生活保護とクィア(シノドス掲載記事)

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2022年11月20日

生活保護改正

「生活保護」とは、すべての人が「健康で文化的な生活の最低水準を維持する」という理念にもとづき、それを実現するためにつくられた制度です。

生活するために必要な服や食べ物にかかるお金、光熱費、義務教育を受けるためのお金、家賃など住む場所にかかるお金、病院にかかるときにかかるお金、介護にかかるお金などなど、わたしたちは、いつもつねに自力で用意することができるとは限りません。近年の就職難で仕事を失うという経験は、誰にとっても身近なものとなりました。リストラにあったとき、契約を更新されなかったとき、派遣を解除されると同時に雇用関係も切られたとき、わたしたちが自分の「健康で文化的な生活の最低水準を維持する」ためのお金を自力で調達するのは非常に難しくなります。

ある程度の給料の仕事がすぐに見つかればいいでしょう。しかしそうなるとは限りません。また、病気になったりケガをしたとき、ストレスやメンタルヘルスの問題を抱えて仕事することが難しくなったとき、生活費が調達できなくなることもありえます。そうでなくとも、たとえば自分ができる限り働いて、それでも「健康で文化的な生活の最低水準」を送るには給料が少なすぎるとき、一体どうしたらいいのでしょうか。そういうときのために、生活保護の制度があります。

しかし、すべての人に与えられるとされる「健康で文化的な生活の最低水準を維持する権利」は、事実上、生まれもって持っている権利としてではなく、国や自治体によってその都度、「与え」られたり「与え」られなかったりするものとして、運用されています。「水際作戦」という言葉があります。岩永理恵さんが「生活保護法改正案への反対意見」https://synodos.jp/welfare/4071 で詳しく説明していますが、これは、生活保護を申請する窓口において職員が、さまざまな方法を用いて申請の受け取りを拒否する行政のやりかたのことを指します。

こうした実態がありながら、ある時期からメディアは、生活保護が受けられず困っている人の話をおろそかにしてきました。この背景には、自民党の議員に目をつけられた芸能人の母親の生活保護問題がきっかけとなり、生活保護受給者バッシングの世論が作り出されたことがあります。

しかしこのバッシングに非常に不合理なものが多数含まれていることは、「生活保護基準引き下げのどこが問題? STOP!生活保護基準引き下げ」https://synodos.jp/faq/601 で指摘されている通りです。そんななか、自民党安倍政権が正にこのバッシングの流れを利用することで生活保護法改正案を閣議決定したのが、5月17日のことです。この改正案の内容は、大西連さんの「生活保護法改正法案、その問題点」https://synodos.jp/welfare/3984 にて詳しく説明されています。これは、水際作戦を合法化することによって、もともと非常に高い申請のハードルをさらに引き上げようとするものです。

貧困とクィア

さて、このような生活保護制度、あるいは生活保護論(バッシング)は、クィアにとって何を意味するのでしょう。

「クィア」という言葉は、もともと「奇妙な」という意味が転じて「変態」「性的に倒錯している」といった意味で使われ出した英語の "queer" を、日本語風に読んだものです。 "queer" は、とくに男性同性愛者に対しての非常に強い侮蔑語で、言われたときのショック度で言えば日本語の「キモいホモ野郎」と同じくらいにはショックな言葉です。しかしあるときから、この言葉をあえて自称のために使う人たちが現れました。その背景には、1980年代米国のエイズパニックがあります。

当時エイズは "gay cancer" (ゲイのガン)と呼ばれ、政府が責任を持つべき公衆衛生上の問題ではなく、ゲイ男性のライフスタイルの問題・自己責任の問題であるとされていました。周りで毎日のように死者が出ているのに何もしてくれない政府に対し、HIV感染の危険が高かったゲイ男性や黒人、貧困層の人々や売春に従事している人々たちが、エイズ運動を起こします。エイズ運動は、「レズビアン」や「ゲイ」といった個々の集団ではなく、人種、階級、職業をまたいだ連帯を可能にしました。この結果、すでに多くが命を失ったあとですが、1987年にようやくレーガン政権がこの問題に着手し始めることになります。

「性に関して少数派の位置に置かれていることで、国や地域、家族、友人などから見殺しにされるのはおかしい」―― そういう思いが、米国の性的マイノリティを中心として広がって行きました。そんななかで、性に関する規範がときには人を殺してしまうということに意義を申し立てる態度として、「クィア」という言葉が使われるようになります。「変態」で何が悪い、「変態」なら何もかも自己責任なのか ――「クィア」という言葉には、政府を始め、社会に対するそのような強い抵抗意識・異議申し立ての思いが込められています。

「LGBT」という言葉が、日本でも性的マイノリティの運動の場やメディアで頻繁に使われるようになりましたが、「クィア」は性に関する規範によって排除されていたり、排除される可能性がつねに身近にある人々を指す、より大きな意味の言葉です。ここにはもちろんレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの人々が多数含まれますが、これらのアイデンティティを持たない人々もまた、クィアでありえます。

一方で「LGBT」という言葉は、徐々に経済的な意味を持ち始めています。「国内市場5.7兆円」「LGBT市場、狙う企業」「巨大市場『LGBT』」「手つかずの巨大市場」―― 昨年からそんな言葉が、経済系メディアの見出しを賑わせています。性的マイノリティをテーマにしたパレード(俗に「プライド」と呼ばれます)にも企業の協賛が入るようになって来ました。米国や英国を始め欧米諸国の多くでは、すでにこの「LGBTの商業化」が起きており、プライドの企業中心主義、いわゆる「ゲイタウン」の白人化、中流階級化、ジェントリフィケーションなど、さまざまな問題が指摘されています。

こういった最近のメディアでの「LGBT」の取り扱われ方を見て、「クィアは経済的に余裕があるんだろう」と考えるかもしれません。しかし、そもそも人口の15.7%(2007年)が貧困状態にあるという現実があります(正確には「相対的貧困」という状態です)。貧困状態にある15.7%のなかにクィアが入っていないということは、考えにくいことです。「LGBT市場がある」ということと「クィアには貧困が多い」ということは同時に存在することであり、同時に考えなくてはならない問題です。

クィアのなかには、異性との婚姻関係を結んでいる者もいますが、多くの場合、婚姻制度を利用していません。国が調べる「世帯」の種類では、「単身」「母子家庭」「父子家庭」「高齢単身」「その他」にあてはまることが多いでしょう。2007年の単身者の貧困率は、男性で25%弱、女性で35%弱です。「母子家庭」になると55%を超えます。父子家庭では30%弱です。「高齢単身」世帯は男性が40%弱、女性が50%強となっています。「その他」の世帯でも、男女ともに20%を超えています。全体の貧困率が15.7%であることからも、婚姻関係を結んでいない世帯は、それだけで貧困に陥る割合が高いということがわかります。また、男女の数値を比較すると、行政に「女性」と区分されている人は、「男性」と区分されている人よりも貧困に陥る確率が高いこともわかります。

クィアであることと婚姻関係を結びづらいことは関連しており、婚姻関係を結んでいない世帯が貧困に陥る確率が高いということは、クィアであることが(少なくとも間接的に)貧困に陥ることと関連していることを意味します。また、クィアであり、かつ行政に「女性」と区分されている人は、そのなかでもさらに、貧困に陥る確率が高いことになります。

また、クィアには日本国籍を持たない者も多数います。生活保護を受けている外国人世帯のうち、単身世帯はその60%を超えています。生活保護を受けている全世帯の約55%が単身世帯ですから、「単身で暮らしている」ことだけでなく、「外国人である」ということがさらに貧困を身近なものにしていることがわかります。さらに、生活保護の対象は「日本国籍保持者」(大分地方裁判所)や「一定範囲の外国人」(福岡高等裁判所)に限定されるとする判例があり、すべての外国人が生活保護を受けられるわけではありません。

ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。