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『生物学的性→性自認→性的指向』という順番について

性別について、今となってはある程度の認知度を獲得しつつある「LGBT」を説明する際に、私たちは「生物学的性」「性自認」「性的指向」という概念をよく使います。

世の中一般的には、まずベースに生物学的性があって、それを根拠に生物学的性と同一とされる性自認が発達して、そしてその性自認の反対の性(異性)に性的関心を持つようになる、という論理構造が幅を利かせているわけです。この「生物学的性→性自認→性的指向」という順番、そして左のものが右のものの根拠になり、人はまっすぐにシスジェンダーかつ異性愛に導かれるはずだ、という考えは、私たちが人の性別を解釈するときに大きな偏りを生み出します。

アムネスティ・インターナショナルのセックスワークに関する文書を日本語訳しました

この文章は、アムネスティ・インターナショナルからリークされ、インターネットにアップロードされている文書を、マサキチトセが日本語に翻訳したものです。

翻訳の質は非常に悪く、日本語の文法や慣習的な言い回しに適切に変換できていないところもあります。また、訳者の力不足で必ずしも意味が明確に読み取れない部分があり、「訳者注」をつける、あるいは英語のオリジナルのフレーズや単語を付記してある部分があります。

論文や、公開の文章等に引用することは控えてください。また、リークされた文書ですので、オリジナルが今後インターネットに残らない可能性もあります。更に、強い要求を受けた場合、この日本語訳をサーバから削除する可能性もあります。あらかじめご了承ください。

『ウートピ』に2つめの記事が掲載されました

私は文章が長くなりがちで、色んな補足情報みたいなのもいっぱい入れてしまうので、とても編集者泣かせの書き手だと思う。のですが、担当の人はとても良心的に私の要望に応えてくれて、全体的な論旨を壊さずに編集してくれる人なので、感謝しています。

もちろん、私と同じ考え方を持っているわけではないので(だったら私が書く必要ないしw)、「そこは! そこは違うんです! その表現じゃ、わたし的にはアウトなんです!」っていうこともあるけど、だいたい第一稿に忠実に編集してくれる。そしてそれはとても幸運なこと(稀なこと)だと、ライター業界の噂を他方から聞くにつけ、思います。

というわけで、ウートピの私の記事の第二弾がアップされました。

『ウートピ』に記事が掲載されました

先日紹介を受け、ウートピというサイトで記事を書くことになりました。 今回その第一弾ということで、12月17日の「セックスワーカーへの暴力に反対する国際デー」(International Day to End Violen…

クィア学会2013を振り返る

2013年11月9日と10日は、クィア学会の第6回年次大会だった。同時に9日には臨時総会が、10日には定期総会が開催され、学会誌『論叢クィア』第6号もその場で会員に配布された。 私は2012年度のはじめ(2012年秋)に…

同性婚実現のその先に向けて

おそかれはやかれ、日本においても同性婚の合法化は実現するだろう。それが のぞむべきゴールなのか、むかうべき方向なのかということについては、賛否がわかれるとおもう。「賛」のなかにも「否」のなかにも、さまざまな意見があることだろう。
 たとえばわたしは「否」の立場をとっているが、それは別に異性と結婚したいとおもうひとと同性と結婚したいひとのあいだに不平等があってもいいと思っているからではない。しかしいずれにしても、同性婚は法律でみとめられるようになるだろう。どんなにわたしが反対しようと。

であれば、同性婚の実現に反対の立場をとっているわたしがしなければいけないのは、もちろん反対意見をことあるごとに表明していくことでもあるいっぽうで、同性婚が実現してしまったときに なにがおこるのかについて、きちんとかんがえ、共有し、それらがおこるまえに どのような準備が必要なのかをかんがえ、その準備に ちからを そそぐことだろうとおもう。

同性愛について考える3つのこと

『ポーチ』というサイトに、「同性愛について理解を深める3つのこと」という記事が掲載されています。深める「ための」3つのこと、ではないのか? という疑問はさておき、「同性愛」というものについて、インタビューしてる人にしても…

『セクシュアリティと政治がご専門のChalidaporn Songsamphan先生(2009年春特任教授)とポルノグラフィーについて対談しました』

マサキチトセ(CGSスタッフ 以下マ)

ポルノグラフィーについての基本的なスタンスを教えてください。

チャリダポーン教授(以下チ)

そもそもポルノは性的幻想の一つのあり方として捉えられるべき、プライベートな時間に誰しもが楽しむ権利を持っているものと考えます。しかしポルノを事細かく見た時、そこにはポルノ以外の物事との関連性やポルノそのものの多様性が見られ、ポルノ全体についての基本的なスタンスというものは築けません。ある種のポルノと違う種のポルノには、違うスタンスを持つ事があるのです。私たちは理論や説明を一つ打ち出し、そこに類似の全てのケースを矮小化しようとしがちですがそれではうまくいきません。私たちは全ての物事を個別に見る必要があるのです。