタイトルは「排外主義と主流LGBT運動 —『ヘイト』概念を超えて」となります。

「そんなことより北朝鮮のミサイルの方が怖いよ(笑)」
 客が笑ってそう言う。つられて別の客が笑う。私はろくに聞こえなかったふりをして、張り付いた笑顔のまま、カウンターの中の自分の足元に目線を逃がした。数秒のあいだこうすることで、私は——私だけは——この場のヘイトの責任を免れるような気がしたからだ。

目次にもある通り、様々な差別問題についての論考がボリューム満点に入ってます。

これで800円だなんて! 安い・うまい・早い!

ごめん嘘をつきました。早くはないです。
協会問い合わせフォームから直接連絡をして購入する仕組みになっています。
Amazonとかにあればいいのに……でもクソみたいなレビューがたくさん付いちゃうか……。

というわけで、購入するのは少し大変だけど、ぜひご検討ください〜><

追記 2017.11.1

発売から約半年が経ちましたので、全文を公開しました。

「そんなことより北朝鮮のミサイルのほうが怖いよ(笑)」
 客が笑ってそう言う。つられて別の客が笑う。私はろくに聞こえなかったふりをして、張り付いた笑顔のまま、カウンターの中の自分の足元に目線を逃がした。数秒のあいだこうすることで、私は——私だけは——この場のヘイトの責任を免れるような気がしたからだ。

LGBTの次はSOGI? 看板を入れかえるだけでは失われてしまうSOGIの本当の意味と意義(wezzy掲載記事)

世間はまだ「LGBTって、聞いたことあるけどよく分かんない」の段階だというのに、また新しい言葉が生まれてしまいました――

こんにちは、ライターのマサキチトセです。YouTubeでLGBTフレンドリーな英会話レッスン動画をアップしてますが、鳴かず飛ばずの毎日に心が折れそうです。

さて今回皆さんに紹介したいのは、「SOGI」という言葉。

実は今「LGBTに代わる言葉」として当事者やその周りの人たちの間に広まりつつあります。

以下では、SOGIってどういう意味? なんの略? もうLGBTって言っちゃいけないの? SOGIが正しくてLGBTは正しくないの? などの疑問にお答えしたいと思います。

そもそもLGBTって何?

LGBTとは「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー」の略です。1990年代のアメリカで急速に広まり、ここ数年は日本でも積極的にテレビなどで使われるようになったことから、「聞いたことはある」という人も多いことでしょう。

日常生活でも近所の知り合いの口から「LGBT」って言葉が出てきたりと、日本での認知度が高まっていることを感じます。

LGBTという言葉の問題その1:ビジネス用語として広まってしまった

でも一方で、認知度=理解度とも限らないのが悲しいところ。

日本でLGBTという言葉が急速に広まったのは、ビジネス用語としてでした。LGBT当事者は「未開拓の市場」とか言われて、あたかも商品の付加価値、消費者、労働者、企業のブランディングの道具でしかないようなイメージで語られることが多くなりました。

Photo by Véronique Debord-Lazaro from Flickr

【終了】講演のお知らせ 2017年5月28日(日)@埼玉『働くLGBTのホンネ』

2017年5月28日(日)に埼玉で「労働とLGBT」について講演します。した。
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「不快な思い」とは何か 日本マクドナルドの対応から考えるメディアと差別の関係(wezzy掲載記事)

12月5日に、日本マクドナルドの公式 Twitter で紹介されたキャンペーン動画が、三日という短期間で公開が取りやめとなった。

この動画は、登場する男性(怪盗ナゲッツ)があるゲームに負け、罰ゲームとして他の男性(カズレーザー)から頰にキスをされるというものだ。男性は後ろから別の登場人物(安藤なつ)に羽交い締めにされ、不快感を全面に表現しながら罰ゲームを受ける。それが同性愛者に対して差別的であるという指摘が多数 SNS に投稿され、日本マクドナルドは8日、「お客様にご不快な思いをさせ、深くお詫び申し上げます」というおきまりのフレーズを残し、動画を非公開にした。

これにて一件落着……なのだろうか?

あるコンテンツが差別的な要素を持っている、それに対して批判の声が集まる、そしてそのコンテンツが削除される……その後私たちに残るのは、いつだって「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」という言葉だけだ。差別に抗うマイノリティや支援者の多くが、この言葉の空虚さを身をもって知っている。

この空虚さを作り出しているのは、コンテンツが人の目に触れること自体を止めさせようとする一部の抗議者の思惑と、抗議の内容を吟味せず苦情処理の一環としてしか対応しないコンテンツ責任者の事なかれ主義だ。

ある日突然批判騒動が起き、コンテンツの削除で事態が収束する。そして昨日までと何ら変わらない風景が戻って来る。差別は温存され、誰も何も学ばずに、また新しいコンテンツが作られる。次はどんなお客様が“ご不快な思い”をさせられるだろうか?

Anime Feminist からインタビューを受けました(英語・日本語)

先日以下の動画を YouTube にアップしたところ、Anime Feminist というサイトの編集長 Amelia Cook が連絡をくれました。
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小松サマースクール講演原稿全文(高校生向け)

この原稿は、2016年7月29日〜8月2日に開催された小松サマースクールという高校生向け合宿イベントにおいて、私が29日の午後に参加者に向けてお話しした講演の内容です。時間の関係で省略した部分、言い方を変えた部分などもありますが、大まかには当日の内容と同じです。ところどころ「それ断言しちゃっていいの?」と疑問を挟む余地のある箇所があると思いますが、オーディエンスや持ち時間、その他の制約によるものと思ってご勘弁ください。

自己紹介

みなさんこんにちは。フリーライターのマサキといいます。

フリーライターというのは、依頼されたテーマで文章を書いたり、書いたものを自分で売り込んだりして、それが雑誌とかホームページに載ったらその都度原稿料をもらう「フリーランス」というスタイルの仕事です。言ってみれば漫画家の文章版みたいなもんです。

絵がうまい漫画が必ずしもいい漫画ではないのと同じように、日本語の力があればライターとしてお金がもらえる仕事ができるわけではありません。

それに、漫画もギャグマンガとか、恋愛もの、社会派、学園もの、ヒーローものとか色々ジャンルがありますけど、文章にも色々あって、それぞれライターには得意分野とか、文章の特徴があります。だから、ライターになりたい人は、日本語の力よりも、自分の好きなことについての知識を深めるほうが大切かもしれません。

じゃあ私のジャンルは何かと言うと、「性」です。性教育の性です。つまり、女とか男とか、レズビアンとかバイセクシュアルとか、テレビで言うオネエとか、そういうことを専門としています。私はこれを皆さんくらいの年齢から専門に学びたいと思っていて、大学でも勉強したし、大学のあとの大学院という研究する学校でも性について研究しました。

性についての研究っていうと、「男女の脳はこう違う」とか「円満な夫婦生活のコツは」とかが頭に浮かぶかもしれません。でも、私の専門はむしろ、そういう男と女について色んな人が語ってること、「女はこうだ、男はこうだ、女はこうすべき、男はこうすべき」あとは「オネエはこうだ、レズビアンはこうだとか、ゲイはこうすべき」みたいな偏見とか決め付けが、なぜ社会にはびこっているのか、いつから言われ始めたのか、どうやったらそれを無くしていけるのかについての研究をしていました。

だから、性というジャンルの中でも、私の書く文章の特徴は、性に関する偏見に対しての「ふざけんな」という怒りです。つまり、私は、怒りを言葉にする仕事をしていると思っています。

海外で学んだこと

どうしてそうなったかというと、その背景には、海外での生活があります。16歳まで日本で育ったあと、私はニュージーランドの高校に行って、そのあとアメリカに行って高校、大学って進学して、2年間日本の大学に逆留学したあとに、大学院で、またアメリカのシカゴ大学というところに行きました。

海外に行った人の話を聞くと、結構「多様な人に会えて成長した」とか「日本の良さを再確認できた」と言う人がいますが、私はそういうことよりも、2つのとっても大切なことを学びました。

1つは、「誰かが怒ったから、今があるんだ」ということ。もしかしたら学校でローザ・パークスという人について勉強した人もいるかもしれません。この人は、まだアメリカで黒人差別が当然だった時代に、バスで白人に席を譲れと言われても席を立たなかった、それで逮捕されちゃった黒人女性です。この事件をきっかけに、黒人差別について反対の声がアメリカで大きく広がって、その後の社会運動につながって行きます。

法律も、日常生活も、学校も、何もかもが黒人を差別するのが当然だった時代に、ローザ・パークスは怒って「私は席を立ちません」って運転手とか警察官に言い続けたんです。

他にも、女性が選挙で投票するなんて考えられなかったような時代に、「女にも投票権をよこせ」って言って怒りまくった人たちがいました。先生が生徒を殴るのが普通だった時代に、「体罰はやめろ」と怒りまくった人たちがいました。結婚する相手を親が決めるのが当然だった時代に、「自分の好きな人と結婚させろ」と怒りまくった人たちがいました。女子が学校に通うことがおかしいとされていた時代に、「女にも勉強させろ」と怒りまくった人たちがいました。男子生徒が髪の毛を伸ばすなんて信じられなかった時代に、「男だからって坊主を強制するな」と怒りまくった人たちがいました。そうやって、社会が少しずつ変わってきたんです。そして、これからも、そうやって怒る人たちが、社会を変えていくんです。

留学で学んだもう1つのことは、人と違ってていいんだというものです。日本とは違って、アメリカでは、友だちの意見に反対しても嫌がられません。日本では、友だちと集まってご飯どこで食べるか話してても、みんな遠慮して「どこでもいいよ」とか、誰かが案を出しても「そこでいいよ」とか言う人が多くて、なんかみんなが少しずつ我慢してる感じを受けます。アメリカではどちらかと言うと、みんなそれぞれ何が食べたいとかどこに行きたいとか素直に言って、それから話し合って決めることが多いような感じがします。「どこでもいいよ」って言うのは、本当にどこでもいい時にしか言わない、みたいな。例えばタイ料理が食べたいという私の案が採用されたら、じゃあ次はそっちの言ってたインド料理にしようね、みたいな。第一希望を言って、すりあわせて、できるだけ誰も我慢しないで済む方法を考えるというのを、アメリカではよく見てきました。

まとめると、アメリカで学んできたことは、「怒って良いんだ、人と意見が違ってもいいんだ」ということです。でも、日本で16歳まで育った私は、怒るときとか、人と違う意見をいう時に、どうやってそれを相手に伝えたらいいのか、あんまり分かっていませんでした。

言葉にすることの大切さ

日本にいたときから、私はよく先生とか親戚の大人に不満を持っていました。勝手に色々なことを決めつけてくるからです。その中には、今考えたら理解できるものもありますけど、ほとんどは今でも納得出来ないものばっかりです。でも、なぜ納得出来ないのか、どんな不満を感じてるのか、自分でもよく分かってなかった、だからきちんと言葉で怒ることができなかったんです。

でも海外で色々勉強する中で、多くの人が怒りを声に出して戦ってきたことを知りました。その人たちはみんな、「それはおかしいよ」ということを、きちんと言葉にして、何がおかしいのか、どうしておかしいのかを世の中に説明する努力を惜しまなかったんです。1回1回は無駄に終わっても、いつか社会を変えるかもしれない、そういう言葉を、きちんと社会に向けて発してきたんです。たとえば、ローザ・パークスだけじゃなくて、実はそれよりうんと前から、同じように怒って逮捕された黒人はたくさんいました。

そういう人たちの言葉を読んだり聞いたりすることで、少しずつ、「そうやって説明すれば、女だから家事をしろって言う人に反論できるんだ」とか、「そういう例を出せば、障害者は社会のお荷物とかいう人に反論できるんだね」っていう風に、言葉での怒り方を学ぶことができたんです。つまり、自分がちゃんと怒るためには、既に怒ってる人たちの言葉を知る必要がある、ということです。

だからいま、私は、怒りを言葉にする仕事をしているんです。誰かが私の文章を読んで、「そういうことについて怒ってもいいんだ」と思ったり、「そういう風に言えば反論できるんだ」と知ったり、「何かイラっとしてたけど、私も、それについて怒ってたんだ」と気づいたり、「同じようなことで怒ってる人がいるんだ」と勇気づけられるかもしれない。そうやって、読んだ人が自分の怒りをちゃんと見つめて、何で怒ってるのかを整理して、怒ってる自分を認めてあげて、必要なときには言葉にできる、そうなったらいいなと思って、文章を書いています。

偏見当てゲーム

関係ないけど、私群馬県でバーベキュー料理のバーもやってて、そこはカウンターの中で私の母が調理をしてるんですけど、そろそろ料理ができあがりそうだからその前で母の手元を見ながら待ってたんですね、運ぼうと思って。そしたらそれを見てたお客さんが「食べたいんでしょw」って言ってきてw もう完全にデブへの偏見じゃないですかw 私はただ料理を運ぼうと思ってたのに…。

それは冗談として、細かいことでも、自分が言われる側になったり、毎日のように言われ続けたりすると、すごくストレスになるような偏見ってありますよね。でもそれが、偏見で、何が問題なのか、何でおかしいと思うのかがわからないと、本当に怒るべき時に、その怒りをどこに向けて良いのかも分からなくてイライラしてしまうかもしれません。それに、誰も怒らなければ、相手はずっとそのままです。偏見を垂れ流し続けて、人に嫌な思いをさせ続けてしまいます。だから、本当に怒るべき時には、それをきちんと言葉にできる人間になりたい。

そこで、皆さんにクイズを用意しました。

ではまず練習です。私が今から言うシチュエーションに、どんな偏見が隠れていると思うか、何かおかしいぞと思ったら、手を上げて教えて下さい。

先日私のバーのイベントで使ったアウトドアテーブルを外に置いておいたら、ある日なくなってたんですね。スタッフは誰も知らないというので、恐らく盗まれたんだと思います。お客さんにその話をしたら、「外国人だよそれ」と言いました。実話なのが恐ろしいんですけど、ここにはどんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

じゃあ少し難しい問題です。

ある大きなスーパーに行ったら、フードコートの壁に貼り紙がありました。そこには大きな文字で中国語が書かれていて、なんだろうなと思って近づくと、下に英語で小さく「設備を綺麗に使ってくださってありがとうございます」と書かれていました。日本語はありませんでした。これも実話です。ここにはどんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

じゃあ更にレベルアップ問題。

赤ちゃんをお風呂に入れたり、子どもと遊ぶ時間をちゃんと取るお父さんに「イクメンですね、偉いですね」と言ったら、そこにはどんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

じゃあ次の問題です。

街で外国人らしき人が困っている様子だったので、英語で話しかけました。ここにはどんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

次の問題。

結婚したカップルに、「お子さんの予定は?」と聞いたら、そこにはどんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

次の問題です。

働いてるお母さんに「仕事と家事、育児の両立は大変ですか?」と聞くことには、どんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

では次。

痴漢の被害にあったことがあるという女子に、先生が言いました。「お前その時どんな格好してたの?」ここにはどんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

じゃあ最後の問題です。

ある男の子が親戚の集まりに行ったら、おじさんから「彼女はできたか」と聞かれました。ここにはどんな偏見があると思いますか?

(参加者の回答)

まとめ

これでクイズは終わりです。そんなことも偏見になるの?と思った人もいると思いますが、毎日とか毎回こういうことを言われ続けることがいつの間にかストレスになって、つらくなってしまうことは誰にでも起こりうることです。そこでただイライラを募らせるのではなく、なぜイラっとしたのかが分かるだけでも、気持ちの整理がつきやすくなるんじゃないかと思います。

そして、それが相手の偏見だと分かれば、それにイラっとした自分は間違ってなかったんだ、怒っていいことなんだと思えるかもしれません。

それは同時に、偏見を向けられ傷ついている人の気持ちに気づいてあげられるようになることでもあります。

また、逆に自分の持っている偏見にも気づける人になってほしいと思います。周りが言っているからといって、自分も「だよね〜」って同調する必要はありません。

むしろ、皆がちゃんと怒って、間違った世の中をより良くしていくことが大事だと思います。

以上です、ありがとうございました。

後日談

翻訳『米国の醜さ: 有色人種クィアとトランスが言う「私たちの名の下にそんなことはするな」』

(ジャック・アポンテ トゥルス・アウト誌)

日曜の夜、私は悪夢を見ていた。それも無理はない。日曜の朝、ルームメイトが私のパートナーと私のところにやってきて、オーランドの銃撃事件について知らせてくれた。それからというもの、私の1日はショックと怒りと悲しみに支配された。最終的にベッドに横になり目を閉じてじっとできるほどに落ち着けた時には、少々自分でも驚いたくらいだ。そんな日に見る夢がろくな夢なわけがない。

夢の中で、私はパートナーと飛行機を降り、空っぽの奇妙な空港を歩いていた。周囲の人はテレビ画面を見上げていて、そこには幼少の頃に見て恐れていた湾岸戦争の映像に似たものが流れていた。でも私はその映像が、イラクでの新しい爆破の映像だと知っていた。つまり、私の人生で見てきた米国による戦争を象徴するような大規模の殺戮に帰結するような、ISIS(又の名をDaesh)をターゲットとした爆破である。

夢の中で私は、この爆破がオーランドのナイトクラブ「パルス」での銃撃事件に対する報復であるとすぐに分かった。怒りが急にやってきた。周囲に向かって私は叫ぶ。「こんなの最低だ! 米国は最低だ! 米国は世界で最低の国だ!」 そして私は起きた。

現状では、まだ戦争は宣言されていない。しかしこの終わりなき戦争を抱えた世界においては、紛争の終わりと始まりを明確に分けることなど困難ではある。いずれにしても、主たる政党の大統領候補者は、ISISと(ヒラリー・クリントンの言葉を借りれば)「イスラム過激派」のいつもの幻影に素早く剣を切りつけ始めた。

バーニー・サンダースですらこの流れに安易に乗り、今回の悲劇をISISの破滅を求めるべき機会として利用した。しかしオマル・マティーン(訳者注:オーランド銃撃事件の容疑者)は、ISIS、アルカイダ、ヘズボラなど彼自身が憧れるイスラム軍事組織のそれぞれの全く異なる思想の違いを理解している様子のない一匹狼(訳者注:単独犯)だろうということが明白であるにもかかわらず、だ。マティーンが事件前の通報時にISISの話をしたと警察は言っているが、ISISどころか、彼は世界中のどの武装集団や過激団体からも訓練されたり指示されたり、そもそもコンタクトを取っていたという証拠すら存在しない。彼が受け取っていたのは、インスピレーションだけである。

しかしマティーンは、このLGBTナイトクラブ「パルス」をクィアやトランスのラテン系や黒人でひしめき合っていたラテンナイトの夜に標的にすることに、ISISからのインスピレーションを求める必要なんてなかった。マティーンがこれまでに幾度となく表明してきたとされるホモフォビア(同性愛嫌悪)、トランスフォビア(トランス嫌悪)、人種差別主義、性差別主義、そして暴力は、マティーンが生まれ育ったここ、まさにこの米国に潤沢に存在するものである。

黒人のクィア執筆家アドリエンヌ・マリー・ブラウンは、オーランドで起きたことについての文章の中でこの件に触れている。まず自身の過去の文章(9/11の10周年というふさわしい日に書かれている)で肩った、米国人が生まれながらに持っている「血まみれの生得権」についての箇所を引用している。

この国の責任を逃れることはできない
これらの残虐行為を振り落とすことはできない
これは血まみれの生得権だ
すべての子どもは血の中に生まれる

そして、「ポスト国粋主義のアメリカ生まれの革命家」として、彼女自身、そして彼女と希望やより良い世界の展望を共にする人々は、「アメリカに矛先を向けて、この場所から生まれうる未来を形作るという大変な仕事をする必要がある」とする。

私たちは尊厳と共に生まれる
涙を流す時、愛を遂行する時、私たちは美しい
恐れる時はアスファルトの道を気取って歩く
むせるような暗黒の中で互いに押し合うように寄り添い
自由の歌を、愛の歌を絞り出す
これが
アメリカだ

そう、これがアメリカである。オマル・マーティンが銃を手に入れることができたこと、警察官、特にニューヨーク市の警察に対する偶像化(訳者注:憧れ)、彼の人種差別主義や元妻に対する虐待は、すべてとてもアメリカ的だ。しかし彼が自分自身に向けていた嫌悪は、彼の怒りや嫌悪についての複雑さに関するいかなる新事実よりも、アメリカ的だろう。日曜の午後、私は「ドラァグ・クィーン: 反同性愛テロリストのオマル・マティーンは私の友人だった」という記事を発見した。これを皮切りに、いくつもの記事や新情報が世に出された。それらは、マティーンがクィア連続体(訳者注:原文では “queer spectrum” で、LGBTのようにカテゴリーに分けない性の理解の仕方)のどこかに位置していた可能性、彼がこれまでずっとクィアやトランスの人々に対して暴力的だったり敵対的だったわけではないこと、そして何かが彼の中で変わってしまったのだということを示している。(訳者注:「ドラァグ・クィーン……」という)記事タイトルを見たとき、私はすぐに1999年の映画「アメリカン・ビューティー」を思い出した。映画では、海兵隊を退職した大佐が10代の息子を同性愛者と知り暴行して家から追い出しておきながら、弱気になり自分を再発見したときにはケビン・スペイシー演じるキャラクターに口づけをし、そしてコレクションから1丁の銃を取り出し彼自身の愛の対象を殺すのだ。

そう、確かにこれがアメリカなのだ。

アメリカ人であるという血まみれの生得権を持ち生まれてきた私たちは、しかし、オーランドの悲劇から何を学ぶか、この場所からどこに向かうかを選ぶことができる。私たちのいわゆる政治的リーダーは、イスラム過激派についてのお決まりの発言をダラダラと繰り返すが、ラテン系や黒人のクィアやトランス、そしてその仲間たちは別の道を選ぼうとしている。私が話したクィアやトランスの人々、クィアやトランスの団体、そしてラテン系や黒人の人々は、死者を悼みつつも互いを慰め、共に仲間として存在し、連帯するために集まろうとしている

More police won't make us safer. We are one.(警察が増えても私たちは安全にならない。私たちは一つ)

(訳者注:画像の文字は「警察が増えても私たちは安全にはならない。私たちは一つ。」)

私の経験から言って、私たちが集まろうとしているのは、土曜の夜の残虐な事件があってから以前よりもホモフォビアやトランスフォビアの暴力に恐れているからではない。友人やコミュニティの仲間から私が聞いた恐れというのは、普段はラテン系や黒人のクィアやトランスの人々を(良くて)無視しているような政治家がほとんどなのに、ラテン系や黒人のクィアやトランスの人々の名の下に米国政府が冷淡かつ偽善的に遂行しうる暴力への恐れである。

有色人種のクィアやトランスは、私たちの名の下に行われる暴力への呼びかけを拒否し、クィアもトランスも多数存在するムスリムの兄弟姉妹(訳者注:原文では “siblings”)に連帯する。有色人種のクィアやトランスを中心に据える団体からは、ここ数日でいくつもの声明が出されており、そこでは私たちの名の下に正当化されるイスラモフォビア(イスラム嫌悪)を非難している。

トランスジェンダ・ローセンターより。

このショックと悲しみの最初の瞬間、私たちはコミュニティーの皆さんに、イスラモフォビアや根拠なき推測を奨励しないよう呼びかけます。私たちにわかっているのは、有色人種のLGBTを標的とする非常に暴力的な表現、制度、法律や方針の風潮を見つけるのに、米国主流の外側に目を向ける必要なんてないということです。

ナショナル・クィア・エイジアン・パシフィック・アイランダー・アライアンスより。

個人の行動は、何か一つの民族や人種、信心の代表ではありません。この国のイスラモフォビアが危険なレベルにまで増大している中、どのような物語を選び語るかということについて意識的になることは特に重要になっています……。私たちの中のLGBTQでかつムスリムである者は、私たちの存在や意図を日々疑問視し続けるようなこの世界においてどちらのアイデンティティを明かす方が恐ろしいことなのか、様子を見ているところです。

南アジアにルーツを持つLGBTQのための非営利団体 Trikone より。

今回の事件に油を注いで火を起こそうとする者が現れるでしょう。イデオロギーや対話を用いて私たちのコミュニティーを分断しようとする者が現れるでしょう。十分に用心して、このような不要なバックラッシュに参加することを拒否してください。なぜならそうしたことは、癒しのプロセスをさらに遅くさせるだけなのです。

ジョージア・トランス・ラティーナ・コアリション、Latino LinQNAESMSisterLoveなど数多くの団体を含むアトランタ拠点の団体連盟より。

私たちは、互いから独立して生きているわけではないのです。人種やジェンダー、アビリティ(訳者注:身体や精神的にできること、disability[障害]の反対語)、セクシュアリティ、宗教、そして生活背景などの複合的な交わりを通して、私たちは互いに深く繋がっているのです。暴力に反対する団結、そして愛のもとでの連帯を呼びかけます。痛みにおいては、言葉や行動で暴力に暴力で応酬しないという決意を持って、互いを思いやらなければなりません。包摂、肯定、そして理解という考えをさらに進める必要があるのです。この殺戮は、この国においてイスラモフォビアがどんどん脅威になっている時代に起きた出来事です。この悲劇をムスリムのコミュニティに対するさらなる偏見や嫌悪のために利用しないでください。そうではなく、LGBTQやその他のすべての人々に対する嫌悪や暴力に反対する動きにおいて、私たちを奮起させるものとしなければなりません。

ブラック・ライヴス・マターより。

自家栽培されたテロ(訳者注:国内テロ)は、国家や自警団の暴力を含む植民地主義の長い歴史の産物です。精神をゆがめ、人々を互いに暴力に駆り立てるような白人至上主義と資本主義の産物です……。死者を敬うために、そして未だ生きる者のために死に物狂いで戦うために、私たちは、人権を優先し、死を招く暴力を助長しない形の、安全というものの新しいビジョンを必要としています。「犯罪者」が黒人と同義語ではないように、「テロリスト」がムスリムと同義語ではないということを明確に理解する世界を必要としています。敵は今もこれまでも、白人至上主義、家父長制、資本主義、軍事主義という4つの脅威です。これらの制度が解体されない限り、そして反黒人的な考えが反ムスリム・反クィア/トランスの偏見、搾取、排除にも燃料を投下しないようにならない限り(訳者注:黒人の人権や尊厳を中心課題とするブラック・ライヴス・マターだが、黒人に対するアンチを解決するだけではダメだと思っている、という意味だと思われる)、私たちは本当に自由にはなれないのです

くりかえすが、私たちの今回の悲劇を誰かの暴力的で帝国主義的な狙いに取り込まれないようにするために、私たちのコミュニティは「私たちの名の下にそんなことはするな」と言わなければならない。前回は、ニューヨークのコミュニティだった。9/11後、私たちはストリートに出て集まり、アフガニスタンやイラクでの酷すぎる無差別な戦争を正当化するために9/11を利用することを許さないと政府と国に主張した。攻撃で愛する人を亡くした人々、すすと瓦礫に覆われながらタワーから逃げだせた人々、攻撃によって生活が崩壊され一変してしまった人々、輪郭線に生まれた空っぽの穴を毎日毎日見ながら生きた人々……私たちは幾度となく集まり、スローガンを叫び、行進した。攻撃で大きな影響を受けなかった米国の人々たちに、どうか私たちの悲劇を、世界にさらなる不正義と死をもたらす言い訳に使わないでくださいと懇願した。

今回はラテン系、黒人、そしてその他の有色人種クィアとトランスの人々が立ち上がっている。悲劇のさなか、「テロ」「ジハード」「ISIS」というけたたましい騒音をかきわけ、もういい加減にしてくれ、繰り返さないでくれ、今度こそは私たちの名の下にそんなことはしないでくれという声を上げようとしている。この国が100人ちょっとの死傷したクィアやトランスの人々、ましてや黒人やブラウンの人々のために戦争をするだなんていう幻想を抱いているわけではない。実際、ラテン系や黒人のクィアやトランスのコミュニティに対する今回の攻撃がテロというテーマに取り込まれつつあること、つまりおうおうにしてホモフォビア的でトランスフォビア的な米国社会に売り込みやすい枠組みに取り込まれつつあることを、私はすでに観測している。私たちは反対の声を上げ続ける。私たち自身の悲劇の時に私たちを消そうとすることに。そして、ムスリムの人々に対して嫌悪が巧妙に向けられていなかったらこの国にいる多くが喜んで私たち有色人種のクィアとトランスの人々に向けるであろう、身体的・言語的暴力に。

原文筆者について

Jack Aponte(ジャック・アポンテ)
ジェンダー/クィアの米国在住プエルトリコ人。カリフォルニア州オークランド在住。
@jackaponte

翻訳について

この文章は、上記原文筆者が執筆し、上記日付にトゥルス・アウト誌(オンライン)に掲載された American Ugliness: Queer and Trans People of Color Say “Not in Our Names” を、マサキチトセが2016年6月15日に日本語に翻訳したものである。なお翻訳は推敲を経ておらず、原文との完全一致を保証するものではない。

画像について

原文に掲載されていた画像を転載している。
画像1:2016年6月13日にロサンジェルス市役所前で行われた追悼式に数千人が集まった。カサンドラ・ショアとキャンディス・ダーデンが互いを慰めている様子。(撮影:モニカ・アルマイダ/ニューヨークタイムズ)
画像2:青の背景に有色人種らしき二人が抱き合っている様子を描いたイラスト。「警察が増えても私たちは安全にはならない。私たちは一つ。」という文字がある。(作者:マイカ・バザント)

自民党の委員会がLGBTについてラディカルなこと言ってるけど多分気づいてない件

昨日4月27日、自由民主党政務調査会および性的指向・性自認に関する特命委員会が、「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」として2つのPDF文書を公開しました。

感想を Twitter にでも書こうかなと思っていたのですが、思ったより書きたいことがあったので、PDFに細かくコメントを付けました。
マサキの注釈付きPDF (1)(2)

よかったらご覧になってください。(※注釈機能を使っていますので対応するブラウザかアプリで見てください)

さて、その中でも私が注目すべきと思った点について、以下に詳しく感想を書きます。

(追記・2016年4月28日11:45)この記事を公開した直後に自民党が法案提出の予定を公表し、更に野党との修正協議も行わないと明言しました。この強硬姿勢には強く反対しますし、自民党が単独でLGBT関連の動きを作っていくことにも大きな不安があります。どうしょうもない。最低。

「カムアウトする必要のない社会」ってすごい理想高いけど大丈夫?

今回の文書では、自民党の立場として明確に「カムアウトできる社会ではなく、カムアウトする必要のない社会を目指す」と書いてあります。

このブログ記事のタイトル「自民党の委員会がLGBTについてラディカルなこと言ってるけど多分気づいてない件」というのは、この点についてです。

文書では、「当事者が自分にウソをつかない、自分らしい生き方ができる社会」を目指すということ、そして「カムアウトする必要のない、互いに自然に受け入れられる社会」を目指すということが書かれていますが、この2つを両立させると、それは「誰も異性愛やシスジェンダーだと思い込まれない社会」が生まれるはずです。

つまり、人が勝手に他人を異性愛者だともシスジェンダーだとも思い込まない社会、カムアウトする必要もないほど「標準」「前提」「普通」としての異性愛とシスジェンダーが想定されていない社会を、自民党が「目指す」と公言したわけです。

「カムアウトできる社会」の実現は、異性愛中心主義もシスジェンダー中心主義も温存したままで可能です。しかし今回「目指す」と言われている「カムアウトする必要のない社会」の実現には、異性愛中心主義とシスジェンダー中心主義の解体という更にラディカルでクィアな社会変革が必要となります。ホモフォビアだって撲滅しないと「互いに自然に受け入れられる社会」は実現できませんよね。(※この点に関しては以前インデペンデント・マガジン Pe=Po vol.1 に掲載された『「カムアウトできる」「カムアウトできない」というレトリックの問題』にも書きました。)

私としては願ったり叶ったりです。

でも、保守の自民党の立場としては信じがたい。もしかして、カムアウトする人を減らしたい、めんどくさいことを言う人を減らしたいという思いがあって、そのために言葉と論理をこねくり回していたら意図せずすごくラディカルなことを書いてしまった、ということなのではないかと疑ってしまうレベルで、信じがたいです。

差別禁止法の危険性についての指摘が(たぶん偶然)鋭い

以前から動きはあったのですが、今回明確に「差別禁止法ではなく理解促進法を」という方向性が文書に書かれています。その根拠として「必要な理解が進んでいない現状で罰則をつけた過度な差別禁止等を行うことはかえって予期せず加害者となってしまう方を作ってしまうことになる懸念があること、また差別禁止が独り歩きすると、かえって周囲が萎縮してしまい当事者が孤立する結果を招く可能性もあること」などが挙げられています。

何年ものあいだ米国では差別禁止法の保護対象にLGBTを含めるよう求める運動が進んでおり、実際オバマ政権が昨年公務員だけでなく政府からの委託事業を請け負う民間業者にもLGBT差別を禁止するという動きもあり、世界的にはLGBTにかんする何らかの差別禁止が法制化される方向に動いています。

そして実は、こうした動きに懸念を表明しているクィア活動家も少なくないのです(私も同様の立場です)。そしてその懸念の内容は、なんと自民党の今回の文書で書かれている懸念ととても似ているのです。

それは「予期せず加害者となってしまう方を作ってしまうことになる懸念」という部分。ただしその背景にある思想は、自民党の考えとはかけ離れているでしょう。

米国では懲罰的司法制度(警察・刑務所・裁判所などの総体)が特定の人種、主に黒人男性に不利に働く傾向が非常に強く、またセックスワークをしていたり、クロスドレッシング(異性装)をしている人に対しても、不利に働く傾向があります(黒人MTFセックスワーカーだった日には、不利も不利、びっくりするくらい不平等に扱われます)。

こうした背景があり、米国のラディカルなフェミニストやクィア活動家、黒人活動家、セックスワーカー活動家などは、そもそも司法制度に常に一定の警戒心を感じています。

そんな司法制度の不備が歴史上連綿と継承されている社会において、ヘイトスピーチ禁止法や差別禁止法に新たにLGBTを含めたり、あるいは新しい法律を作って罰則を設けることは、そもそも存在する人種差別、民族差別、階級差別、職業差別などに加担することになってしまうではないか、という考えがあります。

つまり、「私たちを守るために法律を!と主張して実現に至った結果、私たちや仲間や家族や友人や近隣住民が逮捕される理由を増やすだけになる」という不安が、一定の説得力を持っているということです。

また、司法制度自体の不平等が解消される方向に動いたとしても(時代とともにマシになってきてはいます)、実際には今回タックスヘイブンの問題でも明らかになった通り、同じ悪さをしていてもうまく罰を逃れる方法を思いつく人たちというのがいます。そしてそういう人というのは、教育や知識の面で比較的有利だったり、社会的地位が高く信頼されていたり、エリート文化を内面化していたりと、社会の中で良い思いをしやすい状況の人たちです。

一方で、既に人種差別や民族差別、階級差別、職業差別などを受けている層というのは、司法制度において不利であるだけでなく、社会のどこにいても教育の機会に恵まれなかったり、知識を得る機会に乏しかったり、社会的信頼が低かったり、そもそも「教育を受けたい」「知識を得たい」「社会的地位を向上したい」などと思う価値観が醸成されるような文化的環境で育っていなかったりといった傾向があります。

ヘイトスピーチ禁止法や差別禁止法ができたところで、同じ罪を犯しても例えば大企業の役員はうまく罰を逃れるでしょう。実際には差別をしているのに、証拠を残さないように工夫したり、差別ではないと主張する根拠を用意しておいたり……。一方、地方で働く末端労働者などは逮捕されてしまう可能性が高いと思われます。

こうした理由から、ヘイトスピーチ禁止法や差別禁止法には、大きな懸念が一部活動家などから表明されています。

一方で自民党の今回の文書ですが、「予期せず加害者となってしまう方を作ってしまうことになる懸念」が結果的に米国の一部活動家の懸念と似ています。「自民党の委員会がLGBTについてラディカルなこと言ってるけど多分気づいてない件」その2です。

私自身もこの懸念を共有しており、よって差別禁止法ではなくまず理解促進法、という方向性には同意せざるを得ません(もちろん理解促進法の内容や実施状況がまともなものであればという条件付きですが)。

しかし、保守の自民党が本当に同じ思想的背景に基いてこの懸念を感じているのか、大きな疑問があります。

むしろ自民党は、うまく罰を逃れる方法を思いつくような狡猾な人たちを守るために、こうした懸念を根拠に差別禁止法ではない理解促進法をすすめようとしているのではないかとすら邪推したくなります。うまく罰を逃れる方法をエリート層に対して用意するまでの時間稼ぎなのではないか、と。

LGBTの話をしてれば女性差別は放置でいいと思ってない?

ここからは「意図せずラディカル」でも何でもない、ベタな内容に対するベタなコメントになります。

文書中、何度も何度も「これは『ジェンダーフリー』論とは全く違いますよ」という但し書きみたいな言葉が出てきます。

10年位前にネット上で一気に叩かれた「ジェンダーフリー」論ですが、これについては荻上チキさんが「ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ」という資料にまとめてくれていますので、ぜひ、ぜひ読んで下さい。

「性差を否定する『ジェンダーフリー』論とは違いますよ!」と何度も念を押すこの文書ですが、そもそも「性差」とは、「否定する」とは、何を指しているのでしょうか。

「性差を否定する」ことが性別役割分業(女はこうするべき、男はこうするべき)や性別二元論(人間には男と女しかいない)を拒絶し、批判し、解体しようとすることであれば、それは何ら悪いことではないと私は思っています。

ただし、この文書は自民党が出したもので、自民党の支持層にも読まれることを想定しているでしょうから、今回のこの委員会の動きを既存支持層に納得してもらうためにあえて「ジェンダーフリーとは違う」と書いている、つまり保守的な自民党を支持するような女性差別に親和的な層に向けて「ジェンダーフリーに反対だからと言って今回のこれにも自動的に反対の立場を取るのはやめてね」とメッセージを出しているのだろうとも解釈できます。

であれば理解できなくもないところですが、2つ心配があります。

1つめは、渋谷でパートナーシップ制度が成立する際に「女性センター」が「ダイバーシティセンター」に名称変更となったことなどもありましたが、保守層の中には女性差別を温存したいという思いは強くありつつも、対外的に印象が良く世界的流行の最先端風を装えるLGBT支持を表明するタイプの人が一定数います。(昨年10月の『現代思想』でもこれに触れています。)

2つめは、そもそも自民党というのは、上で紹介した荻上さんのまとめにもある通り、ジェンダーフリー論争のときに「過激なジェンダーフリー」として数々のデマ事例を世に広めた張本人です。この問題はうやむやにされたままです。それにもかかわらずこうして今でも公に「ジェンダーフリー」という言葉・概念をかつての解釈のまま文書で使うというのは、無責任かつ確信犯的です。

更に今回の文書からも自民党の女性差別的な姿勢がうかがえます。

「わが党の基本的な考え方」の冒頭「1.歴史的経緯」は、日本が歴史的に性の多様性に寛容だったという日本特殊論・ナショナリズムで唐突に始まります。これは保守的な支持層に対する単なるリップサービスだろうとは思うのですが、ここで例に挙げられている「歌舞伎の女形」「とりかへばや物語」が、例として不適切なのです。

まずそもそも、歌舞伎の女形も「とりかへばや物語」も非常に女性差別的、ジェンダー的な文化を表しています。性の多様性についての今回の文書で、どうしてこれらを例に出そうと思ったのか、感覚が理解できません。

また、「とりかへばや物語」は男女入れ替わっての生活が最終的に元に戻るというストーリーなので、例としての不適切さは明らかではないかと思います。

ホルモンと手術の保険適用を目指すのはいいね!

性別適合手術のあとに受けるホルモン療法はこれまでも保険が適用されていました。しかしそれ以外の性別適合手術自体、手術前の各種医療サービスなどについては、個人で莫大な資金を用意しなければならない現状です。

(追記・2016年4月28日18:45)畑野とまとさんより、この箇所について訂正を頂きました。制度として手術後のホルモン療法が保険適用になっているのではなく、一部の病院が好意で「卵巣もしくは睾丸の欠損症」とみなすことで保険適用にしている場合があるとのことです。畑野さんありがとうございます。

こうした理由から、貯金をするために劣悪な労働環境でも我慢して働いているトランスジェンダーの人も少なくありません。

つまり、もしトランスジェンダーの人々が受ける医療サービスが保険適用となったら、当事者や周囲にとって経済的負担や心理的負担が軽くなるだけではなく(それだけでも素晴らしいことですが)、トランスジェンダーの労働問題も大きく向上する可能性があるということです。

ぜひこの方向で進めてもらいたいと思います。

刑務所のLGBT問題にも言及してるのねビックリしたよ

政府に対する具体的な要望案には、上記保険適用のほかに「警察、消防、刑務所、災害時の避難所において、性的指向・性自認に関する理解促進を進め、当事者に対して適切な対応がとられるよう必要な措置を講じること」が含まれています。

東日本大震災以降「LGBTと災害」についての言説が急激に増えたこともあり、ここに「災害時の避難所において」と書かれていることにはあまり驚きませんでした。

一方で「刑務所」が含まれていることには、とても驚きました。

日常使うトイレにはじまり、刑務所や病棟、収容所など、社会には男女別に区切られた空間というのが多くあります。トランスジェンダーの人々にとって苦痛であるばかりか、特に隔離された刑務所などはLGBTにとって性暴力や性的嫌がらせの対象となるリスクの高い場所です。

刑務所において理解の促進と適切な対応が必要であるという認識を自民党が持っているということは、私にとっては期待以上、予想外のことでした。

一方で、更にここにオーバーステイの外国人などを収容している収容所なども明記して欲しいところです。しかし上で書いたような「女性差別は温存、むしろLGBT支持を利用して女性差別を温存」みたいな構図は、「外国人差別は温存、むしろ(以下略)」「難民差別は(以下略)」「障害者差別は(以下略)」などなど、色々な場面に登場するやり口です。(この点については、上智大学のワークショップで「わたしの〈クィア〉とあなたの〈クィア〉は違う:グローバルでないドメスティックなクィアの不可能性」と題して発表した通りです。)

何か他の差別の温存・強化とのバーターでLGBTへの施策が行われている可能性については、特にこれからLGBTの社会運動に携わる人々にとっては、常に警戒心を持って頭に入れておかなければならないことです。特に今回のように本来は保守的なはずの政治家などがLGBTに擦り寄るようなことを言ってきたときには、相手が何を言っているのかだけではなく、何を言って「いない」のかについても、注意深く観察する必要があります。

信教の自由の観点から配慮って、自分らもベッタリじゃん

これまた但し書きみたいな感じで、「宗教により、性的指向や性自認に関し一定の見方が存在することに対しては、憲法に保障された信教の自由の観点から、配慮が求められる」と書いてあります。

えっと、日本会議の会員リストアップしてみる…?

何が言いたいかというと、自民党と宗教右翼ってものすごく密接な関係がありますよね、ということです。

もちろん信教の自由は大切なんだけど、ここで言われている「配慮」が何を指すのか、どこまでの自律性を認めるのかというのは、すごく注意して見ていないと危ないと思っています。

まとめ

率直に感想を言うと「意外と悪くなかった」でした。

ここまでで書いてない不満といえば、「戸籍ぃ!? そんなん無い人だっているんだけど」とか、「外国人観光客も増加するしみたいな話は心の中にしまっておけよ」とか、「『わが国』とかキモい」とか、「性分化疾患に何度も言及してるくせに当事者の困難とか全く触れないんだね失礼極まりないですね」とか、「性的指向や性自認は自分が選ぶものではないってわざわざ書いてるけど、それを根拠にしたらダメじゃん」とか、そんな感じでした。

でも「カムアウトして生きて行きたい」と思っている人たち(主にLGBだと思いますが)や差別禁止法に賛成の人たちからしてみれば、クソみたいな文書としか思えないだろうなと思います。

それに、私が「意外と悪くなかった」と思った理由は上で説明した通り、恐らく自民党の委員たちの思惑とは遠く離れたところにあるので、実際にこの文書をもとに何かが実行され始めたときに私がそれを望ましいと思うかどうかは分かりません。(たぶんダメだろうな)

ただ、1つだけ言えるのは、この文書にある「現行制度の中で改善しよう」という姿勢は、私は個人的に好きだということです。

何か新しい法律、何か新しい団体、何か新しい財団、何か新しい施策、何か新しいビジネス、何か新しい(以下略)というのは、やってる人は楽しいし、利のある場合も多々あると思うのですが、米国の例なんかを見ていても、成功したとしてもシンボリックな勝利に終始する傾向があります。

シンボリックな勝利というのは、シンボル、つまり象徴としての勝利です。実際に何か当事者にとって大きなメリットが現実に発生するのではなく、あるいはそうしたメリットよりも重要なものとして、「勝ち取ったぞ」という社会に対するメッセージが価値を持つような勝利のことです。

シンボリックな勝利は人々の価値観の変化に貢献することもありますので、無価値ではありません。でもここ10年くらいの米国でのLGBT運動は主にシンボリックな勝利への執着心が増大した時代でした。

私はLGBTQ差別の解消だけではなく、女性差別の解消、外国人労働者やセックスワーカーの生活状況の向上に大きな関心があるので、自民党には全くと言っていいほど何の期待もしていません。下手に動かれても逆に色んな差別が強化されるんじゃないかという不安もあります。

また、「現行制度の中で改善しよう」という姿勢だって、現状維持の根拠に使われることが多々あります。私は何なら婚姻制度は廃止すべきだと思ってますし、天皇制ももういい加減にしてくれないかと思ってます。

でも婚姻制度を廃止する前に、廃止しても困る人が出ないように外堀を埋める作業が必要で、それは社会保障や難民認定や滞在権や医療機関や労働環境における現行制度の中での改善を意味します。そして、同性婚という新しい制度を導入するよりも、現行制度の中での改善を通して婚姻制度を形骸化して最終的に廃止を目指すというこの道筋は、本当に救われる人が多い現実的に意味のある道だと思っています。

(天皇制については、ごめんなさいよくわからないんですけど、すぐにでも廃止でいい気がします。)
(あ、でも廃止前にちゃんと天皇から元植民地の人たちや元植民地出身の人たち、その他多くの犠牲者に対する謝罪が必要ですね)

というわけで今回の文書は、自民党の思惑とは恐らく大きく外れたところで、ですが、予想ほどのダメさではなかったなと思いました。

もちろん「じゃあ自民党さんよろしくね」とは1ミリも思いませんけど、逆に他の政党には期待できないような良いところもあったりするなーと。他党も社会運動に携わる人も、参考になるところはいくつもあるんじゃないかと思います。

【全文】現代思想2015年10月号掲載『排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動の欺瞞』

この文章は『現代思想』(青土社)2015年10月号「特集=LGBT 日本と世界のリアル」に掲載された文章を、筆者自身の手元にある原稿データを基にウェブ用に体裁を整えたものです。同号の目次を写真で出していますので、現在のLGBTやクィア関連の多岐にわたる論点が示されている他の執筆者の文章も合わせてご覧くださいますよう、よろしくお願いします。Amazon等で購入もできますが、大きな図書館にも所蔵されているはずです。

2016.5.24 解説記事を書きましたので、もし本文の文体が合わない、読み進めづらいという人がいたら、ぜひ以下の解説記事をご覧になってみてください。
『現代思想』原稿を解説してみた(その1)
『現代思想』原稿を解説してみた(その2)

全文

 同性愛者権利運動にとって、あるいは自らその名を裏切るかのようにBとTを暗に、そして時に明確に排除する「LGBT運動」にとって、同性婚は不可欠な目標としてその思想的、政治的な視界の中心的な位置を占めてきたと言えるだろう。しかしこの政治的傾向——米国で同性婚推進を掲げる大手団体がエイズ危機のあと1990年代半ばから頭角をあらわし、2013年には同性愛者に関する社会運動体として最も多くの資金を諸基金から受け取るようになっていたことに象徴される現在のこの政治的流行——には、たった20年の歴史しかない。

 振り返れば、1966年のコンプトンズ・カフェテリアの反乱、1969年のストーンウォール・インの反乱と、それまで同性愛者やトランスジェンダー注1を抑圧していた警察権力への抵抗が始まり、のちにエイズ危機を迎えることで社会的に望ましくないとされる者注2を明確に差別する政府や各種機関への抵抗と政治的要求注3が強まったあと、私たちがこの20年間で観測したものは、性に関する社会運動の急速な主流化と保守化、そして資本主義によるその取り込みであった。この現実的な歴史を直視し、その内部に同性婚推進運動を位置づけることで見えてくるのは、排除と忘却に支えられた、グロテスクな世間体政治 respectability politics に陥った今日(こんにち)の「LGBT運動」の姿である。

注1: この時代の当事者を現在流通している認知的カテゴリーで表現するとこの二つに分類される可能性が高いという意味である。

注2: 主にHIV感染率の高かった薬物使用者、セックスワーカー、ホームレス、同性愛者などを含み、その多くが有色人種であった。

注3: 皆保険、薬品研究への助成金、薬品の承認などを求めつつ、各種セーフティネット削減政策への抗議などを行っていた。

LGBT運動の主流化、保守化、資本主義との親和性

 名ばかりの「LGBT運動」、すなわちその内実は同性婚推進を中心に据えるような同性愛者中心の運動であるものが米国において主流化され、それと反比例するかのようにローカルな場や具体的な支援の場におけるLGBT運動が過去20年のあいだに衰退してきたという事実は、性に関する政治の歴史上の汚点として将来振り返られることになるだろう。同性婚推進運動の発展に伴い、HIV・エイズ関連の団体やLGBTの若者を支援する団体などへの資金が削減され、閉鎖に追い込まれたり枯渇した資金で最小限の運営を余儀なくされているという事実がある注4。ニューヨーク市を拠点とし幅広い言論活動及びLGBT貧困者やホームレスの支援活動を行っていた Queers for Economic Justice が2014年に資金の枯渇から一部の機能を残して閉鎖したことは記憶に新しい。こうして、急速に支援者を獲得し資金源を拡大して行った同性婚推進運動の裏で、無数のLGBT運動の担い手が資源を失って行った。

 同性婚推進運動の発展に伴うLGBT運動の主流化がもたらしたものは、こうした社会運動に必要な資源の独占化だけではなかった。ここでは、文化的な側面としての運動の保守化、そして物質的側面としての資本主義との親和性の二つを指摘したい。

注4: Conrad, Ryan. “Against Equality, In Maine and Everywhere.” The Bilerico Project. November 30, 2009. Retrieved September 8, 2015. Available here.

LGBT運動の保守化

 2010年以降の米国政治において、同性婚は積極的に右翼的な色合いを帯びて行った。地方政治において同性婚を合法化する動きに共和党員が賛同したり注5、共和党員であるジョン・ハンツマンが自由市場、機会の平等、小さな政府、家族的価値観といった保守的な観点から同性婚推進を訴える注6といった事態まで起きた。また、日本でも公明党がその公約において「性的マイノリティの人々が暮らしやすい社会の構築」を掲げたり、自民党内部で「性的マイノリティに関する課題を考える会」が発足したり、日本維新の会(当時)の議員がLGBTの就職差別について委員会で言及したりと、LGBTに関する保守派の政治家からの擦り寄りが始まっている注7。さらに、2013年には「同性でも婚姻制度を適用できるようにすべきだ」と日本維新の会が政党として唯一明言したことも特筆に値する注8

 「LGBT運動」と保守思想との近接がもたらす危険性のひとつは容易に思いつくだろう。LGBTの性のあり方を含む性の規範が—— Gayle Rubin が1984年の論文 Thinking Sex において指摘したような——一対一の恋愛関係にある同世代異性カップルが婚姻関係の中でSMプレイをするわけでもなく道具もポルノも使わずに家庭内で無料で行うような生殖行為でもある性的行動を標準と定めるような保守的な価値観を一切脅かすことなく、ほんの少しだけ違うものとして、差異を矮小化され取り込まれてしまうことである。日本の保守派の現首相・安倍晋三も、一方では同性婚に消極的な発言をしていながら、前年2014年に開催された第3回東京レインボープライドには配偶者である安倍昭恵が参加し話題となった。さらに安倍政権下の観光局が主催した Japan Week(2015年)では、海外からカップルを日本に招待する企画で最終選考にレズビアンカップルが残されており、同局が開催したグランド・セントラル駅でのイベントでこのカップルが伝統的な白無垢と打掛を着て写真撮影を行っている注9。また、同局からは国際ゲイ・レズビアン旅行協会の国際会議に代表者が出席している。

 「LGBT運動」と保守思想との近接がもたらすふたつめの危険性は、人種差別や植民地主義、外国人嫌悪、移民取り締まり、ジェンダー化された社会支配、及び私財の保存と不均衡な分配を維持するための道具として機能してきた歴史を持つ婚姻制度の正当性を一切脅かすことなく、むしろそれに加担してしまうことである注10。これは、「主流化」と言ったときの「主流」という言葉が何を指し示しているのかを考えれば明白なことだ。つまり米国においての「主流」とは、非ヒスパニックの白人であり、植民支配する側の人間であり、米国民であり、男性であり、私財を持つ、そういった者を中心に構成されているということである。
 2011年7月24日にニューヨーク州で同性婚が合法化された際、その約20%が同性愛者やトランスジェンダーであるとされる若年ホームレス注11に対する福祉サービスの州予算が削減されていたことが分かっている注12。2013年6月25日に米国最高裁判所が結婚保護法(Defense of Marriage Act [DOMA]、州レベルの同性間の婚姻は他の州や連邦政府によって認知されないとする連邦法)を違憲とする判決を出し、全国的に同性婚を異性婚と同等の権利義務関係として認めたが、この前日には投票権法(Voting Rights Act [VRA] of 1965、マイノリティが投票の権利から疎外されないよう、投票に関する州法の成立には司法省による事前の承認が必要であると定めた連邦法)も違憲であるとの判決を出している。これによって、選挙区の再設定などを通して黒人のコミュニティを分断し、個々の選挙区内の黒人の人数を減らすことで有色人種や民主党員の候補者に票が集まらないようにするような差別的な州法の制定は実質的に可能となった。ほぼ同時に出されたこの二つの違憲判決の報道は瞬く間に米国内を駆け巡り、有色人種のLGBTを中心に多くの市民の怒りを買った。
 日本においても「LGBT運動」の主流化に伴い何が「主流」を構成するのかが明らかになりつつある。前述の「性的マイノリティに関する課題を考える会」の発足に尽力した自民党員四名は政策として生活保護の現物支給化と軍事力の強化を掲げており、うち二名は健康保険適用範囲の縮小を明確に訴えている注13。2013年9月1日には大阪市淀川区が「LGBT支援宣言」を公開したが、この宣言成立の中心人物である榊正文区長は区長選立候補の際に提出した論文において、生活保護受給者が地域社会において「なんらかの役割」を担うよう施策を検討すると公言しており、例として「地域ボランティア活動の義務付け」を挙げている注14。2015年3月31日には渋谷区が「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」を可決した。これは、任意後見契約や準婚姻契約書などの公正証書を区に提出した同性カップルに、区がその関係性を証明する証明書を発行するというものだ。この時も、2010年に区立宮下公園が「ナイキパーク」として新たに整備される際に区とナイキジャパンの仲介をし、公園整備におけるホームレスの強制排除の積極的推進をした長谷部健区議がこの条例策定の中心人物であることが明らかになり、その理念的な矛盾が露呈した注15
 さらに今年2015年、日米両国において同性カップルの社会的地位は目まぐるしく——おそらく良い方向に——変動した。一方でそれと並行するかのように、男性による男性向けの性労働に関する警察権力の介入が目立った年としても後年記憶に残るだろう。渋谷区の条例施行から約三ヶ月後の2015年6月26日、米国最高裁判所で争われていた Obergefell v. Hodges の裁判において、全ての州が同性婚を実施し、他の州で実施された同性婚を認知することを要求する積極的な判決が出された。同年7月29日には渋谷区に続き世田谷区が区長の権限内で独自の支援を実現する見通しを立てた。一方でこの二日前、ゲイ男性向け風俗店の最大規模を誇るチェーンの店長が、16歳を従業員として雇い使用していたとして児童福祉法違反(児童淫行)の容疑で逮捕されている。これまでほぼ黙認されてきたゲイ男性向け風俗店が警察権力の介入を受けたことは将来歴史の転換点として語られるようになるだろう。その約一ヶ月後、8月25日には米国の男性による男性向け風俗サイトの最大手 Rentboy.com が突然の摘発を受け、 CEO を含む7名が売春斡旋等の容疑で逮捕された。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが売買春の非犯罪化を提言していたことが大きく話題になった直後の出来事だけに、LGBTコミュニティには大きく衝撃を受けた者が少なくなかった。その翌日には、日本の男性衆議院議員が出会い系サイトで出会った19歳男性に金銭を支払って性的関わりを持っていたことが報道された。違法ではないにせよ議員の性的モラルが疑問視される中、この話題性に便乗して自らの活動を宣伝するLGBT活動家、議員のプライバシーを軽視する発言をしたゲイ・ジャーナリスト、Twitter に「せっかくLGBTの認知度が上がってきてるんだから、印象悪くしないでよ」という当事者の声があがるなど、コミュニティが分裂する様が当事者自身によって印象付けられて行った注16
 2015年のこうした一連の出来事を異様だと感じない読者は、LGBTの運動史が性労働者の運動史と大きく重なり合っているという事実を知らないか、深く理解していない可能性がある。1969年のストーンウォール・インの反乱を同性愛者の歴史の始点であるとする認識が一般に広まっているが、まずそこにトランス女性の存在が強くあったということを私たちは思い出さなければならない。そして、その3年前の1966年にはサンフランシスコでコンプトンズ・カフェテリアの反乱があり、警察権力に果敢に立ち向かったトランス女性たちがいたこと、彼女らの活躍によってサンフランシスコに住むトランス女性の生活が著しく向上したことを思い出さなければならない。その上で、LGBT当事者も含めて圧倒的大多数の人々が忘れている事実——すなわちこのどちらの反乱においても、抵抗に携わったトランス女性とゲイ男性のほとんどが性労働者だったという事実——を、思い出さなければならない注17

 英語に "respectability politics" という言葉がある。「世間体が良いこと」を意味する "respectability" に「政治」 politics をつなげた言葉であり、差別への抵抗において、非差別集団がいかにまっとうな人間であるかを説明する形で差別解消を訴えるような政治活動のやり方を指す言葉だ。社会運動の主流化は、一般に想定されるような「主流」と定められる特定の人々のあり方——まっとうさ——に寄り添うことであり、それはLGBT運動の主流化においては、あたかもLGBT当事者やその大切な友人、家族に生活保護受給者や受給有資格者、外国出身者、ホームレス、人種マイノリティ、言語マイノリティ、性買春者、性労働者、そして医療費の自己負担分の拡大に打撃を受ける者が存在しないかのように振る舞い、「LGBT」差別以外の差別への抵抗を放棄することであり、結果的に Gayle Rubin の指摘する性の規範のあり方を再強化し、周縁に追いやられている人々を置き去りにしてしまうことなのだ。

注5: Dobbs, Bill. “Gay Marriage Is a Conservative Cause.” The New York Times. April 16, 2012. Online version. Retrieved September 8, 2015. Available here.

注6: Huntsman, Jon. “Marriage Equality Is a Conservative Cause.” The American Conservative. February 21, 2013. Online version. Retrieved September 8, 2015. Available here.

注7: 明智カイト, 遠藤まめた. 「日本におけるLGBTの法整備の動き」『シノドス』2013年7月19日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

注8: レインボープライド愛媛. 「回答 2013参議院選挙 政党別(その1)」『性的マイノリティに関する政策調査プロジェクト(愛媛)』2013年7月12日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

注9: Hinzmann, Dennis. “Japan Is Working Hard to Attract Gay Travelers.” Out. February 24, 2015. Retrieved September 8, 2015. Available here.

注10: Spade, Dean and Willse, Craig. “Marriage Will Never Set Us Free.” Organizing Upgrade. September 6, 2013. Retrieved September 8, 2015. Available here.

注11: Krehely, Jeff and Hunt, Jerome. “Helping All of Our Homeless: Developing a Gay- and Transgender-Inclusive Federal Plan to End Homelessness.” Brief. Center for American Progress. January 31, 2011. Available here.

注12: Stewart-Winter, Timothy. “The Price of Gay Marriage.” The New York Times. June 26, 2015. Online version. Retrieved September 8, 2015. Available here.
※この文献の詳細が抜けていました(『現代思想』でも抜けています)。コメントでご指摘くださった方に感謝します。

注13: マサキチトセ. 「生活保護とクィア」『シノドス』2013年6月2日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

注14: マサキチトセ.「『LGBT』フレンドリーなら何やってもいいのか?」『包帯のような嘘』2014年5月2日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

注15: Matsumoto, Masaki C. “News: ‘Same-sex Partner Code Proposition: Shibuya Ward’s ‘Human Rights’ Double-Standard?” Gimme A Queer Eye. March 11, 2015. Retrieved September 8, 2015. Available here.

注16: マサキチトセ.「同性カップルとゲイ売春:『せっかくLGBTの認知度が上がってきてるんだから、印象悪くしないでよ」『包帯のような嘘』2015年8月27日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

注17: Kinkaid, Hawk. “How Sex Work Got Us This Far In Gay Liberation.” Tits and Sass. July 29, 2015. Retrieved September 8, 2015. Available here.

LGBT運動の資本主義との親和性

 欧米諸国においては、プライドパレードやLGBTイベントが著しい商業化を経てその歴史的経緯や蓄積、意味を見失いつつあることに加え、いわゆる「ゲイタウン」と呼ばれる区域の中流階級化、白人化も各地で進んでいる。地代の高騰や区画整理、再開発などによって元々そこにいた人々が追いやられ、地元のネットワークや文化から切り離された貧困層や有色人種のLGBTや友人、家族が路頭に迷うか、かろうじて都市部の隅の団地に落ち着くころ、綺麗に再構築されたゲイタウンの街並みは富裕層や観光客を呼び寄せ物価をさらに高騰させて行った。こうしたことの背景にあるのは、裕福な白人ゲイ男性による人種差別的意識や貧困層への蔑視だけではない。LGBT当事者の、自分が受けている差別を解消したい、より安全な街に住んだり出入りしたりしたい、LGBTである自分や仲間を大げさに——これまでの人生において、あるいは普段生活している環境において地に落とされている自尊心の補填をするかのごとく大げさに——祝福する機会を持ちたいといった純粋な思いもまた、そこにある。
 一方で、それにつけ込むかのように資金を餌にLGBTコミュニティに対する発言力や販売力を持とうとする政治家や資本家がいるのも事実だ。米国においては、同性婚もまた、その道具として非常に有用だった。米国において多くの企業や経営者、政治家が同性婚を支持する意見を公表し始める頃には、すでに大手「LGBT」団体の宣伝活動によってそのお膳立ては済んでいたと言える。勇敢な一部の人々を除いて、ほとんどは、同性婚支持を表明することが何かしらのイメージアップに繋がるような文化的状況が形成されたあとに便乗した者たちだ。自身のブランディングに有用だと判断した企業や政治家がこぞって我先にと同性婚支持を表明し出したこと、そしてかれらの欲望を適度に刺激し続けることで「LGBT」団体が資金や支援を獲得してきたことは、日本における状況、すなわち各業界が「LGBT産業」に参入しつつある中で「アライ」(自身は当事者ではないが、仲間として当事者を理解することを志向する人々)の需要に応えるために——あるいはそれを刺激するかのように——当事者側から研修やガイダンスを商品として供給する「アライ産業」が小規模ながら形成されている状況と、似た構図を持っていると言えるだろう。

 こうして米国の大手「LGBT」団体と企業や政治家が結託した同性婚推進運動は、互いが利用し合いながらもなぜか三者が全て利益を得る不思議な関係を作って行ったが、かれらの利益は降って湧いたものではない。大手「LGBT」団体はLGBT当事者や仲間からの支持と寄付金を獲得し、小規模団体とは比較にならないほどの莫大な資金を企業や政治家から得ることになった。企業はLGBTフレンドリーなイメージを打ち出すことでLGBT当事者や仲間から自社商品の対価を獲得し注18、政府による優遇を受け注19、大手「LGBT」団体への影響力を増して行った。さらにかれらが消費者からの支持を受けやすいよう、大手「LGBT」団体は企業のLGBTフレンドリーさに関する格付けを公表している。また、政治家は政策に同性婚支持を含めることでLGBT当事者や仲間、企業や団体からの支持と票、寄付金、ひいてはその帰結として議席を受け取ることで政治力や経済力を獲得し、大手「LGBT」団体への影響力を増すとともに、比較的保守層に寄り添う他の政策や主張からリベラル層の関心を逸らすことができるようになった。このように三者がそれぞれ利益を得るような政府-私企業/基金-社会的団体の蜜月関係を、非営利産業複合体 the non-profit industrial complex と呼ぶ。
 非営利産業複合体がどのようにして三者に利益をもたらしているかは、前段落の解説に登場する第四者の存在を認識することで容易に把握できる。つまりそれは、LGBT当事者やその仲間たちの善意の行為や苦渋の決断によってもたらされているのだ。かれらから永続的に吸い上げられたものが非営利産業複合体内部に常に供給されることで成り立っているのが、この同性婚推進運動である。

注18: 実際に同性愛者の購買状況調査によると、同性愛者にフレンドリーだと思われる企業の商品やサービスは、多少他の企業の商品よりもコストが高くとも、購入される可能性が高い。 See Melloy, Kilian. “Gay Consumers See Themselves as Tastemakers, Prefer Gay-Friendly Companies, Says Study.” Edge Media Network. May 13, 2008. Retrieved September 8, 2015. Available here.

注19: 2014年7月、バラック・オバマ米大統領の大統領命令により、連邦政府と取引のある企業が(人種や性などすでに対象となっていたものに加え)性的指向や性自認に関する差別的取扱いをすることを禁じた。 See Crockett, Emily. “Obama Signs Executive Order Banning LGBT Discrimination in Federal Contracts.” RH Reality Check. July 21, 2014. Retrieved September 8, 2015. Available here.

同性婚推進運動の欺瞞

 同性婚推進運動の非営利産業複合体を形成する政治家、企業、大手「LGBT」団体は、かれらの利益がLGBT当事者や仲間から吸い上げたものであるという事実に当然気がついている。それゆえ、かれらは膨大な労力をかけて同性婚推進運動をLGBT当事者と仲間にとって見かけ上魅力あるものに仕立て上げる必要があった注20。同性婚推進運動が全ての同性愛者にとって有意義なものであり、同性婚の実現はLGBT、少なくともLGBにとって大変多くの利点を持っているという考えは、同性婚推進運動の担い手が過去20年のあいだLGBT当事者や仲間を含め大多数の人々に信じ込ませてきた迷信である。この迷信のために持ち出されたのは、これまで同性パートナーを持つ人々の多くがアクセスを阻害されてきた病院における面会権、医療行為に対する同意権、配偶者関連の移民ビザ、相続権、扶養義務、福利厚生に関する法的扶養権などであった。これらの権利や恩恵への需要は非常に高く、それゆえにLGBTコミュニティやその仲間たちには同性婚推進運動を支持する者が多い。一方で、全く同じ理由から同性婚推進運動の危険性に警鐘を鳴らす者も少なくない。同じ現状認識から全く逆の結論に至る者がいる背景には、婚姻制度というものが現状どのような役割を担っているのかについての異なる認識がある。

 婚姻制度へのアクセスを市民の権利と認識する人々は、しばしば同性婚を、LGBTが直面する様々な困難を解消する万能薬のように語る。性的マイノリティが直面する健康問題については、同性婚を実現することで同性パートナー同士で保険の扶養ができるようにするべきだと言う。外国出身の性的マイノリティが直面する移民排斥や差別的取り扱いについては、米国民である同性パートナーと同性婚できるようにすることで滞在権を与えるべきだと言う。同性カップルを含めた家族的なつながりを持つ家族やトランス当事者を含む家族のあり方に対して国家や制度、その他の人々が介入し、しばしばそのコミュニティのつながりを分断しようとすることについては、同性婚を合法化することで親としての同性カップルの法的地位を合法化すべきだと言う。制度によってその家族的つながりを認知されないがゆえに病院における面会や相続の権利から阻害されているLGBTの直面する問題については、同性婚を実現することで法律上の認知をすべきだと言う注21
 一方で、これら性的マイノリティが直面している問題は既存の社会制度の欠陥によって生まれているという認識を持つ論者の多くは、同性婚によってこうした制度上の欠陥が温存、強化されると警鐘を鳴らしている。かれらが代わりに具体的に求めているのは、皆保険、トランスの人々が必要とする医療の健康保険適用、刑務所や収容所における医療ネグレクトの解消、移民搾取の根源的原因である南北格差の解消、安全の名の下に正当化される監視社会や人種プロファイリングの解消、理想の家庭像からこぼれ落ちる家族のあり方(貧困、親の収監、先住民や有色人種であること、障害を持つ家族がいることなどで、家族や子供の福祉に関する諸制度によって介入の標的とされている家族)の尊厳と自律性の回復、医療の現場におけるあらゆる親密な関係性の認知度向上、そして富の再分配の促進である注22

 後者の視点からは、同性愛者やLGBTといった言葉が指し示す対象よりも広範に渡って浸透している制度上の不平等こそが問題であり、解消されるべきことがらとして認識される。
 結婚保護法が違憲判決を受けた2013年6月以前から、オバマ政権は同性パートナーの病院での面会権を認めるよう行政の権限内で求めていた。この動きには、患者本人の意思によって面会や医療上の同意をすることが出来る人を選ぶような、より大きな自由の獲得への道を開く可能性があった。この権利に関する言及を積極的に同性婚推進のレトリックに含めることで、同性婚推進運動はこの権利を配偶者に限定することに加担した。
 また米国には米国市民や永住者の配偶者や婚約者に付与されるビザ、日本には日本人や永住者の配偶者に付与されるビザがあるが、これらはいずれもその根拠となる配偶者の滞在権より不安定な在留資格であり、他の在留資格への切り替えも困難なため、継続して滞在するためには婚姻関係も——それが暴力や経済的支配を伴っていたとしても——継続しなければならないという状況がある注23。移民運動においては法的地位の安定化や搾取労働からの自由を獲得するための闘争が続いているが、米国の同性婚推進運動はこれに参加することなく、むしろ同性パートナーの移民の合法化を同性婚の大きな利点であると宣伝することで移民の自由を米国市民の配偶者に限定することに加担した。
 次に相続権についてだが、民法896条には「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」とある。自分が相続の対象であると知った日から三ヶ月以内に、一切財産を処分していない状態で相続放棄あるいは限定承認の申告を家庭裁判所に対して行わなければ、全ての財産と債務が降りかかる。事務手続きの煩雑さや法律の周知不足もあり、多くの場合三ヶ月後に自動的に成立する単純承認、すなわち財産と債務全ての相続が成立する。婚姻関係の利点であるはずの相続は、ある日突然生活の脅威に変わる可能性を持っているのだ。富の再分配が不十分であり、さらに格差社会が拡大していく中、貧困に陥りる可能性が比較的高いLGBTその他の性的マイノリティに対して同性婚の利点として相続を掲げるのは詭弁である注24。同性婚推進運動がしばしば話題にした Edith Windsor のように注25、実際に相続する利点があるほどの財産を保有しているごく一部のLGB当事者にとっては確かに利点があるだろう。それを、少数のLGBTの成功者が世に名を馳せる時代に生きる当事者が自分にもそれだけの財産を保有するポテンシャルがあるという上昇志向的幻想を持ちやすくなっているところにつけ込んで、あたかもLGBTあるいは少なくとも同性愛者の全体にとっての利点であるかのように宣伝したことは、LGBTコミュニティに対して同性婚推進運動が行った詐欺行為であったと言える。
 最後に生活上の扶養義務や福利厚生における扶養権についてだが、異性カップルにせよ同性カップルにせよ、その関係を構成する少なくとも片方が健康保険や厚生年金などに加入できる就労状況にあって経済的に安定しているという想定はもはや幻想である。2010年の東京プライドパレードで唯一女性中心で構成されたフロートのテーマが「マリアージュ」(結婚、婚姻、結婚式などを意味する)であることを知ったクィア系ウェブサイト・デルタGの運営者ミヤマアキラは、当日のフロート内での抵抗運動を企画した。女性の賃金が不当に低く維持されている現代日本社会においては「貧乏な女同士がカップルになったって生活は不安定のままのはず」とし、スローガンのひとつに「結婚はビンボーのはじまり!」を掲げた注26。事実その大半を女性が占め、外国人労働者の搾取の現場にもなっている非正規雇用の実態とその止まらない拡大、それに加えて労働基準法や派遣法、その他労働者保護に関する規制に従わない「ブラック企業」や、制度の網目をかいくぐるグレーゾーンの実態、そして労働力への需要の増減に伴って入管法など諸制度を恣意的に運用する日本政府のあり方を踏まえれば、現代日本において安定した在留資格(日本国籍を含む)を持って社会保険に加入し十分な収入を得ることは極めて特権的なことであることが分かる。こうした傾向は、皆保険が無く貧困問題が極めて深刻な米国ではさらに顕著である。結婚がセーフティネットになるという幻想が眼前で崩れ去っていく中、同性婚推進運動はその幻想にしがみつき、あたかも健康保険や年金制度へのアクセスを同性婚が保証するかのように誇大に喧伝してきた。

 以上、同性婚によってもたらされるとされている権利や恩恵は、人が生きる上で必要不可欠のものばかりである。しかしすでに婚姻制度によってそれら権利や恩恵が与えられているはずの異性愛者が事実そうしたものへのアクセスを保証されているわけではないということは、同性婚推進運動の欺瞞を明らかにしていると言えるだろう。

2018.3.21追記:日本の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」が2018.3.14に改訂されました。そこでは「家族」が「家族等」という表記に変更され、また資料の解説編には「家族等とは、今後、単身世帯が増えることも想定し、本人が信頼を寄せ、人生の最終段階の本人を支える存在であるという趣旨ですから、法的な意味での親族関係のみを意味せず、より広い範囲の人(親しい友人等)を含みますし、複数人存在することも考えられます」と明記されました。
2018.3.22追記:遠藤まめたさんによると、2008年のこのガイドライン策定時に既に注釈において「家族とは法的な意味での親族だけでなく、患者が信頼を寄せている人を含む。なお、終末期を想定して患者にあらかじめ代理人を指定してもらっておくことが望ましい」と表記があったとのことです。

注20: その点で言えば、ナイキジャパンの宮下公園再整備を「企業は宣伝になるし、渋谷区はやっぱり税金を使わないで今度は公園が整備できた」と評し、「次の街づくりのキーワードはダイバーシティで、パラリンピックが日本に来たら、それが普通になるかもしれないですね。LGBTの人なども、うまく活用できないかということも考えています。」と語る長谷部健渋谷区議は、こうした非営利産業複合体の内実を悪びれることなく詳らかにしており、貴重な存在かもしれない。
See 「『丸の内朝大学』×『地球大学』=丸の内で考える賢いからだ! 為末大さん、細川モモさんを迎えてスタート!」『エコッツェリア』2012年11月12日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

注21: Basichis, Lee and Spade, Dean. “Building an Abolitionist Trans & Queer Movement with Everything We’ve Got.” Captive Genders: Trans Embodiment and the Prison Industrial Complex. Eds. Stanley, Eric A. and Smith, Nat. AK Press: Oakland. 2011. Available online here.

注22: Basichis, Lee and Spade, Dean. Ibid.

注23: マサキチトセ.「同性婚実現のその先に向けて」『包帯のような嘘』2013年7月25日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

注24: マサキチトセ. 2013a.

注25: Nair, Yasmin. Ibid.

注26: ミヤマアキラ. 「女子フロートのテーマが『マリアージュ』だと?」『デルタG』2010年8月11日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

官製の弱者ビジネスとしての婚姻制度

 米国の同性婚推進運動の非営利産業複合体の欺瞞が繰り返され、世論がそれに追従したことには、もう一つ大きな利点があった。それは、社会の諸制度の抜本的な改革を保留したまま無期限に延期するために、同性婚の実現がガス抜きの効果を持ったことである。
 婚姻制度は、既存の社会制度の差別性を利用・援用することで成立しているばかりか、それに便乗し、維持、強化している。つまり、異性間、同性間を問わず婚姻制度が持つとされる利点とそれへの需要は、社会の諸制度が婚姻しない者の生活を困難なものにしているということ、すなわち他の社会制度が持つ欠陥によって、生み出されているということだ。難民認定を含め在留資格の認定に消極的な移民排斥政策、規制緩和が進む労働者保護政策、規制が厳格化されてゆく社会保障政策、大企業の税制優遇政策など、様々な制度が、市民ひとりひとりの個人としての生活を圧迫している。そうした状況があるからこそ、上で見たような婚姻制度の利点が利点として説得力を持ち、実際にそれを期待して多くの異性愛者が婚姻制度を利用している現状がある。
 社会的差別の対象となる、あるいはそうなる可能性の高い人々にとって、配偶者関連ビザの発給や、福利厚生の扶養、セーフティネットとしての機能、相続権などが揃った結婚は、魅力的なパッケージ商品である。米国政府はこの商品を異性カップルと同性カップルに、日本政府は異性カップルに提供しているが、同時にそれに対する対価を十分に受け取っている。なぜなら、より良い形のビザの発給、充実した福祉、就労制限の撤廃、福祉利用者バッシングへの効果的な対策、国や自治体の事業や委託事業における労働条件の改善とそれに伴う行政サービスの向上、より効果的な労働者保護政策、健康保険料の引き下げ、年金受給要件の緩和など、諸制度の改革には莫大なコストが必要となるが、結婚というパッケージ商品を提供することで、そのコストを支払わず、あらゆる責任を家族という私的領域に押し付けることが可能になっているからだ。
 こうして政府の責任放棄、私的領域への責任転嫁、ひいては小さな政府を志向するリバタリアニズムやネオリベラリズムの道具として重宝されている婚姻制度を利用する利点は、実際には一部の恵まれた人々にとってしか現実的なものではないにもかかわらず、すでに社会的に弱者の位置に追いやられている人々によってより切実に意識される。婚姻制度が官製の弱者ビジネスたるゆえんはそこにある。

※上段落は『現代思想』掲載版にあった脱字を修正してある。

 一方で、こうした現状認識は同性婚推進運動に懐疑的なLGBT当事者や仲間に必ずしも共有されてはいない。同性婚推進運動の盛り上がりの中、2013年10月25日にニューヨーク・タイムズ紙に掲載された記事「(永遠の愛を誓いますかとの問いかけに対し)誓いませんと言うことを選択する同性カップルたち」には、結婚する「必要性が感じられない」、「意義がよくわからない」、結婚せよという「圧力を感じない」、「明確な利点が見えない」というレズビアン、ゲイ、トランスジェンダーの当事者の声が紹介されている。また、結婚願望を持つ人を「外部からの承認を求めている」と評する当事者の声も紹介されており、そこには、上で見たような婚姻制度と他の社会制度との共犯関係に対する批判的視点は皆無である。
 実際には、婚姻制度において最も特権を持っているのは、一般的に思われているような既婚者や異性愛者ではなく、「結婚しても離婚しても特に大きなメリットもデメリットもなく、よって好きな時に結婚も離婚もできる人たちである」注27。同性婚を異性愛者と同性愛者のあいだの「婚姻の平等」 marriage equality と言い換えた同性婚推進運動は、こうした現実から人々の関心をそらすことに見事成功したと言えるだろう。

注27: マサキチトセ.「『永遠の愛を誓いません』と言える特権」『包帯のような嘘』2014年11月12日. 2015年9月8日閲覧. ここに掲載.

結論にかえて

 同性婚の合法化はより望ましい社会への第一歩であるという主張がある。まず同性婚推進運動を通して成果を出してから、LGBTの貧困やホームレスの問題、不安定な雇用、トランスジェンダーの人々が必要とする医療の健康保険適用など、他の課題に着手する、という主張である。ここには、同性婚推進運動が社会文化的な問題を孕んでいる可能性はあっても、具体的にLGBT当事者に現実的な不利益をもたらすわけがないという思い込みと、同性婚推進運動の担い手が同性婚合法化後も社会正義のために労力を払うだろうという希望的観測がある。しかしこのどちらの前提にも信憑性がないことは、歴史が物語っているとおりだ。
 メイン州は米国内でも特に貧困が大きな問題となっているが、同州で同性婚の合法化を求める運動が起きたとき、州全体を対象に開催されたシンポジウムや投票直前に公表されたアンケートで出された圧倒的な当事者の声(約70%)は、同性婚は最優先課題ではないというものだった注28。失業にあえぎ、ヘイトクライムの被害が甚大なメイン州のLGBT等の性的マイノリティの多くは、莫大な資金が集められた同州内の同性婚推進の動きが、すでに財産や権力、地位を持った者にしか利点をもたらさないということに気づいていた。また、もとより同性愛嫌悪やトランス嫌悪の激しかったこの地域では、同性婚推進運動の盛り上がりを受け、反動的な反同性愛者・反トランスの暴力や暴言、不当な扱いが以前に増して公然と行われるようになった。
 他の州に先んじて同性婚を合法化したマサチューセッツ州やコネティカット州は、州立大学を含む多くの職場においてそれまで健康保険の扶養を認めていたシビルユニオンやドメスティック・パートナー登録のあるカップルの扶養権を剥奪した注29。さらにコネティカット州で「LGBT」団体として最大規模を誇っていた Love Makes A Family という団体は、同州で同性婚が合法化された2009年、自分たちの目的は果たしたとして閉鎖している注30。「家族」 family や「愛」 love を冠した団体名を持ったこの団体は、家族の中にあるドメスティック・バイオレンスや児童虐待の問題などに着手するのではなく、同性婚をした者の支援すらせず、ただ閉鎖したのだ。

 過去20年のあいだに、同性婚推進運動に代表される世間体政治 respectability politics が台頭した米国のLGBTの社会運動は保守化し、資本主義との親和性を強め、非営利産業複合体に牽引されるようになってしまった。かつてLGBT運動自体が生まれる土壌でもあった他の社会運動との緊密な結びつきは大手「LGBT」団体の勃興に伴って忘却され、今ではローカルで小規模な領域にしか残されていない。現在文化的に想像される括弧つきの「LGBT」の姿からは、福祉を必要としていたり、外国人労働者であったり、性労働に従事していたりするLGBT等の性的マイノリティの存在が排除されている。
 忘却と排除に支えられたグロテスクな世間体政治に陥った米国の「LGBT運動」の歴史は、すでに確認したとおり日本でも始まりつつある。日本に住む私たちは、米国ですでに明らかになっている欺瞞に目をつぶって、その複製品を作ることになるのだろうか。あるいは、歴史的な反省を踏まえ、LGBT等を含むあらゆる性的マイノリティに配慮した社会運動を作り出せるだろうか。希望は薄いが、この文章が少しでも後者の可能性を広げることになればとの一抹の願いを込めて、筆を擱きたい。

注28: Conrad, Ryan. Ibid.

注29: Nair, Yasmin. “Marry you must!: Gay marriage in Illinois.” The Chicago Reader. November 7, 2013. Retrieved September 8, 2015. Available here.

注30: Polikoff, Nancy. “Love makes a family…but only through marriage.” The Bilerico Project. April 4, 2009. Retrieved September 8, 2015. Available here.

(初出:『現代思想』2015年10月号「特集=LGBT 日本と世界のリアル」2015年9月28日発売)

2016.5.24 解説記事を書きましたので、もし本文の文体が合わない、読み進めづらいという人がいたら、ぜひ以下の解説記事をご覧になってみてください。
『現代思想』原稿を解説してみた(その1)
『現代思想』原稿を解説してみた(その2)

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