共生ネットによる『セクシュアル・マイノリティへの対応に関する要望書』およびそれにまつわる議論について

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2022年11月20日

"共生社会をつくる" セクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク(以下「共生ネット」)が『被災地におけるセクシュアル・マイノリティへの配慮ある対応について要望書を提出しました』という記事で、同団体が緊急災害対策本部および内閣官房長官の枝野幸男さんに提出した旨を報告し、要望書(以下「要望書」)本文の一部を公開しています。

この要望書に関して、わたしは一般公開よりも一足早く、共生ネットさんから直接連絡を頂いていました。というのも、わたしは今回の地震・津波の報道を目にしてすぐに、LGBTであることによって被災地(特に避難所・仮設住宅生活)においてどのような困難が上乗せさせられるのかについてツイッター上で意見を募り、のちに(2011年03月11日(金) 19:00:00に)『被災地のLGBTが望むこと』というwikiサイトを立ち上げ、様々な立場の方々に意見を書き込んで頂いていました(当時のトップページはこちらです)。当初は出来るだけ早く意見を集約しようと「3月16日(水)の午前9時まで」という意見書き込みの締め切りを設けていました。それは、避難所等のいわゆる「現場」で使える資料(想定していたのは、A4サイズ1枚の、専門用語等を排したわかりやすいガイドラインの作成です)を出来るだけ早くまとめたいという思いでしたが、被災地のLGBT当事者含め様々な方々のご意見を頂戴する中で、「情報内容」「配布形式」「配布対象」「配布時期」の再検討が必要であることを認識し、意見集約・配布を急ぐのではなく、各方面との連絡を取りながら今後数ヶ月以上続くであろう避難所生活・仮設住宅生活を長期的に見越した資料の作成のために、提言内容の精査及び改善を行って行くことにいたしました(これらの変更は3月16日午後10時15分にwiki上で発表致しました)。

さて、当初より多くの方に意見を書き込んで頂くためにジェンダー・セクシュアルマイノリティ関連のメーリングリストに案内を流したのですが、そのうちの1つが共生ネットさんでした。運営の方からお返事を頂き(12日午後9時14分)、共生ネットでも緊急災害対策本部および内閣官房長官宛の要望書を作成中である旨教えて頂きました。また、その際『被災地のLGBTが望むこと』を参考資料としたいとのことで、許可を求められ、了承しました。了承した理由は、緊急災害対策本部および内閣官房長官宛の(のちに、内閣府、NGO会議、関連委員会・省庁にも提出する旨連絡を受けました)要望書を出す「政治要請」としての活動と、『被災地のLGBTが望むこと』で目的としていたガイドライン作成は大きく目標を違えるものですが、共生ネットさんがいずれにせよ政治要請をすると決めているのであれば、多くの人たちが知恵を出し合ってきた『被災地のLGBTが望むこと』の知見を全く提供しないよりは、それを参考にして頂く方がより良いものができると判断してのことです。これによって、政府への申し入れ・当面の政府関係機関への配布は共生ネットさんにお任せし、『被災地のLGBTが望むこと』では継続して意見の集約と提言の改善を行うことにいたしました。

内容および要望書内の「謝辞」の文面等について共生ネットさんとやり取りを重ね、現在のかたちで合意に至り、共生ネットさんが要望書の提出を行いました。しかし、当初「内閣府、NGO会議、関連委員会・省庁」宛ということであったはずの要望書は、大規模なジェンダー・スタディーズ系のメーリングリスト(他にも媒体はあったかもしれませんが、私の知る限りではメーリングリストのみでした)を通して、また転載・拡散を呼びかける形で、公表されました。要望書をまとめ、文書化し、公表したのは共生ネットさんであり、その責任が一切『被災地のLGBTが望むこと』に書き込みをした人々(わたし自身を含め)に無いことを要望書内「謝辞」において明確にして頂いてはいましたが、要望書内のいくつかの項目は『被災地のLGBTが望むこと』の内容と酷似しているものもあり、wiki上で頂いたコメント(配布・配信の時期や方法に慎重になるべきとの声)を鑑みると、今の時点で要望書全文の転載・拡散を呼びかけることは、そもそも『被災地のLGBTが望むこと』にコメントないし本文書き込みをして下さった方々の意志をないがしろにすることであり、更に、慎重さを求めるコメントにあるような懸念が現実になるのを後押ししてしまうことになると判断し、共生ネットさんに再度ご連絡を差し上げ、当該メーリングリスト上で再度共生ネットさんより「1ページ目にある情報のみ転載・拡散可能」との旨を流して頂けることになり、迅速に対応して頂くことが出来ました。また、共生ネットさんが今回このタイミングでの情報発信を試みた背景にあるお考え、メンバー等の経験、その他につきましてもご説明頂きました。

わたしは依然、1ページ目のみにせよ、このタイミングでのこの形での情報拡散には賛成は出来ません。また、内容に関しましても、『被災地のLGBTが望むこと』に書き込まれた「『LGBTの代表』である人を置かない」という項目は反映されず、代わりに『災害対策本部は、セクシュアル・マイノリティに関する専門知識や支援経験のある人を登用し、意見を聴取してください』」という項目が入るなど、いわゆるトップダウンの傾向が強まったことには危惧を感じています。しかし要望書はあくまで共生ネットさんの名義ですので、私に出来るのは懸念をお伝えするところまでです。現在は、「全文をインターネットで公表する際に『被災地のLGBTが望むこと』への謝辞文面をどうするか」といったところで継続して話し合いをしています。参考資料としての利用を了承した者の責任として、どういった形が最も望ましいのか、模索しているところです。

さて、今回この共生ネットさんの要望書に関して、小田中直樹さんという方が個人ブログにて意見を書いています。「【3/21】タイミングの大切さについて。」および「【3/25】「疑似インテリゲンチャ」またはハンパな全能感の哀しみ。」がそれにあたります。これらは、小田中さんの言葉を借りれば「3/17(引用者注:要望書の提出日)というのは、やっぱりまずいと思う」という懸念による、要望書への批判です。その点(タイミングがよくないのではないか、という懸念)だけにおいて言えば、わたしも小田中さんに同意しますし、わたし自身、今回wiki上で様々な人のコメントや書き込みを頂く中で、自分が起こすアクションについて慎重になる必要性を強く感じました。ただ、わたしは、拙速な行動を予定していたことを反省したからと言って、それを踏まえたわたしが「タイミング」に関して最終的に下す決断が本当に正しいものになる確信はありません。その点において、小田中さんにはその「タイミング」を見極める能力があるという想定が小田中さんの批判から見え隠れすることに、危惧を感じます。

特に気になるのは、「戦時」「戦後」「復興期」およびその段階的発展における「余裕」の変化に関する小田中さんの理解・考察が、そもそも(団体なり地域なり社会なりに)余裕が無くなった時にその重要性が優先順位において押し下げられ、無視されたり切り捨てられたり犠牲にさせられるようなパターンを繰り返し経験してきたセクシュアル・マイノリティの歴史および生活経験を、同様のロジックを用いて再生産するものだと思うからです。このような経験の中、セクシュアル・マイノリティの権利や尊厳を求めることは、往々にして「贅沢」「自己中心的」と言った言葉で非難を受けて来ました。

小田中さんは次のように言います。

保健室では、残り少ないストーブの灯油を気にしながら、臨月の妊婦さんが震えていました。教室の床にブルーシートを敷いて、老人の皆さんが、どうにかゲットした段ボールのうえで毛布にくるまって寝てました。そういうタイミングで、例えば地元紙があの提言をニュースとして載せたら(ありえなかったと思いますが)「なに言ってんだ、この贅沢者が」になる危険もあったでしょう(まだ「戦後」段階だから、たぶんそんな余裕はなく、大丈夫だったろうとは思いますが)。

3)セクシュアル・マイノリティの健康ニーズについて知識のある医師やカウンセラーを配置してください。
==>どこにいるんだ、そんな人? たしかに仙台にもいるが、自分の避難で精一杯。避難者全体の健康ニーズすら、ボランティアでまわってくるお医者さんのおかげで、どうにかカバーできたのである。それでも、暖房もないなかで、インフルエンザの子供たちが避難していたんだぞ。ぜーたく言うな。

もしも提言するんだったら、まずは「性的少数者」だけではなく、そういう「全体」に想いを馳せて(できれば「思いをはせてからにして」)ほしい・・・それが、ぼくの期待です。もちろん、それはネットワークの「しごと」ではないかもしれませんが、しかし有限のリソースを配分する提言をするのであれば、全体に目を配らないと説得性が減少します。

「臨月の妊婦」「子供たち」は、(現実にはセクシュアル・マイノリティと無関係ではない人々であるにも関わらず)セクシュアル・マイノリティがそこから周縁化されているような規範に基づく価値体系(ヘテロセクシズム)において保護を受けやすい主体です。小田中さんは、「性的少数者」と「全体」を対置させるレトリックにおいて、「臨月の妊婦」「子供たち」を「全体」の側に、そして「贅沢者」「ぜーたく言う」者を「性的少数者」の側に配置するような典型的なヘテロセクシズムをなぞりつつ、セクシュアル・マイノリティの要望を「説得性が減少」すると評価します。

しかし、要望書がこのタイミングで提出されたことを原因として「説得」させられなかった人、というのは、(小田中さんが示している限りにおいては)小田中さんご本人のみです。自分が説得させられなかった、納得しなかったという事実を、主語を提言者(共生ネット)に転換することで、あたかも要望書あるいは要望書の提出の手つき(タイミング含む)こそが疑いなく「説得性」の低いものであったかのように再構築するレトリックを実践しています。差別において、明確な差別主義者よりも時に厄介なのは、「私はあなたのような人を差別したりしないんだけど、周囲の人はどうか分からないから、こうしなさい」とアドバイスを寄越すような自称博愛主義者です。「私」が「アドバイス」出来る立場にあると思えること、「私」が「差別したりしない」人かどうかを「私」が決められると思えること、それ自体が特権的な立場にある者の特権であって、その特権の行使をしつつも「差別」の本当の犯人を「私」の外部に配置することは、差別のアウトソーシングです。

私は、もちろん、個人的には共生ネットの要望書の内容に不備があると思いますし、タイミングや拡散の方針については最善ではなかった、むしろ弊害を引き起こしうるリスクの高いものであったのではないかと思います。その点では、小田中さんと同様の懸念を感じていると言っていいでしょう。しかし、それは、私がそう思っているだけなのかもしれない。共生ネットには東北地方も含め様々な地域の出身者、様々な年齢のメンバー、そして様々な立場を持ち、同様に様々な人々・団体との関わりを持ったメンバーが所属しています。私は、そのような多様な団体が同団体名義で決定した今回の要望書公表に関して、異論はあれど、謙虚にならざるを得ないと認識しています。そして、先に言った通り、「贅沢」「余裕が無い」といった理由によって黙らされ、当然の権利を与えられず、尊厳を踏みにじられて来たセクシュアル・マイノリティの歴史と生活経験に思いを馳せれば、今回の小田中さんの批判における論理の立て方は、たとえその批判内容が社会構成員の大多数にどれだけ妥当だと認められようと(「タイミング」に関してのみであれば、何度も言っている通り、私自身も小田中さんに同意しています)、まぎれもなくヘテロセクシズムに根ざす側面がありますし、また、ヘテロセクシズムをなぞることで、その再生産に寄与してしまうものでもあると思います。

セクシュアル・マイノリティが「余裕のあるときだけ考慮してもらえる」ような立場に押し込められて来た歴史をともに認識した上で、どのようにしたら今回の要望書のようなアクションがより有効にセクシュアル・マイノリティの権利や尊厳の回復・尊重を実現出来るのか、小田中さん含め、共生ネット含め、わたし含め、様々な立場にある者が考えることが出来ればと思います。

*追記*

なぜか(設定かな?)言及されてもトラックバックが届かない状態みたいなので、言及してくださった font-da さんのブログへのリンクを貼ります。

ABOUTこの記事をかいた人

1985年5月26日生まれ。栃木県足利市出身、ニュージーランドとアメリカを経て現在は群馬県館林市在住。2011年にシカゴ大学大学院社会科学修士課程を中退。以降ジェンダー・セクシュアリティを中心に執筆や講演など評論活動をしています。 LGBT運動と排外主義のかかわり、資本主義とLGBT、貧困二世・三世のLGBT/クィア、性的欲望に関する社会的言説の歴史、セックスワーカーの権利と尊厳などに特に関心があります。