TAG セクシュアリティ

翻訳『同性婚の代償』(ティモシー・ステュワート-ウィンター)

米国全土での同性婚の権利を認めた最高裁判所決定は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのアメリカ人にとって喜ばしい瞬間をもたらした。私たちの平等な尊厳、そして異性愛カップルが享受するのと同じ法的保護を得る権利が認められたことは、公民権の歴史における画期的な出来事である。しかしこれはまた、第二次世界大戦後に始まった同性愛者の自由を求める運動にとって、最後の歌声になるかもしれない。

過去10年間にこの運動が得た二つの大きな勝利、つまりオープンに軍隊に務める権利と、婚姻する権利が実現したと同時に、女性の同一賃金や妊娠・出産に関する選択、住居や学校の分離状況、マイノリティに対する警察暴力、及び十分な賃金と、皆にとっての職と退職の保障といった、公民権の他の領域において、改善がストップしてしまったり、あるいは逆行してしまったということは、とても不運なことであった。

翻訳『結婚は私たちを決して自由にはしない』(ディーン・スペード、クレイグ・ウィルス)

近年、同性間の婚姻を認める州法が可決するたびに、同性間の婚姻の法的認知を肯定する裁判所判断が出されるたびに、政治家が同性間の婚姻を肯定的に語るたびに、革新を志向する("progressive")人々の多くは結婚を称揚してきた。一方同時に、多くのクィア活動家や学者は同性婚推進運動を厳しく批判してきた。結婚を擁護する者は時にこれらの批判があることを認め、このようなことを言う。「結婚は万人のためのものではないし、万能でもないけれど、それでも必要だ」と。

「LGBT」の反義語は「異性愛者」ではありません

少年ブレンダさんによる性の多様性のマトリクス。縦の軸が上に行くほど「規範に伝統的」、下に行くほど「規範に自由」となっており、横の軸が左に行くほど「性別が変わらない」、右に行くほど「性別が変わる」となっている。左上のゾーンがシスジェンダー、右下のゾーンがトランスジェンダー、右上が性同一性障害(性別二元論のトランスジェンダー)、左下のゾーンが性別違和(ジェンダーロールなんかイヤです)、そして中央がXのゾーン(FtX、MtXなどなど……)。全てのゾーンに渡って、ピンクの三角形やオレンジの丸、青いクローバーや藍色の四角形などが散らばっており、これらは同性愛、両性愛、異性愛などの性的指向を指している。

「LGBT」という言葉がずいぶん普及してきています。テレビでもラジオでも雑誌でもウェブメディアでも「LGBT」という言葉はそこら中に出てきます。しかし、正に「LGBT」の権利や尊厳について語るコメンテーターやライターが、「LGBT」の反義語として「異性愛者」という言葉を使いまくっていることに、とても強い違和感を感じます。
「LGBT」という言葉を使っているのに、「私たち異性愛者は…」とか「Aさんは異性愛者ですが、LGBTの友人が…」とかのコメントやナレーションが流れるテレビ番組なんか見ていると、本当に、どういうつもりなのかと思います。

『生物学的性→性自認→性的指向』という順番について

性別について、今となってはある程度の認知度を獲得しつつある「LGBT」を説明する際に、私たちは「生物学的性」「性自認」「性的指向」という概念をよく使います。

世の中一般的には、まずベースに生物学的性があって、それを根拠に生物学的性と同一とされる性自認が発達して、そしてその性自認の反対の性(異性)に性的関心を持つようになる、という論理構造が幅を利かせているわけです。この「生物学的性→性自認→性的指向」という順番、そして左のものが右のものの根拠になり、人はまっすぐにシスジェンダーかつ異性愛に導かれるはずだ、という考えは、私たちが人の性別を解釈するときに大きな偏りを生み出します。

「LGBT」フレンドリーなら何やってもいいのか?

昨年、大阪市淀川区が出した「LGBT支援宣言」がネットでも話題になった。

それ自体が悪いことではないとは思うものの、私は何となく不安を感じて、この区長の名前を検索してみた。そして見つけたのが、この論文(PDF)。これは、榊正文(さかき・まさふみ)淀川区長が区長に立候補する際の公募論文として提出したもので、大阪市のウェブサイトに掲載されているもの。

LAタイムズの小児性愛についての記事を翻訳しました

小児性愛(ペドフィリア)については様々な立場があると思います。それぞれの経験や知識から、極端ではないにせよ、何らかの強い思いがある人もたくさんいると思います。しかし一方で、小児性愛についての「LGBT」系の立場の言説が非常に少ないということに、私は不安を感じています。「LGBT」系の政治は、小児性愛を含め、その他の「性的嗜好」(と現在呼ばれるもの)から「性的指向」を区別し、後者に関する社会的言説を改善するために進められて来たという側面があります(Tもまた、内部で差別されているのですが)。いいかえると、性的「指向」は、社会的地位などの向上を認めるべき性的欲望のかたちのことを指す名前として機能しており、「嗜好」に区別される欲望は個人的な領域に押し込められてきました。

「LGBTではないフツーのひと」に かんがえてほしい10のこと

プライドパレードで手書きのプラカードを持つマサキ。プラカードには "IMMIGRANTS ≠ YOUR HOMOPHOBIC OTHER" とある。

「……な10のこと」みたいなの、ハヤリが おわったら つかえないので いまのうちに びんじょーしておこうかと おもいまして。うふ。

「LGBTでわないフツーのひと」とゆー いいかたわ、カギカッコおつけているとーり、しょーじき あまり わたしわ つかいたくない いいかたです。でも、じぶんのことお「LGBTでわないフツーのひと」と おもっているひとに、とくに かんがえてほしいことが いくつか あります。また、いちばん さいごにも かきましたが、じぶんのことお「LGBT」と おもってるひとにも、よんでほしいと おもっています。

クィア学会2013を振り返る

2013年11月9日と10日は、クィア学会の第6回年次大会だった。同時に9日には臨時総会が、10日には定期総会が開催され、学会誌『論叢クィア』第6号もその場で会員に配布された。

私は2012年度のはじめ(2012年秋)に幹事に選ばれ、それから代表幹事と名簿管理担当を兼任する形でこれまで1年間活動をしてきた。すべてを振り返ることは体力的にも精神的にも不可能だが、今回の大会、総会、学会誌について、思ったことをまとめておきたい。

婚姻制度は官製の弱者ビジネスです(松沢さんへの応答)

先日開催された『差別撤廃 東京大行進』というイベントに参加した @rinda0818 さんのツイートについて、私を含め多数の人がツイッター上で意見を交わしました。 @crowserpent さんが「反差別運動と婚姻制度の差別性をめぐって」というタイトルで Togetter というサイトにその記録をつけてくださったので、今回の一連の議論の中身を知らない人は、まずそちらに目を通してもらえたらと思います。

次に、この議論について松沢呉一くれいちさんという人が Facebook 上で意見を公開しています。松沢さんの今回の一般公開の投稿において、私の立場は「結婚という制度を批判する人たち」とひとくくりにされ、批判を受けていますが、松沢さんによる今回の議論の解釈は私と大きく異なっており、私個人の考えについては誤解もあると感じているところです。加えて、婚姻制度についての意見も松沢さんと私では全く違うので、それも含めて、応答しておきたいと思います。